皆さま、おはようございます!

 

前々回から続いた石勝線・夕張駅ネタも今回が最後。

2度移転した夕張駅の、昭和60年まで営業していた初代駅跡に行ってきました。

(前回までのブログもぜひチェックくださいね)

【まったり駅探訪】石勝線夕張支線・夕張駅に行ってきました。

平成2年に廃止された石勝線夕張支線・夕張駅(2代目)跡地に行ってみた。

 

現地の様子を挙げる前にちょっとだけ夕張駅のことを…

国鉄夕張線、現在の石勝線夕張支線は、

夕張炭田から産出された石炭を輸送するために

明治25年に北海道炭礦鉄道が敷設した路線でして、

夕張駅はその終着駅として開業した駅でした。

路線は明治39年に国有化、以後も貨物輸送を主として繁忙期が続きますが、

昭和52年に夕張炭鉱が閉山すると

翌年には鹿ノ谷駅‐夕張駅間の貨物輸送が廃止。

その後は「石炭から観光に」町の財源を転換する市の事情に合わせて

2度の移転が行われたのですよ。

 

こちらは貨物輸送が途絶える直前の昭和51年に撮影された航空写真です。

石勝線(夕張支線)・夕張駅

 

そして現在の写真。

石勝線(夕張支線)・夕張駅

鉄道施設だけではなく、たくさん並んでいた炭鉱住宅も消え去り、

「この2枚の写真は本当に同じ場所なの?」

という感じですが、矢印の先に見える体育館に注目してください。

ねっ、同じ場所でしょ。

この写真を頼りに、現在の様子を確認したくて現地に訪れました。

 

まずは2代目夕張駅があった夕張市役所付近からつながる道道38号線です。

石勝線(夕張支線)・夕張駅

上に写る建物が、写真の目印でもある夕張市南部市民体育館でした。

道道は夕張駅移転後に経路の移転と道幅の拡張が施されており、

一部は夕張線の廃線跡が転用されたようです。

 

この地点から初代夕張駅跡地を見回しました。

石勝線(夕張支線)・夕張駅

石勝線(夕張支線)・夕張駅

うひゃ~、結構広いですね!

現在この場所は、夕張炭鉱の跡地を転用して作られたテーマパーク、

「石炭の歴史村」の駐車場として活用されておりますが、

自分が訪れたこの日は、秋から黄金週間まで続く長期休園期間中だったために

人の気配はまったくありませんでした。

というか自分が訪れた時刻、朝の7時前でしたしね。

 

駐車場に降りてみました。

石勝線(夕張支線)・夕張駅

 

道道と駐車場の間には大きな高低差があり、

アプローチ部分にはこのような大カーブが設けられたのですが…

石勝線(夕張支線)・夕張駅

 

このカーブが直進に変る所、スロープの中ほど辺りに

初代夕張駅の駅舎があったようです。

石勝線(夕張支線)・夕張駅

10年ほど前までは、ここに駅舎とホームが残っていたようですけど、

スロープの設置に併せて撤去されちゃったみたいですね。

入り口は他に施設南側にもありますが、

斜面がきつくて大型バスの出入りが困難なために

このスロープが設けられたのでしょう。

 

スロープを駐車場側から眺める。

石勝線(夕張支線)・夕張駅

駅舎とホームは駐車場のこの高さにありました。

駅舎の場所は築山の真下ですから、遺構を探すこと自体が無謀なのかも。

 

スロープ付近から夕張市役所方向を眺めました。

石勝線(夕張支線)・夕張駅

元の線路方向にアスファルトが打たれてましたが、

これが現存する、唯一の駅の遺構なんでしょうかね?

「石炭の歴史村」が出来てから打たれたものには見えないのですが。

 

それにしても、本当に広い敷地でした。

ここに40年前は石炭車がずらっと並んでいたとは…

石勝線(夕張支線)・夕張駅

 

なお、夕張駅には隣接する夕張機関庫がありまして、

構内には給水塔や転車台もありました。

一番上の航空写真の中央下辺りを探してくださいね。

現在この場所は、生キャラメルで有名な花畑牧場が建ってましたよ。

石勝線(夕張支線)・夕張駅

 

以上が初代夕張駅跡の現在の様子でしたが…

石勝線(夕張支線)・夕張駅

気になるのは「石炭の歴史村」で休園中のSL館と、

潰れた遊園地の敷地内にあった、

2代目夕張駅の駅舎でもあった3両の貨車のことです。

重ねて言いますけど、見れるチャンスがあればぜひ飛んでゆきたいですね。

いやいやいや、自分は鉄道ファンなので、

1日5往復しかない夕張支線の列車に乗って

夕張市内を再訪したいと思いました。

 

 

石勝線(夕張支線)


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