日曜日朝、商用で山国へ朝日にうつりだされた一ッ戸の紅葉がとてもきれいだったと

カミサンに報告(*^▽^*)、そしたら連れて行けと・・(;^_^A

やさしい私は現在耶馬渓風物館で開催されている「名勝耶馬溪誕生ものがたり」

に興味があったので15日午後に・・・感想は・・・・(・Θ・;)(-。-;)です。

そのまま帰るのも芸がないので東谷から院内にぬけ、院内から玖珠から

深耶馬溪へ、上の画像は東谷から院内への峠の上から東谷の山村風景です。

画像は院内から玖珠にぬける日出生台のところです。(^∇^)耶馬渓の紅葉は

迫ってくる美しさですが院内の谷の紅葉風景は、開かれた山なみの美しさが

あります。o(〃^▽^〃)o

 

深耶馬溪で名物のやまかけソバをいただきました。

たしかにうまいです。火曜日の午後4時過ぎでしたが県外ナンバーの車も

多く、観光バスも3~4台ありました。山陽さんの「耶馬溪図巻」活躍しています(^~^) 

今度の土日は紅葉も最高でしょうが渋滞が予想されますなぁA=´、`=)ゞ

本耶馬渓東谷~院内~院内「九州のマチュピチュ」(展望台が整備されています)

玖珠~深耶馬渓~ただの日田・中津高規格道路~西谷~羅漢寺~中津

のコースもお勧めできます(* ̄Oノ ̄*)

 

いただいた資料の中に「宇ノ島祇園」で有名な

豊前市宇ノ島地区の現代地図と江戸時代幕末期の海岸線などを

書きこんだ地図があります。

そういえば、明治初期、小倉県から沓側村と赤熊村から

宇ノ島村独立の許可書が出ていたのを見たのを思い出しましたヾ(@°▽°@)ノ

 

マニアックな中津祇園関係者は宇ノ島の歴史は詳しいと思います(*^▽^*)

しかし、当時の海岸線、甚助町、代町など4町を合わせて

四町とよばれていた場所の特定、魚町、長者町、宝来町、千代町の

当時の位置関係がわかります(^O^)お旅所の恵比寿神社は海の中だった

のです。  豪商萬屋の屋敷面積の広さ(ノ゚ο゚)ノ

細川忠興が中津、小倉から間に開き通称、下往還、奥平公が

参勤交代に使用した道ですが、当時は昭和町からマルショクの横を

通り八屋村に入っていたことを始めて知りましたヽ(゚◇゚ )ノ

 

 

いただいた資料の中に城下町中津の古地図が≧(´▽`)≦≧(´▽`)≦

始めて見る地図です(-_\)(/_-)三( ゚Д゚)

一枚は黒田縄張り図とあり、城下町中津の最も古い地図と思います。

1590年ぐらか?町人町は京町と博多町しかありません。

2枚目は同じ黒田期の地図と思われますが詳細に書かれています。

沿岸部にあたる堀川は町を守るための外堀として完成してます。

古魚町の場所に米町の記載がある事に注目です。Σ(゚д゚;)

3枚目は幕末期1860年前後と思います。(^∇^)

初期の町人町14町から発展していたことがわかります(°∀°)b

 

ただし、もらったデータがお年寄りがしたのかよくないのが

す(;^_^A