4月26日への思い | あわたまのブログ

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1986年4月26日1時23分ソビエト連邦のチェルノブイリ原子力発電所4号炉でレベル7に分類される事故が発生


福島第一原子力発電所の事故が起きた2011年、事故から25年目のとき、ウクライナのチェルノブイリ連合(NGO)は現在までの事故による死亡者数を約73万4000件と見積もった。


たった1基の原子力発電所の事故のためにそれだけの生命が失われた、そして失なわれ続けている


事故当時、延べ80万人の労働者が動員されヒバクを強いられながらもコンクリートで封じ込めた石棺


27年たった今、漏れ続けている放射能を再び封じ込めるため新たに石棺をかぶせる作業が必要とされている、そのためにまたどれだけの人がヒバクし、健康を害しなければならないか


いまだに入ることのできない失われた大地、失われた故郷


減少することのない放射能の影響による甲状腺癌や身体障害などの健康被害


27年という時間が経過した今の話である


未だ収束されていないチェルノブイリ原発事故


1986年ここ和歌山では関西電力による日高原発、日置川原発の計画があった


チェルノブイリ原子力発電所事故のあとの国の見解


(原子力安全委員会の第一次報告書では今回のソ連の事故は)「我が国では考えられ難い事故であったことがほぼ明らかになった。」(略)我が国の原子力発電所については、多重防護の考え方の下に、設計・建設・運転の各段階において厳重な安全規制を行っており、安全性は充分に確保されているところであり・・・(1986年11月19日、通産省資源エネルギー庁長官「原子力発電所の安全性について」


これを受けて当時の日高町の町長は


「ソ連原発事故の安全性は、国の見解がはっきり安全だと示した。このため(略)町内十九カ所の会場で説明会を開き、安全性と原発による活性化を訴えた。(略)日高町の将来のためにやはり原発を誘致する以外にないと意を強くした」(昭和62年6月23日付「日高新報」)


(著書「原発を拒み続けた和歌山の記録」より引用)


当時、原発を推進していた人たちは今、何を思い、何を感じているのだろう


自分も含め多くの無関心だった人たちは同じく今、何を思い、何を感じているのだろう


そして福島第一原発事故が起こってしまったあとの今このときも原発を推進しようとしている人たちはいったい何を考えているのだろう


そして同じように無関心なあなたたちは何を思い、何を感じているの?


27年が経過した今も収まることのないチェルノブイリの現状を見て


始まったばかりの福島第一原発事故の現状を見て



ここ和歌山にはというか紀伊半島には9カ所の原発建設計画があったが地元の人たちの我慢強い反対運動のおかげでどこにも原発は建設されていない


関西電力の土地は今もそのまま残っており、関西電力の立地部の人間たちもいまだ町の巡回をしているそうなので気が抜けない状態ではあるようだが


ちなみに日本列島では17カ所に54基原子力発電所(ふくいちも含む)は建てられているが、20カ所の地域では地元の人たちの反対運動により建設をストップさせている


目先の欲に惑わされず「子や孫のために」と思ってくださった、動いてくださった人たちがたくさんいてくれたことをほんとありがたく思います


僕たちはその人たちの思いを受け継ぎ「子や孫のために」生き方を選択していく時代に生きています


1988年、チェルノブイリ事故から2年目のとき日高原発、日置川原発の計画があった和歌山で「原発がこわい女たちの会」の松浦さんたちが主催し、宮田雪監督を招いて宮田雪監督の86年公開作品「ホピの予言」の上映会が行われていました


核による放射能汚染、生態系の破壊・・・地球の環境はかつてない危機を迎えている。しかしホピ族をはじめアメリカンインディアンの民びとたちは母なる地球とすべてのいのちを敬うことのない生き方が、やがてバランスの失った世界を招き、人類滅亡の危機に導くことをはるか昔から知っていた


1948年ヒロシマ、ナガサキに「灰のつまったひょうたん」が落とされたころから彼らは世界に警告を発してきました


アメリカ南西部、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、コロラドの四つの州がひとつに交差しているフォー・コーナーズ。コロラド高原といわれる荒涼たる砂漠と、グランド・キャニオンなどの巨大な渓谷に囲まれたここは、長い間、いわゆる西洋近代から隔絶した空間であり、そこに住むホピやナバホ・インディアンたちによって、聖地として守られてきた土地であった。


しかし、フォー・コーナーズ地域は現在、膨大な量の石炭、石油、そして地球最大のウラニウムのベルト地帯といわれ、とくにアメリカのウラン資源のほとんどがその大地の下にあり、世界のウラニウム・キャピタル、グランツやアメリカの原子力司令部ともいわれるロスアラモスを配した、いわばアメリカ合衆国の核開発の心臓部に変貌してしまっているのである。


核兵器であれ、原子力発電であれ、核開発の原点は、ウラン鉱石の採掘から始まり、その原点の採掘からすでに被爆者が生み出されている。


そして聖地はそのための巨大な核廃棄物の処理場に変わり果ててしまい、国家的犠牲地区という名称で、ホピやナバホを被爆させながら、多国籍企業によって開発が押し進められてきた。日本の原子力発電の燃料のウランの何パーセントかも、この聖地から採られたものが使われている。


そしてヒロシマ、ナガサキに落とされた原子力爆弾のウランもここフォー・コーナーズ地域から採掘されたものである


87年にアメリカンインディアンムーブメント(AIM)リーダーデニス・バンクス氏(オジブエ族)が「大地と生命のために走ろう」と呼びかけた聖なるランニング「セイクレッドラン」


ランニングはインディアンにとって伝統的なひとつの祈りの形。彼らのランニングは1988年6月1日ニューヨーク州オノンダガ~サンフランシスコのアメリカ大陸横断。そして8月6日広島~北海道幌延まで8600kmを、原発や核施設を巡って走り抜けた


人々のために、大地のために、わたしたちの生命のために、7世代先の未来のために

そして核のない未来へ向けて


その聖なるランニング(セイクレッドラン)は88年、徳島からフェリーで渡り、和歌山も走り抜けたということです、和歌山の先輩たちも何人か一緒にランニングに参加されたそうです


公開以来、「ホピの予言」「セイクレッドラン」の上映会はこれまでも人々の平和への祈りとともに各地で行われてきたと思います


僕たち自身この映画の上映会を行うことは初めてなのですが今回、こういった和歌山での繋がりの歴史を知り、やる意義、大切さをとても感じました


88年から数えて25年


チェルノブイリ原子力発電所事故から27年目の4月26日


あわたまでは午前10時から一日中「ホピの予言」「セイクレッドラン」の上映会を行います


18時からの部ではネイティブインディアンたちとも繋がりの深いSLOW TURTLE代表、山口晴康さんをお招きしてトーク&セレモニーを行います


僕らなりのセイクレッドラン、一日中祈りを捧げたいと思います


チェルノブイリ原発事故。そして福島第一原発の事故、世界各国の原発事故、繰り返される数えきれないほどの核実験etc・・・


空に、海に、大地に、母なる地球の上に降り注がれる放射能


これ以上繰り返さないために


死の灰を浴びたものたちのために


死の灰を浴びる前に


未来の子どもたちのために


この日世界各地でたくさんの人たちが各地に集い 人々のために、大地のために、わたしたちの生命のために、7世代先の未来のために、そして核のない未来へ向けて祈りを捧げることでしょう


福島第一原発の起きたあとにもかかわらず山口県では上関原発建設計画でいまだ進められようとしています。今ここ日本列島で青森県の大間と山口の上関が新規立地の計画のある場所になります。そしてこの日山口県庁前には人々が集まり建設に抗議をする集会が行われます


ちなみに4月28日には上関原発計画に大きく左右するであろう山口県参議院補欠選挙が行われます


ここ和歌山でも多くの人たちの祈りが集まることを願っています


ぜひ311以降に原発に関心を持たれた方や、小さいお子様のため内部被ばくをさけ日々食べ物など気をつけていらっしゃるママさんたちや、和歌山のNO NUKESデモに参加している若者たちや、ひと時のブームでしかとらえられていなかったり、ファッションでなんとなくって人だったり、まったく無関心な人だったり


いろんな人たちにホピ(平和)の民からのメッセージを受け取ってもらいたいです


そして集まった多くの人たちの祈りがこの地球上すべてに発信され、核のない未来に向けて届けられることをイメージしています


みなさんよろしくお願いします、力をかしてください


NO NUKES ONE LOVE TO FUTURE


●4月26日(金)
「平和の民からのメッセージ、今、すべての空へ、すべての大地へ、すべての心へ ~チェルノブイリ事故から27年目を迎えて~」

1986年4月26日のチェルノブイリ原子力発電所の事故から27年目を迎えようとしています

ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、セラフィールド、スリーマイル、チェルノブイリetc・・・そしてフクシマ

警告を無視し続けたために失われたたくさんの命、そして失われた山、海、空、大地・・・

Mother Earth

わたしたちは今、立ち止まりホピの人達の教えに耳を傾け、核のない未来へ向け新たな道を歩き始める時に来ています

ホピーーー「平和で満ち足りた人々」という意味であり、グレート・スピリットの教えに従ってその道を行く人々という意味でもある

チェ ルノブイリ原子力発電所の事故から27年目の2013年4月26日、あわたまでは宮田雪監督の1986年の作品「ホピの予言」に補遺版「浄化の時代を迎え て~ホピの伝統を生きるマーチン・ゲスリスウマ氏に聞く~」を加えた「ホピの予言2004年版」、89年の作品「Sacred Run」の上映会を一日中行います。

トークゲストには90年にナバホ、ホピの住むアリゾナ・ビッグマウンテンを訪れて以来、ネイティブの人たちと深い関係を持ちビッグマウンテンの現状を日本に伝え続けてくれているSLOW TURTLE代表山口晴康さん(通称ハルさん)をお迎えし、上映後トーク&セレモニーを行いたいと思います

プロフィール

山口晴康

90年初めてナバホ、ホピの住むアリゾナ・ビッグマウンテンを訪れる

98年ビッグマウンテンの強制移住の現状を伝えるWalkin Beauty Projectを立ち上げる

さまざまなピースウォークや「ヒロシマ原爆の残り火」を各地に伝えるウォークに関わり、その中で上関原発に反対してきた祝島と出会う。現在はビッグマウンテンサポートを継続しながら海からの視点で上関原発反対と関わっている。

slow turtle
http://slowturtle.net/

作品紹介

『ホピの予言2004年版』2004年

ランド・アンド・ライフ制作

本編『ホピの予言』1986年作品

補遺版『浄化の時代を迎えて~ホピの伝統を生きるマーチン・ゲスリスウマ氏に聞く~』 

監督・宮田雪

「人 間が正しく使えるようになるまでは、決して掘り出してはならない」アメリカ先住民族ホピやナバホの警告にも関わらず、彼らの聖域からウランは掘り出され、 広島・長崎に原爆は投下された。それは、ホピの教えの中で、人類存亡にかかわる危険な時代に入ったサインであった・・・。母なる地球やいのちたちと引き換えに、利権やエネルギー、快適さを追い求めてきた私たち。その私たちに残された唯一の道は「質素で精神的な生き方」とホピ長老は語る。この映画は普遍的メッセージ映像として、1986年公開から絶えることなく求め続けられてきた。311以後、映像の一言一句がさらに現実味をもって迫ってくるのだ。
8 7年アメリカインディアン・フィルムフェスティバル、ドキュメンタリー大賞受賞作品

『Sacred Run 』1989年 70分

ランド・オブ・ライフ制作

監督 宮田雪

「セイクレッドラン」とは、アメリカインディアン運動のデニス・バンクス氏が提唱した「大地といのちを癒す」ための祈りのランニング。

88年6月10日アメリカ・NY州イロコイ六か国連合オノンダガをスタートし、サンフランシスコにゴールした後、さらに8月6日広島から9月7日幌延をインディアンと日本人、その仲間たちが、原発を含む核廃絶を祈り、走り抜けた魂の記録。

タイムスケジュール

午前
10:00~11:40 ホピの予言2004年版
11:55~13:05 セイクレッドラン

午後
14:00~15:40 ホピの予言2004年版
15:55~17:05 セイクレッドラン


18:00~セレモニー(平和への祈り)
18:30~20:10 ホピの予言2004年版
20:25~21:35 セイクレッドラン
21:40~ 山口晴康トーク&シェアリング

料金
昼 通し券1500円(要1オーダー)
  1作品1000円(要1オーダー)
午前午後とも限定20名

夜 通し券 2000円(要1オーダー)
  1作品 1500円(要1オーダー) 
限定20名

要予約(ご予約の方はお名前、人数、時間(午前、午後、夜)、通しor1作品をお知らせください。)

予約&問い合わせ
Cafe ざっか屋 あわたま
0734442239
高橋まで