ラジオエクストラ ♭15 Young Americans | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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お察しかもしれないが、さらにもう一曲ボウイから。
順番的にいえば本当はZIGGYになるし、話の流れ上
今回も同作には触れることは触れざるを得ないのだが、
同作の詳細については機会を改めることとさせて戴き、
基本、本稿はこちらのアルバムのご紹介、のつもり。

Young Americans/David Bowie

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75年発表の同作は、最初に本編の方で紹介した
DIAMOND DOGSの直後の作品となる。
ブログラジオ ♯7参照


とにかくこのYoung Americansという曲が、
個人的に本当にど真ん中のどストライクなのである。


それもまあいわば道理で、このアルバム、ボウイが
アメリカのソウル・ミュージック、中でもとりわけ
フィリー・ソウルへのアプローチを
徹底的に試みた一枚なのである。

女性コーラスとかブラスとかが全編贅沢に使われて、
ボウイの音楽性の幅広さを見せ付けてくる。


さて、これもやっぱり釈迦に説法のレベルでは
あるのだけれど、前回のHUNKY DORYの次に、
ボウイはロック史に残る強烈な作品を発表している。


正式なタイトルはひどく長い。
THE RISE AND FALL OF ZIGGY STARDUST
AND THE SPIDERS FROM MARSという。

アルバムの最初の発売当初、直訳した邦題が、
つけられていたのはたぶん有名な逸話だと思う。


「屈折する星屑の上昇と下降、
そして火星から来た蜘蛛の群」


いや、正直十分魅力的だとも
思わないでもないのだけれど。
作品のイメージともかなり合ってるし。

まあでも、修飾節の関係の把握は、残念ながら
どうやら正しくはないようですね。


念のために書いておくと、原題の本意は、
ジギー・スターダストなるシンガーと、
彼に率いられたバンド、
スパイダーズ・フロム・マーズの隆盛、
といったような具合になる。


この作品がエポック・メイキング的であったのは、
ここでボウイが、単なる彼自身としてではなく、
ジギー・スターダストなる架空の人物として、
ある種公的に登場して見せたことなのである。

だからあのビートルズの、あるいはポールの
SGT PEPPER’S~の発想を、さらにもう一歩、
押し進めて見せたものであることは、
容易にお察しいただけるのではないかと思う。


もちろんそんな見せ方のアイディアだけで、
今なお轟く名盤の称号を獲得できるはずもない。


同作の収録曲も相当凄い。Starmanも入っているし。
でも止まらなくなるので、そちらの話はまた今度。

余談、というかこちらは完全に脱線だけれど、先頃
レディ・ガガがゲストに出ていたSMAP×SMAPで、
無人島に持って行く一枚は何かという話になった時、
稲垣吾郎氏が挙げていたのが、このZIGGYだった。


へえ、と思ったものである。ちなみにガガの一枚は、
ツェッペリンのⅣ(FOUR SIMBOLS)だったと思う。


さて、ZIGGYの路線を継承したその次のアルバム
ALLADIN SANEの発表後、だがこの虚像ジギーを
突如自らの手で封印してしまったボウイは、
PINUPSなるカヴァーアルバムを一枚挟んで、
あのDIAMOND DOGSを制作する。

さらにそのアルバムを引っさげてのツアーの途上で、
いきなり彼はまた新たな変貌を決意するのである。


DIAMOND DOGS収録の楽曲群は、
やはりロックの範疇にあった。
むしろZIGGYを経由したことで、
一層すべてが研ぎ澄まされたのではないか
くらいに、個人的には感じている。


だがこのアルバムの音作りはあまりに異なっている。
同じアーティストの作品だということが、
にわかには信じられないくらいである

もっともアルバム全体としては、
楽曲の強さに些かばらつきがあって、
DIAMOND DOGSやZIGGY、
あるいはALLADIN SANEの圧倒的な完成度に比べ、
やや見劣りがしてしまうことは否めない。


聴き所が、オープニングのタイトル・トラックと、
それからジョン・レノンとのデュエットによる二曲
(Fame とAcross the Univers、後者はもちろん、
レノンのビートルズ時代の作品である)に、
留まってしまった感は、確かにあるかなとも思う。


だけどまあ、レノンとボウイの声が
一緒に聴けるなんて、それだけで極めて貴重である。

ただこのセッションが急遽収録されることになったため、
アルバム用に準備されていた幾つかの楽曲が、
結果として弾かれてしまったりもしたらしいから、
まあ一長一短といったところなのだろうけれど。


ちなみにこのFameは、ボウイにとって初めての
全米ナンバー・ワン獲得曲である。


有名であることの煩わしさを、音楽界のVIP二人が
痛烈に皮肉ったこの曲が、結果としてボウイに
新たな名声を付け加えることになった訳である。

さらにちなみに、彼の二曲目のトップヒットは、
あの83年のLet’s Danceである。当然のことながら
僕がオン・タイムで聴いていたのはあの辺りからです。


さて、この時期のボウイが自らの音楽を形容した言葉が
プラスティック・ソウルなる用語であった。


Young Americansはソウルの華やかさと、
ボウイ独特のやや斜に構えたクールさが
見事に融合した傑作である。

やっぱりそれまでのボウイの楽曲群には
決して見つからなかったグルーヴだし、
前にも触れたけど、最後の方で、ビートルズの
A Day in the Lifeの一節がさりげなく
引用されていたりして、その完成度は
心憎いばかりである。


白人アーティストとして初めて、
ソウル・トレインというTV番組への
出演を果たしたのもこの時期である。
もちろん同曲を披露している。


だからやはり、このトラックがまた一つ、
シーンの扉を開けたのではないかと感じるのである。

すなわち、ボウイがこの時期に、本作とそれに続いた
STATIONTOSTATIONとを制作していなければ、
たぶん僕の偏愛するブロウ・モンキーズやABCや、
あるいはスタイル・カウンシルといった面々による
同じ手触りの作品群は、たぶん
生まれていなかったのではないかと思うのである。


そしてこのソウル・ミュージックへのアプローチは、
そのSTATIONTOSTATION収録のGolden Yearsなる
トラックで一つの到達を見ることになる。


しかし、ところが、なのである。

実はこの時にはもうすでに、ボウイは次なる変貌へと
軸足を半分ずらしてしまっているのである。


それはいわば、後にアンヴィエントといった用語で
形容されることになるジャンルへの接近だった。


その片鱗は、同作の十分を越すタイトル・トラックに
すでに垣間見えていたのではないかとも思われる。