諏訪大社の謎 | misaのブログ

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神様を数える時、一人二人ではなく、一体二体でもなく、一柱二柱と言います。

その語源も古代イスラエルにあるようです。

今日は、諏訪大社と古代イスラエルとの繋がりをみていこうと思います。

天下の奇祭に隠されたいにしえの暗号



紀元前722年、古代イスラエル王国から忽然と姿を消した民がいた。

それは古代イスラエルの失われた民、10支族だった。

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彼らはシルクロードを東に移動し、日本に来ていた可能性が高い。日本に彼らの痕跡が非常に多く残されているからだ。

諏訪大社の御柱祭には驚くべき秘密があった。

この祭りと似ている事が、古代イスラエルでも行われていたと言う。

全国6500もの諏訪神社の本社である諏訪大社は、日本で最も古い神社のひとつと云われている。

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この由緒正しき日本の神社が、古代イスラエルと関係があると言う。

諏訪大社の十間廊と言う建物は、大きさだけでなく形と方角や使い方が全部、古代イスラエルの幕屋と同じである。

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幕屋とは、古代イスラエルの礼拝所の事で、その大きさは縦5.4m、横18mであるが、それが十間廊とほぼ同じ大きさとなっている。

さらに、東側に入り口があり西側に奥の本殿があるという造りも古代イスラエルの幕屋と全く同じなのである。

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西側に、各々神輿とアークが置かれ祈りが捧げられるという使い方も同じ。

そして、長さの単位にも驚くべき秘密があった。

日本で古くから使われている一間の単位176cmは、古代イスラエルの4キュビトに当たる。

つまり、日本の長さの単位は古代イスラエルの単位が元になっていたのである。

そして、諏訪大社の御神体山である守屋山も、古代イスラエルと深い関係があった。

イスラエルにもモリヤという丘があり、人々の信仰の対象となっているのだ。

諏訪大社が古代イスラエルに繋がるという決定的な証拠が、天下の奇祭御柱祭だった。

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御柱祭は、7年に一度行われている諏訪大社のご神事。

長さ17m、重さ10トンにもなる大木を氏子もろとも急斜面から逆落とし、死者も出るほど危険かつ豪快な天下の奇祭である。

この祭りと似ている事が古代イスラエルでも行われていた。

聖書の列王紀上第6章に、ソロモン神殿を造る時、レバノンの山中から大木を切り出し、エルサレムまで運んだという記述がある。

そもそも御柱祭とは、大木を山中から切り出し社殿まで運ぶという祭りなのである。

この祭りは、木の柱が崇拝されているが、古代イスラエルでも同じ考えがあり、木には神が宿るとされていた。

その古代イスラエルの女神の名はアシラ

日本語のという言葉は、古代イスラエルのアシラからきていた。

神=柱なのである。

諏訪大社の謎は、これだけではなかった。

諏訪大社には、御頭祭という奇祭もあるという。

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御頭祭とは、鹿の頭を祭壇に捧げるという奇妙な祭りだった。

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明治以前には、柱にしばられた8歳くらいの子供が生贄になり、神官が子供に刃物を振り上げた所で、別の神官が現れ子供を助け、鹿の頭75頭分を身代わりに捧げるという祭りだった。

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この祭りも古代イスラエルと関係があった。

聖書の創世記、第22章にアブラハムとイサクの伝承がある。

それによると、アブラハムは息子イサクを丘に連れて行きいけにえにしようとした所、神の遣いが現れてアブラハムを止め、息子の身代わりに羊を捧げたと書かれている。

そして驚くことに、その物語の舞台となった場所、それはイスラエル人にとって心の中心地、聖地中の聖地であるモリヤだった。

さらに、諏訪湖で行われる最大のご神事に御神渡がある。

御神渡とは、諏訪湖で冬に発生する氷の盛り上がり現象で、神が湖の上を歩いた跡と言われている。

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聖書のマタイによる福音書第14章に、ガラリヤ湖を船で渡る弟子たちの元に、イエス・キリストが水の上を歩いて来たという記述がある。

しかし、当時のガラリヤ湖は凍っており、キリストは氷の上を歩いたのではないかと云われている。

このように諏訪の地は、聖書の記述が数多く残る場所となっている。

古代イスラエルの民は、聖書と同じ現象が起こるこの諏訪の地を、安住の場所として選んだのではないか。

やはり日本のルーツは、古代イスラエルにあったのだ。

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<まとめ終わり>

諏訪がこれほどまでに古代イスラエルと関係があったとは驚きです。

まだまだ続きます。