Without haste, but without rest.

急がずにでも休まずに。


ゲーテの詩だったかな。

学生の時にはあんまりピンと来ませんでした。


くりちゃんが卒業しました。

2009年の6月の蒸し暑いに日にセンターで初めてくりちゃんを見ました。

酷くやせ細り、下半身は麻痺していて、引きずる肢は褥瘡のように擦り剥けていました。

私は当時以前所属していた団体で千葉のセンター部門のお手伝いをしていました。

当時の私に引取の決定権限はありませんでした。

引き取れ無い子には心のシャッターを降ろすのみでした。

動物が好きで始めた手伝いです。

辛くない訳がありません。

でも理想と現実は違うのです。

断腸の思いでその場を離れても心は乱れます。

くりちゃんは・・・一度は諦めた子でした。

それを可哀相とは言わないでください。

それだけ、今後の生活が難しいと思われた子だったのです。

その決定を下した当時の決定権限を持つ団体代表も断腸の思いだったはずですから。

2日後、またセンターに行きました。


翌日朝に処分になる子が集まる最終部屋にその子はいました。

不自由な肢を引きずり、ドア越しの私達の傍に必死で駆け寄って来ました。

私は目を背けました。

諦めた子です。

もう明朝の死を待つだけの子でした。

今だったら、医療も進歩したし、車椅子事情も進歩したし引取対象になった子かも知れません。

でも当時の私達にはどうにもしてあげることは出来ない子だったのです。


その時に当時その団体の千葉の責任者をしていたペリさん は最終部屋のその子を言葉も無く見つめていました。

そして

「あの子を出してください。私が面倒みます。」

そう言いました。

一緒に居た団体の代表は反対しました。

その子の処分を望んだ訳では無いのです。

ペリさんの生活を心配したのです。


でもペリさんは言う事を聞きませんでした。

その時のペリさんは毅然として迷いなど無いような感じを受け、正直私は

「この人スゴイな」と思ったものです。



月日は経ち、私はペリさんの代わりにその団体の千葉部門の責任者になっていました。

数年後、ペリさんからメールが来ました。

会を辞めたいから、くりちゃんをどなたかに預かってもらいたいと・・・・

かわいいとは思っているが、どうしても家の子にしてあげる事は出来ないと。
正直言っちゃいます。


「自分が面倒見るっていってたじゃ無いか・・・怒」


今となっては笑い話ですが、どうにも勝手だなって思ったんだよ。ペリさん。


そして何かの話しの時にくりちゃんの話しをしてくれたpinoさん にお願いしたら、快く快諾してくれたのです。

pinoさんに預かってもらってから、なんだかくりちゃんがハンデなんて感じない普通の子、いやむしろ良い子に変わって行くのが実感してきました。

色眼鏡で見ていたのは実は自分だったんだと言う事にも気づきました。

でも正直ご縁は半ば諦めていたのも事実です。

2013年2月1日に前団体からARChは独立しました。

くりちゃん含め30頭の犬もそれに伴い移籍しました。


ペリさんのところに3年、pinoさんのところに3年。

思えば、くりちゃんを引き取ってから6年の月日が経っていました。



私の家の近所にpinoさんは住んでいます。

ある日、pinoさんの家の前を車で通りました。

夕陽が優しく差し込むお庭先でご主人様が愛おしそうにくりちゃんを抱っこしていました。

横にはpinoさんが座っていて、なんだかとっても優しい時間が流れているようでした。

この光景が全てなんだなって思ったのです。

どうしてあの瞬間をカメラに収めなかったのだろう、笑。

いつもpinoさんが言っていました。

「くりちゃんは一番手が掛からないんです」

圧迫排泄、下半身麻痺・・・ずる剥け無いように床材の工夫、車椅子での散歩・・・

大変な事ばかりなのですが、大変な事を日々の当たりまえの日常にして行くその前向きさがこの発言なのでしょうね。


そんなある日、私のパソコンにくりちゃんの里親希望が舞い込みました。

すぐに私はあんなさんに相談を入れました。

くりちゃんとの生活をpinoさん夫婦のように前向きに考えてくれるご夫婦かもと直感しました。

随分悩まれたようです。

毎日pinoさんのブログを楽しみにしているとありました。

私はメールでは無く、pinoさんに電話を入れました。

彼女は電話口で泣いているようでした。


里親様・・・くりちゃんを見つけてくれてありがとうございます。

pinoさん・・・くりちゃんを大切に大切に愛してくれてありがとう。

ぴのっとさん・・・毎日くりちゃんのお世話をありがとう。

あんなさんはじめARChのスタッフさん・・・くりちゃんの応援をありがとう

そしてぺりさん・・・くりちゃんの命を救ってくれてありがとう。


くりちゃんを最後に独占したくて、成田へpinoさんとくりちゃんを送って行きました。

千葉で最初にアナタを車に乗せたのも私。そして卒業の見送りも私だよ。



くりちゃん、いってらっしゃい。

里親様は今か今かと待っていてくださったんですって。



もうすぐ搭乗です。

普段泣かない私もちょびっとウルってきました。



福岡までの1時間ちょっとキャリーで我慢してね。

つい先日、グレオBAHBA様にご支援頂いた車椅子も嫁入り道具です。



里親様 どうぞくりちゃんをよろしくお願いします。


pinoさん、いっぱい泣いたんだろうな。

その水分は今度お酒でも飲もうね。


私とあんなさんがお祝いしなきゃって言ったら、

「ブログにくりちゃんの事を書いてください!」って。


頑張って書いたよ。

実に2時間掛けました、笑。


いつかくりちゃんご家族様とわんちゃん達、くりちゃんに会えるかな?

会えるといいな。