皆さま、こんにちは!
前回のブログで室蘭本線・大岸駅の訪問記を挙げました。
大岸駅とその東隣にある豊浦駅を結ぶ区間、
現在は全長2キロ強の大岸トンネルを経由する線路で結ばれてますが、
このトンネルが開通する昭和43年以前は、
山裾を迂回する旧線区間で結ばれていたのですよ。
そしてこの旧線の途中には、
昭和19年に開設された豊住信号場を前身とする
豊泉(とよいずみ)駅が存在していたとのこと。
新線の付け替えによって豊泉駅は昭和43年に廃止されましたが、
廃止から48年が経過した今も
ホームがそのまま残されているそうです。
駅自体もスイッチバック構造を持つユニークな配線の駅だったようで。
駅跡は胆振国道(国道37号線)からすぐの場所だそうですので、
現在の豊泉駅跡を眺めに行ってきましたよ!
まずは旧線に沿って伸びる胆振国道からです。
豊泉駅跡の目印は国道沿いにある「豊泉」バス停。
正面に見えるこちらの側道が、かつて豊泉駅に繋がっていた道でした。
すぐに豊泉公民館が見えてきますが、まだまだ直進しますぜ☆
間もなく未舗装道路同士の交差点が見えてきます。
いままで来た道と交差する道路、これこそが旧線の廃線跡なのですよ。
右側が大岸駅方向、左側が豊浦駅方向でした。
ここで昔の航空写真をチェック。
豊泉駅が廃止された3年後の昭和46年に撮影された写真です。
写真にこの踏切が写っているの、わかりますかね?
この踏切がある地点から
スイッチバックの横取線が分離していたようです。
雑草の切れ目がかつての横取線跡ではないかと。
こちらは豊浦駅側の廃線跡でした。
この奥に豊泉駅跡がありますので、ここから歩いて進むことにしました。
しばらく砂利道が続きますけど…
足元に転がる石っころ、道床で使われていたバラストなのかな?
3分ほど歩くと白い建物が見えてきました!
いよいよ豊泉駅跡に到着か!?
ウホッ!道の両側にホームが残ってるじゃないの!
接近してみました。
ブロック積みのホームが見えますよね?
こちらは反対側にある下り線ホームです。
両側のホームとも、撤去されずに残っていることを確認。
構内踏切跡です。
豊泉駅跡最大の見せ場でしょう。
…と、ここで写真を撮っていると
ホームの奥からガサガサと物音が聞こえてきたのですよ。
熊に遭遇!?ひょっとして自分、一巻の終わりなの?
ドキドキしながら固まってたら、奥から一人のオジサマが現れました。
お話を聞いたところ、15年前からここで生活されている御方だそうです。
豊泉駅のことが知りたくて来たことを話したら、
「ついてきなさい」と奥に通してくれましたよ。
まずは煙突があるこの場所。
ここに駅長さんが住まわれていた官舎があったそうです。
その手前側、写真に見える空き地に豊泉駅の待合室があったらしく。
この煙突も駅長の官舎で使われていたモノなんですって。
その煙突も現在は崩落の危機にあるらしく、
町から散々「撤去した方が良い」と言われているそうです。
でもね、オジサマはなかなか撤去に踏み切れずにいるのだそう。
煙突の下には倉庫があり、
そこに野良猫さんたちが住み着いているのが理由だとか。
最近、その野良猫がマムシ噛まれて苦しんでいるところを
オジサマが発見し、獣医さんに連れて行ったそうです。
「薬代とか俺が全部払ったよ」とプンスカされてましたけど、
大切な家族の一員なのでしょうね。
オジサマの笑顔に心が浄化されていた自分でした。
お次は奥にある白い建物、こちらがオジサマのお住まいです。
ここもかつては国鉄官舎だったみたいですね。
建物は縦割りされ、4世帯が入居可能な仕様でしたが、
現在は2分されてお二人がお住まいとのこと。
オジサマは「広くて掃除が大変だ」と嘆いてましたっけ。
他にも、豊浦駅側の廃線跡を見せてもらったり…
上の写真の同じ位置から豊泉駅の全景を眺めるとこんな感じです。
オジサマからは、駅のこと、町のこと等々、
興味深い話をいろいろとお聞かせ頂きましたけど、
一部には残念な話も。
豊泉駅で使われていた縦型のホーロー看板を
倉庫近くに飾っていたのですが、
知らぬ間に盗まれてしまってたんですって。
JR北海道管轄の他の無人駅でも看板の盗難が相次いでるようですけど、
犯罪ですからマジで止めてほしいですよ。
以上、最後はオジサマにお礼を言って豊泉駅跡を後にしました。
オジサマ、本当にありがとうございました!
最近廃止された駅は早々に施設が撤去されてるのに、
50年近くも前に廃止された駅が今でも残っているという不可解さ。
こんな謎が多く潜んでるのも北海道の魅力ですよね。
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