浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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テーマ:
おそらくは史上最も成功した
ガールズ・バンドだと

断言してしまって
大丈夫なのではないだろうか。

バングルズという。

グレイテスト・ヒッツ/バングルス

¥1,836
Amazon.co.jp

念のためだけれど、もちろん
アクセサリーのバングルに
由来したバンド名である。

86年にリリースされた
Manic Mondayなるシングルが

当時いわば全盛期だった、
プリンス(♯138)の提供曲という
話題に引っ張られる形で

それこそあれよあれよという間に
随所で耳に入ってくるようになり、

僕自身もそれでこの方たちの
存在を知ったという感じであった。

実際本当、なんかLAから
プリンスの後押しで

ランナウェイズみたいな
女の子だけのバンドが
どうやら出てきたらしいけど


それにしてもこの曲、
まさにプリンスだよなあくらいに
思いながら見ていたら、

瞬く間にこのManic Monday、
二位にまで上昇してしまった。

ちなみに同曲のトップ獲得を
結果としてついに阻んだのは
殿下御自身のKissだったから

まあ本当、80年代中盤の
プリンスの影響力というのは
やはり計り知れなかったのである。

もっともこのバングルズは
いずれここでも扱うつもりの


シーラEやジル・ジョーンズ、
タジャ・シヴィルといった
女性アーティスト群とは異なり、

殿下自身が発掘し
全面的にプロデュースして
世に紹介したといった訳では
ちっともなくて、

デビュー・アルバムを
たまたま耳にした殿下が

一発でメンバーの一人、
スザンナ・ホフスの声に

惚れ込んでしまったといった
経緯であった模様。

実際プリンスはホフスに
バンドを離れて

自分のプロデュースで
ソロでやらないかみたいに
声をかけたりもしたらしいのだが、

これはホフスの方が
固辞したのだといった噂も
当時なくはなかった様子である。

さすがに真偽のほどは
確実にはわからないけれど、

でもたぶん自身のレーベル
Paisley Parkを
立ち上げたばかりだった殿下が、


有望なアーティストを
探し求めていただろうことは
十分に想像できるかとは思う。

引き抜きこそ成功しなかったものの、
それでもプリンスはホフスに

自分の手による曲を
歌ってもらいたかったのだろう、

それがこのManic Mondayの
提供に繋がったことは
こちらはほぼ間違いがないはずである。

もっとも曲そもそもは、
映画『パープル・レイン』の
ヒロインを演じた、


アポロニアと
彼女のグループのために
書き下ろされていた
ものではあったらしいのだが。


さて、実際には
彼女たちバングルズのデビューは
81年のことになる。

まず最初は自分たちでシングルを
一枚だけ作成する
ところから始めているのだけれど、

これがすぐ
マイルス・コープランドなる
プロデューサーの目に留まる。

この方は実はポリス(♯34)の。
ステュワート・コープランドの
実のお兄さんだったりもして、

当時LAに基盤を置いて
IRSという
レコード会社を主催してもいた。

近々ここで扱う予定の
ゴーゴーズもまた

同じくこのM.コープランドに
見出される形で
同レーベルから
デビューを果たしているから、

たぶんこの時期この方、
ランナウェイズのような
ガールズ・バンドを世に出すことに
執心していたのかも知れない。

もっともこのバングルズに関しては
続いたミニ・アルバムこそ
IRSからのリリースではあったが、


基本はマネージメントだけを引き受け、
本格的なレコーディングの契約は
当時の最大手CBSに委ねている。

その判断の理由までは
正直よくわからないけれど、

いずれにせよこのデビュー作が、
なんとも早幸運なことに
上述のように殿下の目に
留まったという次第であった。


確かにスザンナ・ホフスの声は
いかにもプリンスが
気に入りそうな感じである。

コケティッシュといおうか、
ちょっと子供っぽいというか、


でも色っぽいとか艶っぽいとか
そういうふうにいってしまうと
なんだかちょっとどころでなく違う。

――エッチい。

たぶんこの言葉が一番はまる。

でもなんでだろうなあ。

まったく扇情的ではないんだけどなあ、

ちょっとおませな小学生みたいな、
そういう不思議な手触りがある。

しかしおませって。

自分で書いてて笑ってしまった。

今はああいうの、
いったいなんて
表現すればいいんだろうなあ。

まあ基本は30年前の話だから、
その辺りはどうか
笑って許してやって下さい。



さて、このManic Mondayの後、
同じアルバムから続いたシングルは

さほどのインパクトを
市場に与えることも
残念ながらなく、

あのヒットはやっぱり
殿下の後押しの故だったかくらいに
それこそ外野の僕なんかが
そんなことを思い始めた矢先、

ところが三枚目のカットだった
Walk Like an Egyptianなる曲が、

リリースされたかと思ったら、
なんだかやっぱりいつのまに、
今度は一位にまでなってしまった。


正直当初は、
何故これがこんなに売れるのか
ちっともさっぱりわからなかった。

やがてビデオを目にして
そこでようやく納得がいった。

エジプト人みたいな歩き方っていう
このタイトルというか、

その動作が何故だかアメリカ人に
相当受けたんだろうと思う。

モンティ・パイソンの
ジョン・クリーズによる
彼の有名な
シリー・ウォークほどではないけれど、

それとよく似たニュアンスの、
いわゆる壁画の中の
エジプト人たちから想起される、
ふざけた手の動かし方が

年齢層を越えて、
面白がられてしまったという背景が
実はあったのではなかったろうか。

もっと端的にいってしまえば
子供が真似できるような

そういうネタとして
消化されたのではないかと
そんなふうに感じるのである。

ある意味ではピンクレディーや
あるいはパフュームのダンスを
小学生が真似するのと


どこか通じるものが
あったのではなかったろうか。

あるいはヒゲ・ダンス的な。

いや、実際この辺になると
例えが大方古くさくなって
本当に申し訳ないのだけれど、

まあとにかく、そんなことを
考えたりしなかったりしながら、

今回もウィキなどを、
いろいろ見て
一応ウラ取りしてみたところ、


実際この曲の作者である
マイケル某は、

フェリーの上で同乗した乗客たちが
バランスを取ろうと、

手を広げて右往左往しているのを見て、
最初の着想を思いついたのだそうで。

そういう訳でこの曲もまた
外部のソングライターからの
提供曲だった訳なのだが、

見事このバングルズに
キャリア初のナンバー・ワン・ヒットを
もたらす結果となったのである。

これがまさに、いわゆる
ガールズ・バンドとしては
史上初の快挙であった。

ついでに付け加えておくと、
このEgyptianは何故だか、

01年のあのテロの直後、
某団体が非公式に作成した、

オン・エアに相応しいかどうか
疑わしい楽曲のリストの中に、

レノン(♯1)のImagineや
ネーナ(♯110)の99 Luftballonsと
一緒になって、
タイトルを連ねているのだそうで。


正直どういう基準だかは
まったくよくわからないのだけれど、
やっぱり地域的な問題なのかなあ。

ちなみに同リストでは、
AC/DC(♯135)から
Dirty Deeds~を筆頭に全7曲、

レイジ・アゲンスト・マシーンに
至っては、録音のすべてと
記載されてしまっているらしい。

まったく誰がどういうつもりで
作ったものだったんだか。

そしてこのImagineの
放送禁止あるいは自粛に対し、


マドンナ(♯141)がすぐさま
抗議の声明を発表したのは、
皆様ご記憶の通りかと思う。


さて、そういった訳で
デビューから六年足らずで
ほとんどあっというまに
トップにまで登り詰めた

このバングルズの快進撃は
しかしここでは止まらなかった。

翌87年には映画
『レス・ザン・ゼロ』に提供した

サイモン&ガーファンクルの
Hazy Shades of Winterのカヴァーが
再び2位まで昇り詰める。

この時トップを阻んだのは
ティファニーだったらしいのだが、

いずれにせよこの頃には確か、
バングルズはバンドなのに、

自分たちで書いた曲が
なかなかヒットしないよね、なんて

陰口という訳でもないけれど、
まあそんな口さがないことを

僕自身も思っていたし、
いろんなところで
囁かれ出していたようにも思う。


それが本人たちに
聞こえたのかどうかは
もちろんわからないのだが、

前作からほぼ二年を開けて
いよいよ登場した3rdアルバム
EVERYTHINGからの、

二枚目のカットだった
このEternal Flameが

ついにめでたくバンド二曲目の
そして彼女たち自身の
ソングライティングによる

初のトップ・ワン・ヒットと
なるところまでいったのである。


ちなみに女性だけによる
編成のグループで、
複数の一位獲得曲があるのは。

あのダイアナ・ロスの
スープリームスと

それからやはり60年代の
シュレルスなるグループ
だけなのだそうで、

だからここに自分たちで楽器を
演奏していたという条件を加えれば

このバングルズが掛け値なしに
唯一無二の存在だということになる。


しかし本当にこの
Eternal Flameは
見事なほど美しいバラードである。

それまでのバングルズの
レコーディングとは
まったく手触りが違っていて、

こんなこともできるんだという、
新鮮な驚きを

感じさせられたことは
結構鮮明に記憶している。

ちなみに同曲のレコーディングの時、
スザンナ・ホフスは何故だか、


本当にすっかり裸で
マイクの前に立って歌ったらしい。

というのも関係者の誰かに
オリビア・ニュートン=ジョン(♯130)の
あのパフォーマンスが出てくるのは、

彼女がレコーディングの時、
裸になっているからなんだと

まあ面白半分にからかわれたのを、
真に受けてのことだったらしい。

もちろんこのネタがあったことが
トップ・ワン獲得の
助けになったのかどうかは不明。


一応また横道に逸れておくと、
シンディー・ローパー(♯142)も
SHE’S SO UNUSUALの制作期間中

レコーディング・スタジオで
オール・ヌードで
一人で踊っていたりしたらしいから、

まあ、そういうエネルギーが
ひょっとして録音に
封じ込められてしまうような場合も
決して皆無ではないのかもしれない。

あ、念のためですが、
このネタはどっちも本当に
決して勝手に
作ったりはしていません。

オリビア以外はだから実際に
レコーディングの現場で、
一糸まとわぬ姿になっていた模様です。

ここでガンズのあのネタに
触れるべきがどうか、
ちょっとだけ迷ったけれど、
やはり今回は自粛。

知っている人だけ笑って下さい。


さて、かくのごとく、
わずか三年あまりの間に

トップ・ワンか
それに準ずる大ヒットを

四曲も産み落とした
このバングルズだったのだけれど、


しかしながらこのアルバム
EVERYTHINGを最後に
バンドは一旦解散してしまう。

それでもその後、
03年には再結成を果たしていて、

これは僕もなんだか懐かしくて
思わず手に取ってしまった。

このDOLL REVOLUTION所収の
Something that You Saidは
たぶん名曲といっていい。

これを初めて聴いた時は
どこがどうという訳でもないけれど


なんとなくビートルズを思い出した。

実はでもそれも道理で
そもそもがこの
バングルズというバンドは

ビートルズ・マニアだった、
ギターとドラムの
ピーターソン姉妹が

やはり同バンドに心酔していた
ホフスと知り合ったことで、
原型が作られたということらしい。

その後まあ草分けといっていい
ランナウェイズにも在籍していた
マイケル・スティールが
ベーシストとして加わって、

あの黄金時代を
迎えたという経緯であった。

確かにコーラスへの
こだわりみたいな部分には

このアルバムの全体で
改めてビートルズの影響を
強く感じたりもした。

ちなみに同作のタイトル曲
Doll Revolutionは
コステロ(♯66)の
カヴァーだったりする。

なんかやっぱりホフスは
こういう天才肌の人に
根強い人気があるらしい。


結局はマイケル・スティールが
このDOLL REVOLUTIONの後
バンドを離れてしまったらしいのだが、

それでもバングルズは
新たなベーシストを迎え、

11年にもまた
新しいアルバムを発表している。

こちらはまた
機会があればという感じでいる。


さて、ではそろそろ締めの小ネタ。


まだブレイク前の彼女たちの
つまり1stアルバムからの
シングル・カットだった曲に、

Going Down to Liverpoolという
トラックがある。

このビデオに実は
あのレナード・ニモイが
何故だか出演していたりする。

だけどニモイといっても、
もうたぶんすぐには
わからない人ばっかりなんだろうけど、

スター・トレックで最初に
ミスター・スポックを
演じられていたのがこの方である。

もう僕なんかは
あのイメージが強過ぎて、

コロンボで犯人役で出てても
宇宙人にしか見えなかったり
したものだったりもしたのだが、

この時ニモイは
メンバー四人を乗せた

タクシーのドライバーとして
前半ほぼ出ずっぱりなのである。

で、まあ、カー・ラジオから
同曲のイントロが流れてきて、


すると後部座席の四人が
待ってましたとばかりに
一斉に歌い出す訳なのだけれど、

このビデオの何がすごいって、
難しい顔をしたニモイが、

途中でラジオのスイッチを
おもむろに切ってしまうのである。

いろいろとビデオ・クリップは
それなりに見てきている
つもりではあるのだが、

ここまで完全にトラックを
途中で止めてしまった作品は


後にも先にも
この一本だけでは
なかろうかと思う。

ちなみに同ビデオの
ディレクションはなんと

ホフスのお母さんの手に
よるものだったりもする。

この方おおよそ映画監督として
随所で紹介されている様子なのだが、

本格的に映画を撮り始めたのは
ちょうと娘のデビューの
直前くらいの時期だった模様。

だからまだブレイク前の
1stアルバムの段階から

プロモーション・ビデオに
ニモイの出演なんてことが
実現できた背景には、

どうやらこのお母様と彼とが
かねてからの友人だったという
そんな理由も有った様子である。

ちなみに最初の解散の
直前の時期である87年には

ホフス主演、メガホンはこの
母親というラインナップで
映画が制作されてもいるらしい。


もっとも、出来の方はどうやら
決して誉められたものでは
なかったような様子なのだが。

まあこちらは僕自身まだ
一度も見てはいないので、

迂闊に断言して
しまっていいことでは
もちろん決してないのだけれど、

でもこういうのが解散の遠因に
なってしまったといった事情が
なかったんならいいんだけどなと、

ちょっとだけそんなふうにも
正直思わないでないでいたりする。

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