このテーマ、ずいぶん間が空いてしまいましたね(^^ゞ


前回 の続きです。





   前回の記事で

   バランシングとは「諦めること」あるいは「何かを手離すこと」と書いた。


   つまり、今の自分のバランスを損なっているもの・・・

   換言すれば、今の自分にとって不要なもの、あるいは有害に働いているもの・・・

   それを抱えること、しがみつくことを諦め、そして手離すことである。




   

   バランシングの辛さは、何かを手離すこと、

   そしてそのものが自分の手元から失われる辛さである。

   自分にとって慣れ親しんだものが失われることには、喪失の苦しみがつきまとう。

   どんなに不要であり、どんなにそれを忌み嫌ってさえいても・・・


   そして、それが今、不要もしくは有害であることを認めなかったり

   手離してバランスを取ることを拒むことを、我々は頻繁に行う。


   しかし、そのようにしてバランスを失うことは

   バランスを取るために何かを諦めるよりもずっと苦痛が大きいことが数多くある。




   これは人生を通して、何度も学び直さなければならない教訓である。

   誰しも人生の曲がり角をうまく曲がり切るには、自分の一部を絶えず手離さねばならない。

   それが嫌ならば、人生の旅を全くしないことである。



   


   諦めないといけないかもしれないものは

   怒りを表すこと・表さないことのようなものから

   人格特性やちゃんと固まった行動パターン、

   イデオロギーやライフスタイル全体にまで関わってくる可能性もある。



まだ続きます。