「結婚するかもしれないの。」
目の前で友達が語る。
今日ランチを誘ったのは、私だ。
結婚するかもしれないの、そのメールをもらった時私が抱いた感情はいろいろあった。
素直におめでとう、と喜ぶ気持ち、
置いて行かれたような、嫉妬、
そして何よりも、人を好きになることがこの先自分にあるのだろうか、という疑問だった。
だから、友達の話から感じてみたかった。
「人を好きになる」ってどんなものなのか、って。
確かに過去に恋らしきものは感じたことはあった。
好きかも。
この人いいかも。
それぐらいの気持ちなのに、私が悪いのか、相手が悪かったのか、
いつもひどい結末を迎えていたのだ。
小学校の時、高校の時、手ひどいしっぺ返しをくらった。
いじめ、という姿で。
好きになってもらおうとがんばっていた自分を、何より哀れに思って、
私は今、そういうことは一切しない。
自分を偽らない、そうきめて群れなくなってから、
同じくらい・・・・私は人を好きになろうとすることもやめたみたいだった。
そんな気持ち、本当に知らないのかもしれない。
人を好きになったかもしれない、そもそも本当に好きだったかどうかもわからないことで、
あれほど傷つかなきゃいけない理由のほうが、私は知りたい。
そして、偽ろうが偽らざろうが、誰かに愛されることもなく、そして愛することもない自分。
「彼がね、一緒に住もうっていう感じで話をね、進めてるの。」
「そうなの?そういわれたの?」
「う~ん、そうい前提で進んでいるって感じ。」
「・・・そいつでいいの?」
「うん、それはいいの。」
「なら、いいんじゃない?」
いまいち現実感のない「結婚」話が進んでいく。
私の頭の中は、自分のことで頭がいっぱいだ。
人を本当に愛することって、自分にはあるんだろうか?
傷ついて、傷つけて、それでも離れたくないなんて思う相手が現れるんだろうか?
ネズミの耳つけて、無邪気にきゃっきゃ、遊園地ではしゃぐことなんてあるんだろうか?
どんな自分も想像できない。
何かの映画で会ったけど、エイリアンとか、何か別のものが自分を乗っ取って、
外面だけが私で、中が別人になったら、ありえる、ぐらいの確率で、
ありえないだろう。
「でもね、簡単にこいっていうけど、私も仕事があるわけでね、やめられるわけないじゃん?」
「そだね、後任の引き継ぎ、諸々の手続きあるよね。」
「なんだよ、でも、そういうことが、彼、全然わかってないの。」
頭では全然違うこと考えているのに、
言葉は、的確に話を進めていく。
一生人を好きならないということは、一生独り、ということなんだろうか。
それはいやだな。
誰かとたわいもないことを話して、一緒にご飯を食べたい。
仕事の愚痴でもいい、芸能人のゴシップでもいい、
最近見たドラマでもいい、アニメのキャラクター愛でもいい、
誰かと平穏なご飯を食べたい。
でも、これって人を好きにならないとできない願いなんだろな・・・。
友達は彼、に怒りながらも幸せそうでもあった。