皆さま、こんにちは!
今日は個人的に憧れであった、
こちらの駅のことを書いちゃいますよ。
信越本線・二本木(にほんぎ)駅です!
なぜこの駅が憧れだったのか…
詳しくは後ほど書くことにしまして、
二本木駅は現役のスイッチバック駅としても有名です。
お隣には明治19年開業の、
同じくスイッチバック駅であった関山駅 がありますが、
こちらは関山駅より遅れること25年後の明治44年の開業。
とは言いましても、
開業当時から利用されている木造駅舎があったりと、
二本木駅は大きな魅力に満ち溢れているんですよ。
ご覧の通り二本木駅の駅舎には、
明治43年建立を示す財産標がしっかりと付いておりました。
ちなみに二本木駅、
新潟県内ではもっとも古い駅舎が残る駅なんですって。
建立から既に103年が経過ですか。
いやいやいや、二本木駅、凄すぎですって!
駅舎の中は意外とこじんまりしておりました。
駅舎の大半のスペースは、
ここで二本木駅の駅構内をチェックするために、
窓口で入場券を購入したのですが、
その際に駅員さんから、
「ひょっとして、駅が好きで見に来られたんですか?」
って聞かれたんです。
思わず自分、
「あぁ、駅、好きな方です。」
なんて遠慮気味に言葉を返しちゃったんですけど、
本当は「全身全霊で駅好きやってます。」
って返せばよかった。
小心者の自分のばかばかばか~っ!
すると駅員さん、
「ここは今では珍しいスイッチバック構造の駅なんですよ。
列車の経路が確認しやすいようにこちらを作りましたので、
なんかもう、駅員さんのファンに対する気遣いが身に染みて、
寒い日なのに心はぽっかぽかになっちゃいましたよ。
駅員さん、本当にありがとうございました。
それではさっそく、スイッチバックの様子を見ましょう。
えらくレトロ感たっぷりな通路母屋ですけど、
こちらも昭和17年に建立された戦前製のものだとか。
二本木駅の魅力は底なし沼やな~
二本木駅は島式ホーム1面2線構造です。
長く連なった母屋根がなんとも雪国駅らしいですね。
…とここで、都合よく直江津行きの普通列車がやってきましたよ。
奥右側に見えるのが本線で、
左側に見えるシェッドに覆われている線路が
スイッチバックの横取線です。
ここで客扱いタイム。
わずか2分ほどの停車時間ののち、
そして構内のポイントを経路し一番奥にある横取線に進入、
こうして普通列車は再び本線に戻り、
ちなみに、駅員さんからもらった指南書にもありましたが、
篠ノ井線の姨捨駅 と同様に、二本木駅を通過する列車に関しては、
スイッチバックすることなくスルーできる構造になっておりますのよ。
こちらは二本木駅に続く構内配線と本線の分岐点付近の様子。
手前の線路が直江津駅に続く本線です。
余談ですけど、駅の手前に本線が横切っていて、
駅の目の前を列車が通過する光景が楽しめちゃうのも
二本木駅ならではかと。
さて、最初に書いた、
二本木駅がなぜ自分にとって憧れの地だったかということですが、
二本木駅の西側に大きく広がる
日曹(日本曹達KK)二本木工場がありまして、
多くの貨物列車がここ二本木駅まで運行されていたのですよ。
こちらは昭和51年に撮影された航空写真ですが、
日本曹達は化成品輸送貨車(タンク車)を所有する巨大ユーザーで、
常備駅である二本木駅の名は、
貨車ファンの間では知らぬ者がいない存在でしたのよ。
自分は仙台在住ですので、
二本木駅はほど遠い位置にいるのですが、
検査のために仙台港駅やってきた日本曹達のタキを
いつかは雪うさぎ(日本曹達の社紋)で埋もれた二本木駅を
この目で見てみたいと思っていたんですけど、
当の貨物列車は平成19年に全廃されて、
二本木駅を発着する貨物列車は姿を消してしまったみたい。
時すでに遅しでした。
そんなことで、
現在は車両の留置も消え、寂しいほどに閑散としておりました。
そもそも日本曹達専用線の絡みで開業した二本木駅ですが、
専用線が消えた現在も移転先が無く、
スイッチバックは解消出来ぬままでいるんだとか。
明治生まれの駅舎と優しい駅員さんが待つ二本木駅。
来年3月には第3セクターのえちごトキめき鉄道へ移行されますが、
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