前回 の続きです。
怒りなど、感情に対する振る舞い方や
人格特性やちゃんと固まった行動パターン、
イデオロギーやライフスタイル全体に対して見直し、何かを諦めるプロセスは
我々の中で何かが変わる時期、集中的に成長する時期とも言える。
これが達成されるためには、それに見合うだけの「古い自分」が捨てられなければならない。
その「捨てる」プロセスの途中で、我々は「うつの感情」を味わうことが多くある。
これは、我々の愛するもの -少なくとも自分の一部であり慣れ親しんだもの- を諦めることが
うつの感情と結び付いているからである。
精神的に健康であろうとすれば、人間は成長しなければならないし、
心理的、精神的成長の過程で古い自分を諦めることは不可欠なのだから
うつの感情を味わうこと、それ自体はノーマルな、基本的には健全な現象である。
何かが諦めの過程を妨げ、その結果本来の過程が進まず、
うつが長引いて解消できなくなった場合にのみ、
それは異常、あるいは不健全なものとなる。
このような過程により、我々が何らかの苦痛を感じているときには
そのことで、すでに成長の過程に入りこんでいることがある。
だからといって、我々が自分の身に何が起こっているのか、意識しているとは限らない。
むしろ我々は「万事がもと通りになって」、うつから解放されることだけを考えがちで、
ものごとが、もはや「もと通りに」ならないことを、分かっていない。
しかし、無意識は知っている。
無意識がその知恵で、「かつての在り様」が
条理にかなっていない、あるいは建設的でないことを知っているからこそ
成長と諦めの過程がそのレベルで始まり、うつが経験されるわけである。
意識の上ではまだ、「古い自分」と「かつての在り様」が間に合わなくなっていることを
認めようとしない、あるいは認める準備ができていないので
うまく、より進んだ適応をするには大きな変化が必要であると、
うつが信号を発していることに気づかない。
無意識が意識に一歩先んじていることは、奇妙に思えるかもしれないが、
多くの場面で当てはまる、心的機能の基本的な重要部分である。
これについては、この本の結びの部分で、もっと深く掘り下げることになる。
まだ続きます。