最近の母 | そらぶろ

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果物大好き、お菓子大好きな糖尿病の母。
なんとか食生活を改善しようと手伝い中です。

「おばあちゃんが優しいと、ちょっと気持ち悪いんよなあ」と娘。
優しくされて気持ち悪いっていうのもどうかなんですが、普段きつい思いしている娘はそう感じてしまうんですね。
なにがあったのか聞いてみました。

娘がお弁当を作っていた日のこと。
「おかず何?」と母。
ベシャメルソース作りながら「クリームコロッケだよ」と答えると「かぼちゃコロッケ食べたいわ」と母。

両親はクリームコロッケは嫌いで食べません。
応用ではなく一から作らなければいけない娘は内心「めんどくさいなー」。
それでもたまたま時間があったので作ると「美味しいわあ。ありがとう」と母。

「おばあちゃんに“ありがとう”や“美味しい”言われたの一年ぶりくらいじゃあ。
嬉しかったけど…」

娘の語尾の「…」は、「おばあちゃんがいつも普通でいるわけではないから」を含んでる。


前回私が実家に行ったときのこと。
父に「玉子は冷蔵庫に入れなくていいんよ」と言った私の声を聞いた母は、玉子を食器棚に入れました。
それも、かなり奥に無理して。
「そんなとこに片付けたら忘れちゃうよ」
そう言っても頑として他の場所へは移さず。
昼ご飯をパンにしようと用意していたら、バターをガラスの器に入れてトースターで溶かそうとする母。
「だめだめ、割れちゃうから」
そう言っても、ガラスが熱で割れることは母にはわからなかった。

私が行くときでさえそんなだから、娘はもっとたくさんのことを見ていて、だからこそ普通の反応をされると驚くんだろうな。


それでも、怪我をしなければ構わない。
認知症が進んで今困っているのは、インスリンの注射をしたかしなかったかを母が忘れてしまうこと。
インスリン注射は正しく打てば効果があるけれど、打ったのに食事を取らなかったり、必要以上に打ったりすると低血糖の発作を起してしまう。
そのとき近くで誰かが気付かなかったら最悪命取りなることも。

私は糖尿病(Ⅱ型)は自己責任だと思ってます。
ならずに済んだはずの病気を自分で呼び込んだものだと。
だから母が糖尿病で命を落としても「仕方ない」と思う自分がいる。

でも認知症でなかったら、もう少しきちんと糖尿病を改善できたはず。

「はず」なんて今なんの意味も持たないのはわかってるけど…