私のブログには、たとえば、以前書いたこの記事 にあるように
「食事代が安くついたのでホットした」というように結構心の内にある隠れた本音に付いても書いています。
それを読んだ人が「奥様もブログを読んでいるんでしょう?」と聞いてきました。
もちろん読んでいますよ。
そして爆笑しています。 o(^▽^)o
※ もっとも、そういった本音は、心の内にちらっとよぎった事を拡大させて書いているので、真意の大部分というわけではありませんが・・・・
私が、このようなことを書いている理由は
ひとつは、「愛というのは事実によって表すものである」という原則や
もうひとつは「愛とは感情の問題(心で何を感じたか)ではなく決心である」という原則であるということを知っていただきたいからです。
相手に愛を表すときに、心のすべてでそれができれば一番でしょうが、人間なかなかそういうわけにはいきません。
特に長年夫婦の確執がある中で、関係を回復させようとするときには、さまざまな思いが心の中をよぎることでしょう。
そういった中で、関係を深め、回復するための最良の選択をし、それを実行していくのです。
時には、まったく心が伴わないかもしれません。
それでも、その決心に基づいた行動は状況を変えていくのです。
この世が教えていることは、「愛とは感情」だということです。
揺れ動く感情や、好みに身を任せるように教えます。
そうであるなら、「貞操や忠実、継続、忍耐、対話、理解」ということばがばかばかしく感じてしまうかもしれません。
しかしこの「貞操や忠実、継続、忍耐、対話、理解」というキーワードこそ
高く安定した夫婦関係、そしてスピリチュアルレベルの夫婦生活の土台なのである。
本当のスピリチュアルセックスは技術的に何をどうするか(doing)によってもたらされるものではありません
関係のあり方がどうあるべきか(being)によってもたらされるのです。