皆さま、おはようございます!
昨年の年末ですが、しなの鉄道の駅巡りを楽しんできました。
朝に軽井沢駅を出発してから日が暮れるまで、
しなの鉄道の駅をひとつずつ見て周ったのです。
駅巡りは順調に進み、お昼頃には小諸駅に到着しました。
小諸駅についてはこちらもチェックくださいね。
いつものように駅舎内をチェックし、
その後は構内を見て歩いたのですが…
1番線ホームを見て、思わず自分、驚愕しちゃったんです。
えっ?何に驚いたのかがわからない?
わからなくても、全然オッケーです。
これで違いに気づくのは、相当の駅ヲタだけですから。
駅舎から延びるホーム側の母屋根の柱です。
特異なカタチをしていると思いません?
下にいくにつれて細くなっていき、
化粧板が斜めに貼られているのでした。
上の画像、カメラの露出の関係で木目の向きが見難いので、
周囲には、後天的に別の木板が貼られておりますが、
柱の構造がよくわかるショットですの。
実はこのタイプと同様の柱を持つ駅が他所にもありまして、
青い森鉄道(旧・東北本線)の陸奥市川駅の柱がそれなのでした。
上の画像は陸奥市川駅ですが、
柱のカタチや大きさ、木目の向きまで、
何から何まで小諸駅の柱と一致しているのですよ。
陸奥市川駅についてですが、
昭和16年に完成した陸軍・八戸飛行場が戦後に米軍に摂取、
キャンプ地となったことから、
最寄りの陸奥市川駅は米軍主導の元で
駅舎の建て替えが行われた経緯があります。
その時に建て替えられた駅舎は、
真っ白で巨大な姿から「白い巨象」と呼ばれていたとか。
陸奥市川駅についてはこちらも読んでいただけると嬉しいです。
後に駅舎は建て替えられてしまいましたが、
歴史的要素が認められたのか、
この柱が記念碑的に3本だけ残されているのでした。
ちなみに建て替え前の陸奥市川駅は、こんな雰囲気だったようです。
もうね、小諸駅と瓜ふたつって感じで。
米軍主導で建てられた駅舎といえば、
陸奥市川駅と同様の経緯を持つ奥羽本線・神町駅もそのひとつ。
こちらも、神町海軍航空隊基地が戦後に米軍に摂取された際、
駅舎内に連合軍鉄道運輸司令部事務所が置かれたことから、
米軍主導で建て替えられた駅舎なのです。
建て替え前の陸奥市川駅は、
神町駅にも似た造りの駅舎だったようですね。
余談ですけど、現在の陸奥市川駅の駅舎も、
ここで疑問!
小諸駅の駅舎の形状、母屋根の柱を見ると、
米軍の手によって建立された陸奥市川駅・神町駅によく似ております。
更に、しなの鉄道移管前の小諸駅には神町駅と同様に、
駅舎正面にアルファベットの大きな駅名表記がされいたとか。
陸奥市川駅・神町駅の駅舎建立年は昭和20年初頭、
小諸駅の駅舎建立年は昭和25年。
はたして小諸駅の駅舎建立に米軍が関わっていたのか、
それともただ単に、
当時の流行としてこのデザインが用いられたのか…
実態はいかに!
…というよりも、このデザインの駅舎は他所にもあるんですかね?
なんせ自分、東日本からほとんど出たことがないものですので。