「ねぇ、久遠先生の噂聞いた?」
院内を歩いていたキョーコは、ナースセンターから聞こえてきた声に足を止めた。
「えー、何々?」
「あ、私聞いた!
実は久遠先生ってあのヒズリ総合病院の跡取りって話でしょう。」
「本当!?
格好良くて、大病院の跡取りだなんてすごくない!?」
「あれ?ヒズリ先生の息子さんって亡くなったんじゃなかったっけ?
何年か前の火事で奥さんと一緒に亡くなったって聞いたような…。」
「えー、じゃあ名字が同じだけで全然関係ないのかな?」
「関係ないんじゃない?
だって跡取りだったら外科医とかにならない?
精神科医にはならないんじゃないかなぁ。」
「あー、言われてみればそうかも。」
「そんなぁー、残念だなぁ。」
「“残念”って、相手にもされてないくせに。」
笑いが起こり、一通り話し終わったらしく別の話題に代わったタイミングでキョーコは再び歩き始めた。
しかし、少し歩いた先で表情を無くして立ち尽くす久遠を見つけた。
さっきの噂話を聞いていたの?
だとしたら、それは本当の話だったのだろうか?
それが久遠が死を切望する理由?
これ以上深入りするべきではないと分かってはいる。
そもそも今日病院に来たのは、此処を離れる前に贄になった者達の様子を見る為だったのだ。
キョーコの見せる夢で自分の世界に閉じこもってしまった者達も、自分の中で生きる事へ何らかの希望が見いだせるようになれば自然に目覚める。
そんな兆候が見られればと少しの期待をして来たのだけれど、今のところそんな兆しは見えなかった。
そのままにして離れる事には心残りがあるが、誰かに吸血鬼と知られてしまった場所に留まる事の危険性をキョーコは承知していた。
久遠が言いふらすとは思えないが、それが無かったとしても、一所に留まり続けるのは気付かれる確率が高くなり危険なのだ。
だから、今までと同じようにまた遠く離れた場所へ移らなくてはならない。
これまでも特定の誰かと深い関係を築くことなく、独りであちこちを転々としてきた。
今回もそうすべきなのだ。
そう、いつもと同じようにしようと思っているのに…。
それなのに、此処を離れがたく思う自分がいる。
久遠が気になって放っておく事が出来ない。
キョーコは一歩踏み出した。
「久遠先生、こんにちは。」