ブログネタ:結婚して得るもの、失うもの
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私はいわゆる夫婦コーチングをしている人間なので、ほかの人たちとは違う視点で語らせていただきます。
結婚して失うものは自己中心的な自分です。
私の世代の人間が見てきたものは、親の世代の人間が自分を犠牲にして生きる姿です。
私がティーンエイジを過ごした80年代には古い価値観は崩れて、
「自分自身の人生を楽しもう」という風潮が盛り上がってきました。
たとえば DINKS(Double income no kids=共働きで子供を持たない)という言葉がはやり、それが幸せな生活であるという考え方が流布されました。
そして、そのような自分中心の生活が普通のこととして育った多くの人たちが今は親となり、子供を育てています。
つまり、現在は、自己をささげることの模範が家庭内にも社会にも希薄な時代です。
しかし、生活というものはもともと互いに対する奉仕と与えることによって成り立っているのではないでしょうか?
今日蔓延している多くの社会問題、個人の問題は (※)
間違った価値観の中に人が生きてきたことの結果ではないでしょうか?
※ (注)問題を抱えている人に必ずしも責任があるといっているわけではありません。現在社会はまかれた悪い種が実を結んだものであるが故、そこに生きているだけでその影響は免れないのです。
ある聖書の言葉の私なりの解釈はこうです。
愛によって互いに関心を持ち仕え合うことによって神が計画した人となりがうまく機能する。
(ガラテア6章2節の異訳)
この言葉にあるように、人とは本来、愛と犠牲によって互いに仕えあうことによって本来の機能が発揮されるように作られているのです。
ですから、結婚生活というのは、「不自由、束縛」と考える人が大勢いますが、ある意味、それは人を本来のあるべき姿に引き戻しているのです。
ですから、結婚することによって、何を得る、何を失うかを考えるだけでなく、今現在自分が立っている位置がすこし偏った位置にあるのではないかということを考えてみる必要があるのです。
そすうると結婚というものが、「自由を奪い束縛を与えるものである」と考えるだけでなく、「本来あるべき姿を思い起こさせ、それによって社会に良い影響を与えるものである」と考えることもできるのです。
結婚によって得るものについては
いろいろありますが、「夫の内にある宝 」という記事の中で書いたように、自分も知りえなかった本来の自分に出会うのです。
この記事はまだ後に続きますので
こうご期待を ( ̄▽+ ̄*)
そして、日常生活の中でもっとも顕著に体験できることは「結婚生活がもたらす心の癒し(1) 」という記事にあるように、自分の心の傷が癒され、回復されるときなのです。
もっとも、その傷の癒しは、夫婦がぶつかり合うことによってもたらされるので、正しく対処をしなければ、より深い傷をもたらしてしまいます。
それこそ、「結婚は人生の墓場」といわれているゆえんなのです。
ですから、このブログは、より良くなるか、より悪くなるかの分水嶺(※)に立ち、あなたの人生に大きな変化をもたらすことを目的として書かれているのです。
※ 分水嶺(ぶんすいれい):水は高いところから低いところへと流れる。したがって、ほとんど同じ場所であるにもかかわらず山岳の稜線のどちら側に降るかで流れ込む川が変わり、たとえば注ぐ海が日本海側か太平洋側かと大きく変わってくるのです。
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