エオラさんとメールのやり取りが始まって10日ほどたったころ、彼女は私に会ってみたいと言いました。

差出人: Erina Mizuki
件名 : RE: ずらずら
日時 : 1997年8月20日 17:16

アポロに会ってみたい。。。。。

たくさんの人がわたしのサイトへきてみんなわたしに会いたがる。。

でも私がはじめて会いたいと思ったのはアポロだけかもしれない。。。

きっと会わない方がいいのかもしれないけれど。。。

その2日後の私からのメール。

差出人: APOLLO
件名 : メール
日時 : 1997年8月22日 21:47

I love you, Erina.

Apollo

最初のメールでは「like」だったのが「love」に変わっていました。

彼女は「いたずらっ子ね」とはぐらかしました。

それからしばらくして私は彼女のサイトで写真を見つけました。

差出人: APOLLO
件名 : 壁紙
日時 : 1997年10月2日 10:11

Erinaの日記のページにある白黒の写真。
あれって、Erinaの写真?
ちょっと引き伸ばして、デスクトップの壁紙に閉じ込めてやった。
これでしっかりと目に焼き付けることができるようになった。
けっこう美人だ。

Erina

この時初めて彼女の写真を見たのか、あるいはそれ以前にも見たことがあるのかはわかりませんが、少なくともまだこの時は写真でしか彼女の姿を見たことがなかったのです。

彼女の方はまだ私の写真すら見ていなかったかもしれません。携帯にカメラなど付いていないのが当たり前の時代です。今のように気軽に写メを送り合うような時代ではありません。

差出人: Erina Mizuki
件名 : RE: 壁紙
日時 : 1997年10月3日 9:09

相変わらずいたづらっこね。。。
しょうのない子。。。
恥ずかしいから(壁紙にした写真を)はずしてね。。。
お願いだから。。。

あれはね、3年前のお誕生日の写真。。。
ぴいとぷうがまだ生きてたころのわたしよ。。。
笑ってるでしょう。。。
笑顔が自慢だったのね。。。
でももう笑わなくなって

髪もねぴいとぷうが死んで悲しくなって15年ぶりぐらいに自慢の長い髪自分でばつって短く切った。。。
いろんなこと試した。。。。

一心不乱に勉強してみたり、
体を苛めて鍛えまくったり、
おけいこ事をしまくったり、
旅行してみたり、
やたら友人の家に入り浸ってお酒を飲みまくって急性アルコール中毒になってぶったおれたり、

他の動物へ関心を向けようと努力したり

結局比較しちゃうからよけい悲しくなる気がしてね。。。
たぶん。。。ぴいとぷうを裏切る気もしてね。

結局何やっても生きる気力なんか湧いてこない、だからあきらめたの。。。
もう抵抗するのやーめよーってね。。。
もうどうでもいいやって感じ。。。。

今は外のにゃんこにごはんあげたり風来坊のにゃんこに話しかけたりする日々なの。。。

くら~いでしょう。。。だから写真のような明るい私じゃないの。。。

あぽろがドラキュラなら
わたしはゆき女ってとこかな。。。(笑)
だからこれからは私のシーズンって訳(笑)
寒さがぴったりよ。。。

夢うらなってもらっくれたお礼に今度アポロに電話する。。

でもわたしぼーっとして会話のキャッチボールがへたになってるから。。。
じょーずにしゃべれないと思う。。。

それでもいいならアポロのいる時間教えて。。。

私は自分のスケジュールと PHS の電話番号を伝えました。

その日の夕方に届いた彼女のメールを見ると、電話で話をした後に送ったもののようでした。

メールのやり取りを始めてから1か月半ほどでやっと電話でお互いの声を聴いたことになります。

電話ではたくさん話をしたようでした。止められないくらいにしゃべり続けたそうです。

彼女のメールには「うまく話せなかった」と書いてありました。彼女はなぜか泣いていました。

それから2か月後のメールには「チャット初体験」と書かれていました。

差出人: Erina Mizuki
件名 : 文字化け事件多発にてどつかれ姉上のエリナ
日時 : 1997年12月9日 2:28

先日はチャット初体験させてくださってありがとう。。。

とってもリラックスできて楽しかった。。。

くせになりそう。。。

でもおばか度にますます拍車がかかるあぶなさを実感ちまちた。。ばぶ~

当時はまだインターネットでのチャットが珍しかった時代です。私のタロット占いのサイトではかなり早い段階でチャットを導入して占いに活用していましたが、エオラさんとチャットをするようになるのはかなり後になりました。電話で話すよりもチャットの方が後だったようです。

当時から様々なチャットの手段はありましたが、エオラさんのお気に入りは「さぱり」という3D仮想空間でのチャットでした。

さぱり

その後の経緯はメールのログからはよくわからないのですが、1998年3月のメールには彼女が私の所に会いに来たことが書いてありました。おそらく、この時初めてお互いの生の姿と対面したのだと思います。メールで知り合ってからおよそ7か月です。

パソコンにメールの記録がほとんど残っていないのは、このころにはもうチャットや PHS でのやり取りが増えていたからかもしれません。電話で話す以外に PHS でもメールのやり取りは可能だったはずです。(当時はまだ携帯でメールのやり取りをするのは珍しかった時代ですが。)

彼女は高速バスに乗って、当時私が住んでいた松本までやってきました。

私は松本駅まで迎えに行きました。バスターミナルで新宿発のバスを待ちました。

バスが到着し、バスから降りてくる彼女の姿を初めて見ました。

彼女は大きな黒いサングラスをかけていたので、顔の半分は隠れていました。普段は昼間は外に出ない生活をしていたので、外に出る時は必ずサングラスをかけるということでした。でも、本当は恥ずかしかったからというのもあるでしょう。

駅から私のアパートまで歩いて帰りました。その時すでに、私たちは手をつないで歩いていました。直接手で触れ合ったのももちろんこの時が初めてですが、もうお互いに恋人として認識していたのかもしれません。

その日、彼女は私のアパートに泊まりました。

その日のうちにキスをして、体の関係も持ちました。直接会ったのは初めてでしたが、半年もの間メールのやり取りを続けてきた私たちは自然にお互いのことを受け入れていました。

それから彼女はほぼ毎月のように会いに来るようになりました。会いに来れば数日は泊まってから帰ります。そんな関係がしばらく続いていました。

ただ、私からは会いに行きませんでした。彼女がそれを望まなかったからです。

それには理由があったのです。

最初のころは私は知りませんでしたが、実は彼女は既婚者だったのです。いわば「不倫」の関係です。だから、私に来られては困るということだったのです。

後にその事実を知った私は激怒しました。既婚者であることを隠して私と恋人として付き合い、体の関係まで持ったことが許せなかったのです。私は騙されたと感じたことでしょう。

その後関係が悪化して、一時別れている時期もありましたが、なぜか和解して、いつの間にかまた恋人の関係に戻っていました。

「不倫」という形で始まった私たちの関係。彼女の病気や私の若さのせいもあり、二人の関係は常に不安定でした。何度も喧嘩をして関係が悪化することがありましたが、それでもどうにか修復しつつ、遠距離ではあるものの続いていました。

出会いと別れを何度も繰り返しつつ付き合い続けてきた18年間だったのです。

一時は10年近く疎遠になったこともあります。それでも再び関係を修復して恋人として付き合いを始めることができました。だからもう、しばらく疎遠になっていても「また元に戻れる」と思うようになっていました。

彼女自身も精神的に安定した状態のときには私に言いました。
「何があっても私を手放さないで。私はこんな病気だからすぐにぐちゃぐちゃにしちゃうけど……」

関係が不安定なのは彼女の病気のせいだと思うようにしていました。彼女は普通の人とは違うんだと、自分を納得させて待ち続けていました。待つことには慣れました。

でも、今はもう、元には戻れません。

失恋ではありません。死別したのです。

どんなに待ち続けても、永遠に戻れないのです。

そんな日が来るなんて想像もしていませんでした。

今でもまだ、その現実を受け止め切れてはいません。

彼女の手を握り続けてあげられなかったことを深く後悔しています。

彼女の手は、決して離してはならなかったのです。

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