ウェルエイジングの小径(5)~ぽっくり!? ぴんころ!? 叶わぬ身・・・~ | 遊行楽紀行 ~風のささやき 水の行く末~

遊行楽紀行 ~風のささやき 水の行く末~

季節、暦、時事をみつめて、気ままに書き綴ります
吹く風と流れる水、自然のあるがままを訪ねて
小さな「幸せ」「豊かさ」「健康」は身近に
考え方の整理整頓で「明日」「生き方」「行動」が輝きます
心豊かに 笑顔で そして健康に

------ウェルエイジングの小径(5)~ぽっくり!? ぴんころ!? 叶わぬ身・・・~

→ウェルエイジングの小径(1)~白洲次郎氏のエンディングノート?終活?~
→ウェルエイジングの小径(2)~臓器提供意思表示カートもエンディング指示書!?~ 
→ウェルエイジングの小径(3)~アンチ!? ウェル!? 不老不死~  
→ウェルエイジングの小径(4)~健康余命とデスノート!?~
→ウェルエイジングの小径(5)~ぽっくり!? ぴんころ!? 叶わぬ身・・・~

→ウェルエイジングの小径(7)~えっ?「桜葬」は本居宣長さん!!~
→ウェルエイジングの小径(8)~「教養」「教育」の差が!?~
→ウェルエイジングの小径(9)~聖人たちの「終焉」観~ 
→ウェルエイジングの小径(10)~巡礼の荷・・・~ 
→ウェルエイジングの小径(11)~終活フェスタ2014~
 

厚生省の言う「不健康な期間
」。
平均寿命と健康寿命(日常生活に制限のない期間)の差は
平成22年で、
男性9.13年
女性12.68年


・・・統計とはいえ、9年から12年も「不健康な期間」・・・長いです。

古来より人は、
「苦しまない終焉」、
「周囲に負担をかけない」、
「寝込まない」ことは、悲願であったのかもしれません。
奈良には、2つの「ぽっくり寺」があります。
ともに恵心僧都ゆかり寺。

浄土宗 誕生院阿日寺(あにちじ)。
恵心僧都はこの寺で誕生されました。
寺名は、親孝行の僧都が母のために「阿弥陀如来」を刻み、父のために「大日如来」を彫ったことから両如来の尊名の文字「阿」「日」をいただき「阿日寺」とのこと。

そして、
清水山 顕光院 吉田寺(きちでんじ)→吉田寺HP

「ぽっくり寺」との信仰を集めています。

恵心僧都が祈願した衣類を終焉の近づいた母に着せたところ、安らかに往生したことが背景にあるとか。

この母親が立派な方であったとか。
帝に講義する僧となった恵心僧都。母は、天皇から賜った贈り物を次の和歌とともに送り返しました。

♪後の世を 渡す橋とぞ 思ひしに  世渡る僧と なるぞ悲しき
  まことの求道者となり給へ


(意訳)いつの間に名誉を求めるようになったのですか?人を救う道はどうしたのですか?

母の諫言に従い、恵心僧都は、名利を捨てて、さらに念仏の道を極めたといいます。

その著作「往生要集」は念仏の功徳の重要さを説き、法然上人の浄土宗、親鸞上人の浄土真宗の基礎になったと言われています。

両寺は、阿弥陀仏の導きで「安らかな往生」≒「安楽往生」を祈る地となっています。

「ぽっくり」とは、「保久利」安楽往生のご利益を久しく保つことをさすとか。

現代の「安楽往生」祈願の名所として、
長野県佐久市野沢「ピンコロ地蔵」。→HP
長野県は長寿県。それにあやかるべく平成15年に建立されました。

「ぽっくり」「ぴんころ」も言葉のリズムがコミカルです。
しかし、その意味は、深い。終焉の理想であり、心からの願い。・
人生の総決算として、最後の欲望にも思えます。

「ぽっくり」「ぴんころ」とその意味のギャップが人に考えを促しているように思えます。

多く人にとっては叶わぬ願いであるからこそ、「願う」のかもしれません。

「ぽっくり」「ぴんころ」とは、いかぬ「終焉」であることを前提に、ウェルエイジングを心がけ、エンディングデザイン、そしてエンディングノートを書き進めるのかもしれません。

(つづく)
→ウェルエイジングの小径(1)~白洲次郎氏のエンディングノート?終活?~
→ウェルエイジングの小径(2)~臓器提供意思表示カートもエンディング指示書!?~ 
→ウェルエイジングの小径(3)~アンチ!? ウェル!? 不老不死~  
→ウェルエイジングの小径(4)~健康余命とデスノート!?~
→ウェルエイジングの小径(5)~ぽっくり!? ぴんころ!? 叶わぬ身・・・~

→ウェルエイジングの小径(7)~えっ?「桜葬」は本居宣長さん!!~
→ウェルエイジングの小径(8)~「教養」「教育」の差が!?~
→ウェルエイジングの小径(9)~聖人たちの「終焉」観~ 
→ウェルエイジングの小径(10)~巡礼の荷・・・~ 
→ウェルエイジングの小径(11)~終活フェスタ2014~