久々にお酒を買ってきて飲みました。5か月ぶりくらいです。
私がお酒を飲むようになったのもエオラさんの影響です。
以前はお酒を飲む習慣はありませんでした。全く飲めなかったわけではないのですが、付き合いでたまに飲む程度でした。その割には強い方だとは思いますが、好きでも嫌いでもありません。
今から 2,3 年ほど前のことだったと思いますが、私は恵比寿のエオラさんの家に行き数日を過ごし、その帰り際に彼女は手土産として私に芋焼酎をくれたのです。1.8リットルの四角い紙パックの焼酎です。甲乙混合でアルコール度数は25度のものだったと思います。
ホワイトガーデン(彼女の占いの事務所)のあるビルのすぐ目の前にコンビニがあります。ファミリーマートだったかな。そこで買ってきた芋焼酎だということでした。
彼女は毎日お酒を飲む習慣があって、普段は酒屋かどこかに頼んで焼酎のボトルを配達してもらっていたようでしたが、ストックが切れると目の前にあるコンビニで買うこともあったそうです。いつもは麦焼酎しか買わないのに、その時は間違えて芋の方を買ってしまったのだとか。
彼女は酒飲みのくせに芋焼酎は苦手で、間違って買ってきたからといって仕方なしに飲むこともできないくらい嫌いだったようです。それで、酒飲みでもない私に手土産として押し付けたというわけです。
私はワインやビール、日本酒くらいまでならそこそこ飲み慣れていましたが、焼酎だけは全くと言っていいほど飲んだことがありませんでした。いや、彼女が飲むときには付き合って同じように水割りを作ってもらって飲んでいたことは何度かありましたが、焼酎の味がわかるような飲み方はしていませんでした。味もさっぱりわからず、ただアルコールを摂取しているという認識しかありませんでした。そもそも焼酎が何かということもよくわかっていませんでした。(実は、ワインやビール、日本酒のような「醸造酒」とは全く異なる「蒸留酒」という種類のお酒だったんですね。)
麦とか芋とか、そんなに好き嫌いがはっきりするほど違いがあるものなのかと疑問に思っていましたが、家に帰って彼女にもらった芋焼酎を飲んでみると、確かにちょっと癖のある独特の風味がありました。でも、私は不味いとは思いませんでした。意外と美味しいと思えたので、その時から芋焼酎にはまりました。目の前に1.8リットルもの焼酎があればどうにかして消費しなければならなかったので自然と毎日飲むようになります。
最初は焼酎の飲み方もよくわからなかったのでネットで調べたりしていろいろ試してみたのですが、お湯割りが一番おいしいと思えました。冬場は体も温まるので、お酒を飲むというよりは暖を取るのが目的でお湯割りを飲むことが習慣になってゆきました。だから夏場にはほとんど飲んでいなかったのです。
エオラさんはその日の占いのお仕事が終わると毎日必ずお酒を飲んでいました。たいていは家で
お仕事が終わったくらいの時間に何の前触れもなく突然電話やスカイプなどで連絡してくることがありましたが、そういう時はほぼ間違いなくお酒を飲んでいました。
お酒を飲んだ時の彼女は少し性格が悪くなります。仕事でたまったストレスを吐き出してくるので、そういう時はたいてい険悪なムードになります。そんな彼女の取り扱いには毎回手を焼いたものです。飲んでいる彼女には真剣に向き合っても損をするだけなので、たいていは適当にあしらって逃げるようにしていたのですが、彼女もかなり粘着気質になるので一度絡み始めるとなかなか逃がしてもらえません。
この動画を撮影しているときのエオラさんも既にお酒を飲んで酔いが回りかけているので、後半の口調はろれつが回っていなかったりしています。
目の前で一緒に飲んでいる時でも、彼女はだんだん壊れていって歯止めが利かなくなってくるので付き合うのは大変でした。暴力を受けたことすらあります。はっきり言って DV ですよ。
彼女のことを酒豪だとかお酒に強いだとかいう人がいますが、実際にはそんなことはありません。彼女は本当はお酒に弱いのです。でも、人前では気を張っているので乱れることもなく「お酒に強い人」を演じられていたのだと思います。周りの人たちが「お酒に強い」などともてはやすから、ますますそういう人を演じなければならないという思いを強めてしまっていたことでしょう。
彼女は、人前ではお酒を飲む時ですらリラックスすることができずにいたのです。お酒に強い「エオラ」という人格を演じ続けなければならなかったのです。相当なストレスを感じていたことでしょう。
でも、私の前では気が緩んでしまったのでしょうね。強がる必要もなく、リラックスしすぎて体中のネジが外れてしまったかのようでした。普段人前で気を張って強がっていただけに、どこかで気を抜くためのはけ口が必要だったのでしょう。彼女にとって私は都合のいいはけ口だったのだと思います。私の前では「エオラ」という仮面を脱ぎ捨て、「エリナ」となれたのでしょうか。
でも、お酒を飲んで壊れた彼女は私の知る「エリナ」でもありませんでした。彼女はもう、壊れてしまっていたのです。私にはそんな風にしか見えませんでした。
彼女が死んだ後、私はお酒に手を出すことはありませんでした。普通なら悲しみを紛らすためにお酒を飲んだりするのかもしれませんが、なぜか私はそういう気持ちにはなりませんでした。
大切な人を失った悲しみに負けてお酒に手を出していたらアルコール依存症になっていたかもしれません。幸い私は今まで飲まずに過ごしてこれました。
飲みたいという感情すらわかない。それが最も深い失意なのかもしれません。
お酒を飲んでどうにかしたいという感情は、それを糧にして元気を取り戻そうとしているわけで、「生きよう」という衝動の表れなのではないでしょうか。
だとしたら、毎日お酒を飲んでいた彼女も、本当は生きることに貪欲だったのかもしれません。
「生きていたい。」
そう思うから、飲んでいたのでしょう。
でも、そのお酒が彼女を殺したようなものです。壊れてしまった彼女は、足元がふらついても傍には支えてくれる人はおらず、転んで頭を打って死んでしまったのです。
彼女のことを酒豪などと言ってもてはやした人たちを恨みます。