かごめ歌は「失われたアーク」と関係があった! | misaのブログ

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日本語とヘブライ語の間には意味も発音もよく似た言葉が500以上もあると言う事を昨日、記事にしました。

驚くことに「君が代」もヘブライ語で解釈が出来るようです。

『クムガヨワ テヨニ ヤ・チヨニ
サッ・サリード
イワ・オト・ナリァタ
コ(ル)カノ・ムーシュマッテ』

意味
『立ち上がれ、神を讃えよ
神の選民 シオンの民
選民として 喜べ
人類に救いが訪れ
神の予言が成就する
全地あまねく 宣べ伝えよ』


そして謎多き「かごめ歌」も同様にヘブライ語に変換が出来るのです。

『カゴ・メー カゴ・メー
カグ・ノェ・ナカノ・トリー
イツィ・イツィ・ディ・ユゥー
ヤー・アカ・バユティー
ツル・カメ・スーベシダ
ウシラツ・ショーメン・ダラー』

意味
『誰が守る? 誰が守る?
堅固に封じられ、安置されているものを取り出せ
契約の箱に封じ納められた 神器を取り出し 代わりにお守りの形をしたものを造った
未開の地に 水をたくさん引いて
水を貯め その地を統治せよ』


何と!「かごめ歌」は「失われたアーク」と関係があったのです。

これを調べている時に、興味深い記事を見つけましたので、そちらからポイントを抜粋させて頂きます。

http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=110

この目隠しの遊びの原点は、大切なものが囲まれて隠されてしまう、すなわち、イスラエルの国宝である「契約の箱」が、隠されてしまうことを象徴したものであった可能性があります。

「夜明けの晩に鶴と亀が滑った」とは、「神器を取り除き、代わりにお守りの形をしたものを造った」という、「ユダヤの秘宝」の行く末に関わる貴重な証言だったのです。

ここに、本物の神宝が取り出されて偽物とすり替えられていた、という根拠を見出すことができます。

大切な「神器」は泥棒に盗まれることのないよう、エジプトのミイラや秘宝と同様に中身がすり替えられ、人気のない荒地へと移動されることになりました。

そこは元来、水さえもない、寂れた僻地でしたが、水を引いて貯水池を造ることにより、「神器」を移設して密かに保管する場所の目印としたのでしょう。

この歌詞の意味は重大です。それは、世界中で多くの人が関心を持ち続けてきた「契約の箱」が日本に持ち込まれたことを示唆しているだけでなく、その中に保管されていた「神の神器」が、外部からの侵略や盗難の被害を受けないように密に持ち出され、日本のどこか、人のよりつかない寂しい場所に隠されてしまったことを物語っています。

世界が注目すべきユダヤの象徴である「神の契約の箱」の到達点が日本であり、その中に秘蔵された「神器」が今でも日本のどこかに安置されている事実を歌ったのが、「かごめかごめ」だったのです。

この歌のメインテーマは「神器を守ること」です。

イザヤ書には「東の海の島々」において神を拝するという記述もあることから、その聖なる山が日本列島のどこかに存在しても不思議ではありません。

これらの文献に着眼したのが空海です。ヘブライ語を熟知して旧約聖書に精通し、しかも灌漑土木技術を学び、実際に水路を造る技量を持っていた偉人は、古代日本社会において空海以外には、和気清麻呂しか考えられません。

この2人は朝廷を介して出会いが有ったと考えられ、平安京の遷都も含め、双方が協力関係にあったことから、さまざまな情報を共有していたと考えられます。

そして荒れ野の山に水が沸いて花が咲き、病人が癒され、主の栄光が訪れるという聖書の言葉どおり、空海もまた、聖なる山に水路を造り、そこに神の栄光が宿ることを願ったのです。

その史実を歌ったのが「かごめかごめ」であり、作者は紛れもなく空海だったのです。

空海弘法大師が灌漑治水を学んだ理由は、単に庶民の救済だけでなく、聖なる神器を移し替えて秘蔵するための新たなる聖地を見出し、そこに水路を作るという天命を悟ったからに他なりません。

そして全国をくまなく行脚して水路を造り続けながら、神宝を温存するための聖なる場所を見出した空海は、聖書の教えの通りに水路を造成し、神宝を安心して長年、保存できる環境を確保した上で、そこに埋蔵したと考えられます。

それ故、イスラエルの神器が日本に運ばれて秘蔵されているという風説は、あながち作り話ではなく、しかもそれが本来埋蔵されていた場所から移設されていることまで記されていることから、これらのストーリーは事実として古代から伝承されてきた可能性が高いのです。

空海は四国に生まれ育ち、遣唐使として中国へ渡った際、ネストリウス派のキリスト教(景教)を学び、ヘブライ語を習得しました。

ヘブライ語と日本語を巧みにブレンドした「かごめかごめ」の作者は、語学の達人、弘法大師空海である可能性が極めて高いと言えます。

では、その場所が四国の霊山とも言える剣山なのでしょうか。

西日本で2番目に高い剣山の周辺地域では、ユダヤの秘宝が隠されているという噂が遠い昔から村々で語り継がれています。

剣山の麓は「日本のチベット」と呼ばれるほどの交通の難所であり、そこには今もってなかなか開発が進まない東祖谷山村(ひがしいややまそん/現・三好市)が存在します。

四国の真ん中に位置する人口2600人余りの小さい村で、その地域は高山に道を阻まれており、まさに秘境。

その東祖谷村でも、ソロモンの秘宝と言われる契約の箱が、この剣山下に隠されていると言い伝えられてきました。

村の観光案内でも公式に認知されていることもあり、単なる伝説ではすまされないようです。

しかも剣山には元来、鶴石、亀石、そして宝蔵石と呼ばれる3つの大きな岩石が頂上に存在し、山自体が「鶴亀山」とも呼ばれていたのです。

photo:01

<剣山の宝蔵石>

さらに、「かごめかごめ」のヘブライ語訳と旧約聖書のイザヤ書から、秘宝が隠された場所は、人為的に水を引いた溜池のある、人里離れた山地であると推測できますが、剣山の周辺からは水が沸き出ており、山の頂上がおよそ平坦になっているという不自然な地形から、剣山には人の手が加えられ、そのどこかに人工の溜池が潜んでいる可能性が高いのです。

ユダヤの秘宝も、人工的に水が引かれた山上付近の地下室に隠されていた可能性があり、そこに「お守りの形」にすり替えられた石像が目印として置かれたことを、「かごめかごめ」はヘブライ語で歌ったのではないでしょうか。

photo:02

<剣山頂上>

つまり、四国の剣山こそ、イスラエルの民が当初、祖国から持ち込んだ神宝を保存した場所であったと考えられるのです。

そしてその聖地から神宝は持ち出され、違う場所に移設されたと考えると、「かごめかごめ」の歌の主旨とぴったり合います。

それ故、空海の故郷に聳え立つ剣山は、神隠しの象徴であり、鶴と亀という「お守り」の岩によって、今でも古代の聖地を守護しているのです。

しかしながら、本物の神宝は、既に聖人らの手によって、別の場所に移設されていたのです。

<抜粋終わり>

何という深い洞察なのでしょうか。

これまで「かごめの歌」については、全く違う解釈をしていましたが、このヘブライ語の解釈が一番衝撃的です。

やはり、「失われたアーク」は剣山にあった可能性があり、既に他の場所に移されているようですね。

それはどこなんでしょう。

続きます。。。