なんとか30枚の提出原稿へ向けて、ほぼ構想はできた。
今までのストーリーを単純に考えて進めるのじゃなくて、一つ一つの要素を展開できる種(シード)を埋め込みながら、話を組み立てた。
あらすじ案みたいなのが、手元に結果としてある。
でも、人が見たら、きっとこれを「構想案」と名付けると思うけれど、
僕的には、伏線の網や芽が、こうなるかもと感じながら入れ込んである、「伏線・種シードの寄せ集め文」だ。
なんとなく描けそうに思う。
しかも、聴き手を想定して、2人称的に語り始めたくなった。
まだ直接、応募原稿じゃないから、大いに失敗するつもり。
今日は、週に2回ある、朝の9時前から仕事場にいる日だ。
午後の仕事が終わるのが15時30分になる。
昨日、雨で行けなかった体育館のトレーニング室へも行きたいしね。
一度、帰宅してから、JRの駅へ栃木スクーリングの乗車券も学割で買いたい。
だから、いろいろ忙しきて、書き出す、主戦場は、明日のお休み1日になる。
けど、詩を書くときと同じで、作品ルートがほぼ出来上がると、「排泄」したくなるんだよね。
身体中に、言葉が溢れてくる。
「外へ出してよ。翔びたいから。自由に羽ばたきたいんだ」って、作品の素の〈もやもや〉が喚いて仕方なくなるんだよね。
詩ではたびたびそうなるけど、小説でこうなることは、長編でかなり書き込んでからしかならない。
でも、今回は珍しくまだ形にもなっていない作品世界が誘ってくる。
いや、16年間で、一度もあない、ほんとど皆無だったかもしれない。
これだけで、成功の予感がする。
いつも出しても、小説系はちゃんと〈翔べなく〉て失敗するんだけど、
今回は本当に準備万端だから、うまくいきそうな気がしている。
元になって参考にした、小説構造は以下の2冊。
作家も違えば、作品の長さも全然違うんだけど、同じ構造を見つけました(と勝手に感じている。笑)。
小川洋子の「曲芸と野球」と吉田修一「解雇」。
前者は、短編集『夜明けの縁をさ迷う人々』の冒頭作品で、35枚。
後者は、短編集『うりずん』のわずか6枚の、超短い掌編だ。
どちらの作品も何回も、何回も読み直しても、まだまだ学ぶべき点が無限に見つかる、僕のバイブルだ。
少しでも、両作品に近づく名作を描きたいなあ、と心から思い願っている。
両作品のエッセンスを再現できたら、入賞間違いなしだと勝手に思っているんだよね。
ともかく、今までとは違う書き方で始めるから、今度こそ「本物の小説」になってほしいな。