都忘れ~怨霊、御霊~ | 遊行楽紀行 ~風のささやき 水の行く末~

遊行楽紀行 ~風のささやき 水の行く末~

季節、暦、時事をみつめて、気ままに書き綴ります
吹く風と流れる水、自然のあるがままを訪ねて
小さな「幸せ」「豊かさ」「健康」は身近に
考え方の整理整頓で「明日」「生き方」「行動」が輝きます
心豊かに 笑顔で そして健康に

---都忘れ~怨霊、御霊~--- 
 まもなく、季節の花、「都忘れ」が咲きそうです。

牡丹、梅、桜、山吹、つつじなど、ある意味、派手です。咲き方が賑やかです。
一方「都忘れ」はひっそりと咲きながら、存在感が大きい。
万葉の時代は「うはぎ」と呼ばれ、原種は、「ミヤマヨメナ(深山嫁菜)」
都忘れ」、その名の由来は、順徳天皇の歌とされています。

♪いかにして契りおきけむ白菊を都忘れと名づくるも憂し

 配流された佐渡ヶ島で詠まれた歌です。
倒幕のため、父の後鳥羽帝と挙兵。敗れ配流されました。承久の乱です。
 この歌、一般には(父が好んだ)白菊を「都忘れ」と名付けるとは、どのようなめぐり合わせかわからぬが、辛いことだ。との意味。
 
 ・・・・・。まもなく咲く、小さな花を待ちます。

」の文字は怨霊鎮魂の意味との説もあります。
この「順徳帝」・・・。「」の文字がありますが、怨霊系の歴史人物なのでしょうか。
 1221年25歳から46歳までで佐渡ヶ島で過ごします。
崩御して7年後に「順徳院」と名が送られました。それまでは「佐渡院」・・・。崇徳帝が配流先名「讃岐院」とされたのと同じです。

 「」の字の皇族は、「聖徳」、「仁徳」、「崇徳」・・・そして「順徳」。「仁徳」以外は怨霊鎮魂系に思えます。

 
日本の三大怨霊は、「平将門」や「菅原道真」そして「崇徳院」。

平将門は「神田明神」、菅原道真は「天満宮」に祀られ、各地でお馴染みです。
 怨霊は、天変地異や関係者に不幸をもたらす・・・とされました。
 「
藤原広嗣」、光仁帝の后「井上内親王(井上皇后)」、その皇子「他戸親王」、おなじくその皇子「早良親王(崇道天皇)」、桓武帝の皇子「伊予親王」およびその母「藤原大夫人」。
文屋宮田麻呂」「藤原仲成」「藤原広嗣」「吉備真備」も広い意味で怨霊系かもしれません。
 陥(おとしい)れた側、勝った側・・・その当人達、あるいは、その子孫は「やましい」のでしょう。怖いのでしょう。
悪い奴ら(笑)は、「誹謗中傷」「欠席裁判」果ては計画通り「無実の罪」を押し着せ目的を達成します。

 「疑心暗鬼」の派生で、「やましい心暗鬼」。 

災害や、飢饉など身近に悪いことが起こるとすべて、それらと結びつけます。

 そこで、「神」としたり、名誉を復活させます。諡号・官位を贈ります。
 霊を鎮めたいとの思いです。
 「怨霊」を都合よく「御霊」として鎮護する存在ともしました。

(歴史につっこんでも仕方ないのですが(笑))勝手なことです。

順徳帝は、可憐な「都忘れ」を佐渡ヶ島の配所にたくさん植えたといいます。
恨めしいと詠んだのではなく・・・恨みの心はなく・・・。

♪いかにして契りおきけむ白菊を都忘れと名づくるも憂し

「(名付けはどのような経緯だろうか)風情が都風に思えるから、この可憐な花を「都忘れ」としているが、(都から流されてきた私が愛でて好むだけに)悪い気がする(申し訳ない気がする)」と読み取りたい。

咲き待ちの「都忘れ」は、花数の少なく、一輪挿し型、紫色。


ミヤマヨメナ(深山嫁菜、夜目菜)」は食用。茹でてておひたし、汁の実に。
都忘れ」は、4月15日の誕生花とか。
読者登録してね フォローしてね