原発の話になるとその精細な洞察力がゼロになる三橋氏 | 三橋貴明氏の原発再稼働を批判するブログ

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原発を延命するのに使うお金、次のエネルギーを開拓するのに使うお金。
次に原発が事故る確率と、次のエネルギーの技術革新が起こる確率。
次に日本で大地震が起こる確率と、原発の組織内で癒着が起こる確率。

三橋貴明氏の経済政策は正しいが、原発推進は間違い。

最近になって、三橋氏がデータに基づいた主張をしない記事が多くなったと感じます。

何の知名度もなかった昔の三橋氏は、人々を説得するためには、動かぬデータを指し示して、データによって説得しなければ、誰も聞く耳を持たなかったので、何かを主張したいときには、決まってデータに基づいた主張を徹底していたように感じます。

それに引き換え、最近の三橋氏は、知名度も上がり、データを示さなくても主張すれば、そのまま鵜呑みして理解してくれる人々が周りに増えたのでしょうか、どんな味を占めたのか、言葉の力だけで主張する記事が、目立つようになったと感じます。三橋氏は、もともと、財務、会計がご専門ですから、財政、経済など、三橋氏の得意分野では、データに基づいて主張する一方、最近は、よく知らない分野にも言及の幅を広げ、そこでの主張は、知らないのでデータに基づくこともありません。このように各分野でデータに基づく基づかないを巧妙に織り交ぜてくるものですから、注意して見なければ騙されてしまい、非常にたちが悪いのです。

9/17の記事[1]は、印象操作を行うちまたの社説と、区別し兼ねてしまいます。
レント・シーキングという抽象語を用いて、主張をするようになったのも、言葉の印象だけで語る新聞記事と、まるで同じかのようです。

とりわけ、原発の話になると、言葉の力だけで主張するようになり、データを示したと思えば、多角的にデータを調査せず、正確性が分からないデータを鵜呑みにし、あるいは、一部しか見なかったり、オーバーに表現する[1][2]。三橋氏は原発の話になると、その精細な洞察力がゼロになるのだろうかと、その変貌ぶりが信じられません。原発再稼働という、結果ありきの議論に見えるのです。
[1] http://ameblo.jp/ap-o-mp/entry-11443265228.html
それとも、三橋氏には、原発関連のお金が懐に入ってきているのでしょうか。これ以上、再生可能エネルギーの普及が進んでしまえば、原発再稼働なんで言えなくなるー、ということで、必死に制度を阻止しようと、慌てているかのように見えてしまいます[1]。もっと、取れる選択肢はあるはずなのに、なぜ、急に、原発再稼働に行きつくのか、不可解でなりません。奇妙です。
[1] http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11615536715.html