ナスカの地上絵 | misaのブログ

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誰もが、ご存知のオーパーツのひとつにペルーのナスカの地上絵があります。

ハチドリやクモなど、巨大な絵が空からでないと分からない様に描かれているのです。

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絵だと認識されるまで、そうとは知らずに、アメリカ大陸縦断道路が作られてしまいました 汗

地上絵は、乾燥して酸化した地面の石を、幅1~2メートル、深さ20~30センチほど取り除いて、酸化していない白い面を露出させただけで描かれているからです ビックリマーク


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その存在は、1550年には分かってはいたようですが、正式に公表されたのは1939年になってからなのです。

絵の大きさは、10メートルから400メートルにも及ぶそうです 目


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動植物や魚、虫、人、幾何学図形など、100個以上は確認されている地上絵ですが、この大平原が長い間、雨がほとんど降らなかった事によって、保存されて来たのでしょう。


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もしかしたら、他の地にも、あちこちにあったのではと思います ドキドキ

一番驚いたのは、成層圏の宇宙衛星ランドサットから発見された地上絵があるというのです 叫び

長さ50キロもの、南を指す矢印のようなものでした。


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古代人は、何故、これほどまでに巨大な絵を描く必要があったのでしょう はてなマーク

明らかに、上空にいる誰かに見せる目的があったんだと考えられます。

ナスカの地上絵の謎は、未だに解けずにいます。


いろいろな説がある中、私は、浅川嘉富氏の仮説が一番納得出来る気がします !

中南米からアンデスにかけての多くの国々に残されている伝説をもとに、推測しているのです。



『インカが覇権を握る遥か前、最も古い時代に、ビラコチャと呼ばれる、ごく小数の人々がこの地にやって来た。

インディオたちは彼らの言葉を聞き、彼らに従って、街路のように広く、両側に低い壁のある道のようなものを造った。』

これが、地上絵の線だったのです !!



『太古の時代のある日、天から星が落ち、地は裂け、山のような大津波が襲って来て全てを飲み込んでしまった。

この大災害を生き残ったのは、高地に逃れたわずかばかりの人々だけだった。

大地は洪水で水浸しになり、太陽は幾日も顔を出さず暗闇と化し、それまでの文明はことごとく壊滅してしまった。

山間部の土地はやせて農業に適さず、半分を野生の動植物に頼ったその日暮らしの生活は、まるで人類発生時の生活に戻ったようなものであった。

そんな時、自分たちの民族とは全く異なる容貌をした不思議な人物が忽然と現れた。

彼の身なりは、あご髭をたくわえ、色白で、かかとまで届くロープををまとい、腰にはベルトをしめていた。

その男は時には一人であったり、又時には、数人の部下を連れていることもあった。

この人物に与えられた名前は、ペルー一帯では「ビラコチャ」や「ワラコチャ」、メキシコでは「ケチャルコアトル」や「ククルカン」等とまちまちであったが、名前は異なっても一様に言えることは、彼等は科学者であり、信じられないような技術を持った建築家であり、医者であり、時には教師であった。

そして、渓谷の険しい場所に台地や畑を作り、それらを支える壁を造った。

また、作物の作り方を始め、生活様式、灌漑用水や土木工事の仕方を教え、法律を作り、人としての正しい生き方までも教えた。

大災害後の混乱の淵に沈み、艱難辛苦に耐えていた人々にとって、自分たちをどん底の状況から救い出し、その後の文明の礎を作ってくれたビラコチャとその仲間達は正に救世主であり、神のような存在であった。

しかし彼等はその地にそう長くは留まることなく、再来を約束して次の地へと去って行った。

しかしその後、彼等は二度と戻ることはなかった。』


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浅川さんは、この伝説から、以下のように推測しています。

「当時、地球的規模の大災害をもたらした地軸の変化等により、大きく狂ってしまったであろう季節の変化を知る手懸かりとして、ビラコチャ達指導者が、季節毎の太陽や星の入り沈みを容易に観測させようとして、作らせたものたものではなかっただろうか はてなマーク

そのことは、暦としての役割を代々受け継いで来たインディオの子孫達が、その後の天体や地球の動きの変化を受けて、直線や絵図を少しづつ修正し、補足してきたことからも伺える。

また一方、巨大な幾何学模様はビラコチャやケチャルコアトルの一行が再びこの地に戻ってくる際の一種の目印でなかったかと思われる。

彼らが、再びこの地を訪れる時には、空の上から来ることを念頭に置いていたのではなかろうか はてなマーク



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諸説ある中、ピラコチャさんたち宇宙人に、ナスカはここだよービックリマークと示す目印として、巨大な地上絵が作られたと考えるのが、一番分かり易いと思います kira

皆さんは、どう思いますか はてなマーク