祖先の叫び・・・!見る目、嗅ぐ鼻、聞く耳「津波の石碑」 | 遊行楽紀行 ~風のささやき 水の行く末~

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■ 祖先の叫び・・・!見る目、嗅ぐ鼻、聞く耳「津波の石碑」

 

 「願わくば心あらん人、年々文字よみ安きよう墨を入たまふべし」

 

 「心ある人は時々碑文が読みやすいよう墨を入れ、伝えていってほしい」と祖先は託しています。

 大阪市の大正橋東詰めに建てられた「安政大津波碑」です。町の子孫への手紙です。

 

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「大地震両川口津波記」

嘉永7年(1854年)、6月14日午前零時ごろに大きな地震が発生した。
大阪の町の人々は驚き、川のほとりにたたずみ、余震を恐れながら4、5日の間、不安な夜を明かした。この地震で三重や奈良では死者が数多く出た。

同年11月4日午前8時ごろ、大地震が発生した。以前から恐れていたので、空き地に小屋を建て、年寄りや子供が多く避難していた。
地震が発生しても水の上なら安心だと小舟に乗って避難している人もいたところへ、翌日の5日午後4時ごろ、再び大地震が起こり、家々は崩れ落ち、火災が発生し、その恐ろしい様子がおさまった日暮れごろ、雷のような音とともに一斉に津波が押し寄せてきた。
 
安治川はもちろん、木津川の河口まで山のような大波が立ち、東堀まで約1.4メートルの深さの泥水が流れ込んだ。両川筋に停泊していた多くの大小の船の碇やとも綱は切れ、川の流れは逆流し、安治川橋、亀井橋、高橋、水分橋、黒金橋、日吉橋、汐見橋、幸橋、住吉橋、金屋橋などの橋は全て崩れ落ちてしまった。さらに、大きな道にまで溢れた水に慌てふためいて逃げ惑い、川に落ちた人もあった。

道頓堀川に架かる大黒橋では、大きな船が川の逆流により横転し川をせき止めたため、河口から押し流されてきた船を下敷きにして、その上に乗り上げてしまった。
大黒橋から西の道頓堀川、松ヶ鼻までの木津川の、南北を貫く川筋は、一面あっという間に壊れた船の山ができ、川岸に作った小屋は流れてきた船によって壊され、その音や助けを求める人々の声が付近一帯に広がり、救助することもできず、多数の人々が犠牲となった。また、船場や島ノ内まで津波が押し寄せてくると心配した人々が上町方面へ慌てて避難した。
 
その昔、宝永4年(1707年)10月4日の大地震の時も、小舟に乗って避難したため津波で水死した人も多かったと聞いている。長い年月が過ぎ、これを伝え聞く人はほとんどいなかったため、今また同じように多くの人々が犠牲となってしまった。
今後もこのようなことが起こり得るので、地震が発生したら津波が起こることを十分に心得ておき、船での避難は絶対してはいけない。また、建物は壊れ、火事になることもある。お金や大事な書類などは大切に保管し、なによりも「火の用心」が肝心である。川につないでいる船は、流れの穏やかなところを選んでつなぎ替え、早めに陸の高いところに運び、津波に備えるべきである。
 
津波というのは沖から波が来るというだけではなく、海辺近くの海底などから吹き上がってくることもあり、海辺の田畑にも泥水が吹き上がることもある。今回の地震で大和の古市では、池の水があふれ出し、家を数多く押し流したのも、これに似た現象なので、海辺や大きな川や池のそばに住む人は用心が必要である。
 
津波の勢いは、普通の高潮とは違うということを、今回被災した人々はよくわかっているが、十分心得ておきなさい。犠牲になられた方々のご冥福を祈り、つたない文章であるがここに記録しておくので、心ある人は時々碑文が読みやすいよう墨を入れ、伝えていってほしい。

安政2年(1855年)7月建立
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そしてもう一つ。

岩手県宮古市の石碑。

重茂半島東端の姉吉地区に建てられています。

「高き住居は児孫の和楽、想へ惨禍の大津浪、此処より下に 家を建てるな。
 明治二十九年にも、昭和八年にも津波は此処まで来て部落は全滅し、生存者、僅かに 前に二人後ろに四人のみ 幾歳経るとも要心あれ。」

 

 「孫子の和楽」を願う悲痛な戒め。かつ、わかりやすく「ここより下に家を建てるな」との断言。

 「何年経っても要心するのですよ」との呼び掛け。

石に刻んだ、時空を超えた大きな声です。

 時空を超えて声を残しました。複雑な回路など不要です。タイムマシーンとは、ここにあったのかと。

 

 両石碑は、1年で何度か報道され伝えられています。

さて、このような石碑は、いくつあるのでしょうか。東北に200と聞きました。

冒頭の石碑は大阪です。

 いずれ両石碑を直接、見たいと思います。

 真のパワースポットとは、この石碑の前なのでしょう。命を守る「知識」と「知恵」学びの場所です。

 

 「知識」よりは「知恵」とはよく言われるフレーズです。

今、思うのです、片方だけではいけないと。

 「知識」と「知恵」両方が大切です。それは、防災にも、政治にも、企業経営にも、学校教育にも、つくづくそう思うのです。あらゆる運営は、「知識」なくして、「知恵」なくして、その目的の達成はないと実感します。

 「石は残り」、「読みやすいよう墨を入れる人が存在し」、その惨状のデータを残しました。「知識」と「知恵」の賜物です。

 

 受け取り手は、謙虚な心で、「聞く耳」を持たねばなりません。

 

 「見る目」「嗅ぐ鼻」「聞く耳」、以前にも紹介しましたが、「見る目」「嗅ぐ鼻」は、閻魔の庁で裁判官の脇にいる鬼の名前です。亡者の現世での罪状を問うかのようなネーミングです。

 「話す口」も加えて・・・。どのように使ってきましたかと問われるのでしょう。閻魔の庁で。

 大震災1年が経ち、関係者の善悪とりまぜた取り組みや所業が露見して(報道されて)います。

 

手や目や耳を使い、何をするかが問われています。

 

 子孫に石碑を残す偉業は成し得なくても、素直に聞くことは出来ます。

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防災と地名

→(その1)えっ!チュウセキ低地?

→(その2)いいカンジ・・・?!

→(その3)音で攻める?!

→(その4)ここで聞く!

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