43.日本の近現代史を総括 1:江戸以前~江戸期 | 和敬清寂 ~書かぬが仏~

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■日本近現代史の総括■

第1回: 43.日本の近現代史を総括:江戸以前~江戸期
第2回: 69.日本近現代史の総括:明治~
第3回: 73.日本の近現代史の総括:日露~昭和・敗戦
第4回: 77.日本近現代史の総括:年表(ソ連建国以降)


■江戸期から現代までの評価
 ※私の独断です。


   ~江戸|明治^日露| 日露^敗戦  | 戦後~
政治力  ○   ○     ×       △ ×田中内閣以後
軍事力  ○   ○     ○ ×参謀  ○ ×自衛隊の予算
外交力  ○   ○     ×        ×
技術力  ○   ○     ○       ○ ×デフレ期
経済政策△    △      △       △ ×デフレ期
教育力  ○   △      △       ×
精神力  ○   ○      ○       ×

大きな流れを見ると、江戸から日露戦争までは順調だが、日露から敗戦まで大きく後退し、敗戦後は殆ど全滅という有様である。

各時代を分析すると、明治維新には敗戦に結びつくような要素が内在しており、それは江戸時代にすでにあった日本の矛盾が表出したと言って良い。


では、各時代区分について解説する。
───────────────
■江戸以前

○戦国時代、世界最強国だった日本

・鉄砲生産量世界一
 農民をすぐに兵力化できる。接近戦に弱い防御兵器。
・最強の弓兵部隊
 熟練に20年かかるが、小回りの効く最強部隊が作れる。
・武士道精神を持った士気の高い常備軍
 西洋は士気が低い傭兵中心。
・各藩は、いざとなれば挙国一致できる柔軟性があった。
・忍者、隠密、諜報活動に長けた集団を擁し、情報戦が得意。

これでは、欧米が日本を植民地にすることなど不可能。
江戸期もこの傾向は続く。


■江戸期

・不景気に倹約令を出して経済を悪化させる場当たり的政策。
 (一般人のほうが経済をよく分かっていた)

・それ以外はトータル的に満点に近い。

○江戸末期、
近代化した西洋の武器には勝てなくなったが、

幕府は、陸軍局を設け、フランス軍事顧問団を受け入れ最新の軍事技術を学び、銃器の輸入、関口製造所にて近代兵器の製造を行い、1万7千人を擁する大部隊(最大2万4千人)を持っていた。

また、米払い制を廃止、金納制とし、その資金で歩兵を雇用し常備軍を整備した。


薩摩や長州は英国やオランダからを近代兵器を手に入れ、長岡藩はガトリングガン2丁を取り寄せるなど、各藩は独自に武器の調達、軍政改革を行っていた。

ガトリングガン

長岡藩のガトリングガン


もっとも軍備に力を入れていた佐賀藩はエミュー銃やエンフィールド銃、アームストロング砲を自分達で製造し、英国製のものよりも高性能なものに発展させている。

ミニエー銃

エミュー銃

エンフィールド銃

エンフィールド銃


火薬と弾丸を別々に入れていたエンフィールド銃を火薬と弾丸がセットとなったカートリッジ式弾丸を発明し、射撃動作を飛躍的に向上させた。この銃を各藩に販売もしていた。

アームストロング砲

アームストロング砲:これを設計図だけで現物も見ずに作った。



英国のアームストロング砲は、炸裂弾で威力があり射程も長かったが、耐久性に難があり安定性に問題があった。

佐賀藩は実物を見た事がないのに、設計図だけでアームストロング砲を作って研究し、英国製の欠点を克服したものを製造する事に成功している。


軍艦建造
1853年(嘉永6年):幕府がオランダに軍艦建造を依頼。
同年      :薩摩藩が帆走式軍艦・昌平丸を建造。
1854年(嘉永7年):幕府が帆走式軍艦・鳳凰丸を建造
1855年(安政2年):薩摩藩が蒸気船・雲行丸(輸送船)を建造。
1866年(慶応2年):幕府が蒸気船軍艦千代田形を建造。

千代田形

千代田形

幕府で36隻、諸藩で94隻を保有し、海軍を整備した。
国内製造の艦船は優秀だった。


日本の技術力は凄すぎます。


○情報力
幕府は海外から情報を取り寄せ、海外情勢を分析しており、欧州の出来事を裏まで読んでいた。数少ない情報を元に徹底的に情報の裏を読む高度なインテリジェンス能力があった。


仙台藩の工藤平助がロシア情勢を分析し、ロシアの南下政策に危機感を抱いて幕府へ報告。それを受けて田沼意次が蝦夷地や樺太の探検を命じ、伊能忠敬が蝦夷地の地図を作成、間宮林蔵が樺太の探検に行った。

田沼意次

田沼意次



幕府はオランダや中国大陸などからの情報を入手して、欧州の情勢を徹底的に分析し、情報源に記述がない事柄でも丹念に類推し、欧州で起こった出来事をほぼ正確に把握していた。


○教育力
幕府も藩校も教育熱は凄まじいものがあり、白人研究、近代兵法の研究に余念がなかった。緒方洪庵の適塾では勉強しすぎで死人が出るほどであった。

寺子屋による初等教育もレベルが高く、江戸時代の識字率が世界一の水準。なので、文盲は殆どおらず、農家の長男以外は奉公に出され、番頭クラスにまで出世できた。


○外交力
ペリーが幕府に対して脅すように交渉が進んでいたとの定説になっているが、実際にはそうではなかった。

なめられペリー

なめられペリー

「墨夷應接録」によると、交渉を優位に進めていたのは幕府側で、戦争をちらつかせアメリカ船舶への安全を求めるペリーに対し、幕府側交渉人=林復斎は、遭難船には水と食料を与えてきた日本側の筋を通しペリーの出鼻を挫く。

林は貿易の話を切り出すペリーに対しても、話の矛盾点を突いて拒否し追い返した。


ハリスとの修好通商条約においては、いずれ全ての国との交渉に及ぶ事を想定し、最強国イギリスとは最初に交渉せず、当時、列強国の中で海軍を持たず最も弱小国家だったアメリカと先に条約を結んで、その内容で他の列強国も右に習えで条約を結ばせ、最も条件の甘い条約に止めた。


学校で習った内容と、実際とは全く違います。



明治期へつづきます。


69.日本近現代史の総括:明治~
http://ameblo.jp/arashi-toranosuke/entry-11794817986.html

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