皆さま、おはようございます!


昨年の年末ですが、しなの鉄道の駅巡りを楽しんできました。

朝に軽井沢駅を出発してから日が暮れるまで、

しなの鉄道の駅をひとつずつ見て周ったのです。


駅巡りは順調に進み、お昼頃には小諸駅に到着しました。

JR小海線の終着駅でもある、あの小諸駅ですよ。
e01230/しなの鉄道・小諸駅


小諸駅についてはこちらもチェックくださいね。

【まったり駅探訪】しなの鉄道・小諸駅に行ってきました♪


いつものように駅舎内をチェックし、

その後は構内を見て歩いたのですが…

1番線ホームを見て、思わず自分、驚愕しちゃったんです。


ばーん!
e01231/しなの鉄道・小諸駅

えっ?何に驚いたのかがわからない?

わからなくても、全然オッケーです。

これで違いに気づくのは、相当の駅ヲタだけですから。


注目して欲しいのは、この部分なのですよ。
e01232/しなの鉄道・小諸駅

駅舎から延びるホーム側の母屋根の柱です。

特異なカタチをしていると思いません?

下にいくにつれて細くなっていき、

化粧板が斜めに貼られているのでした。


上の画像、カメラの露出の関係で木目の向きが見難いので、

別の個所の柱の画像も挙げておきます。
e01233/しなの鉄道・小諸駅

周囲には、後天的に別の木板が貼られておりますが、

柱の構造がよくわかるショットですの。


実はこのタイプと同様の柱を持つ駅が他所にもありまして、

青い森鉄道(旧・東北本線)の陸奥市川駅の柱がそれなのでした。
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上の画像は陸奥市川駅ですが、

柱のカタチや大きさ、木目の向きまで、

何から何まで小諸駅の柱と一致しているのですよ。


陸奥市川駅についてですが、

昭和16年に完成した陸軍・八戸飛行場が戦後に米軍に摂取、

キャンプ地となったことから、

最寄りの陸奥市川駅は米軍主導の元で

駅舎の建て替えが行われた経緯があります。

その時に建て替えられた駅舎は、

真っ白で巨大な姿から「白い巨象」と呼ばれていたとか。


陸奥市川駅についてはこちらも読んでいただけると嬉しいです。

【まったり駅探訪】青い森鉄道・陸奥市川駅に行ってきました♪


後に駅舎は建て替えられてしまいましたが、

歴史的要素が認められたのか、

この柱が記念碑的に3本だけ残されているのでした。


ちなみに建て替え前の陸奥市川駅は、こんな雰囲気だったようです。
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もうね、小諸駅と瓜ふたつって感じで。


米軍主導で建てられた駅舎といえば、

陸奥市川駅と同様の経緯を持つ奥羽本線・神町駅もそのひとつ。


【まったり駅探訪】奥羽本線・神町駅に行ってきました♪
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こちらも、神町海軍航空隊基地が戦後に米軍に摂取された際、

駅舎内に連合軍鉄道運輸司令部事務所が置かれたことから、

米軍主導で建て替えられた駅舎なのです。

建て替え前の陸奥市川駅は、

神町駅にも似た造りの駅舎だったようですね。


余談ですけど、現在の陸奥市川駅の駅舎も、

旧駅舎の面影を残したデザインなのですよ。
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ここで疑問!

小諸駅の駅舎の形状、母屋根の柱を見ると、

米軍の手によって建立された陸奥市川駅・神町駅によく似ております。

更に、しなの鉄道移管前の小諸駅には神町駅と同様に、

駅舎正面にアルファベットの大きな駅名表記がされいたとか。

陸奥市川駅・神町駅の駅舎建立年は昭和20年初頭、

小諸駅の駅舎建立年は昭和25年。

はたして小諸駅の駅舎建立に米軍が関わっていたのか、

それともただ単に、

当時の流行としてこのデザインが用いられたのか…

実態はいかに!


…というよりも、このデザインの駅舎は他所にもあるんですかね?

なんせ自分、東日本からほとんど出たことがないものですので。