【異国情緒溢れる長崎編 その2】
築町電停から親子二人で仲良く歩いて、たどりついたのは「出島和蘭商館跡」
「出島」と言えば、鎖国をしていた江戸時代の日本の中で
唯一西洋との貿易を許されたオランダの貿易拠点だったんですよ~
到着したのは1878年(明治11年)に建立された「旧出島神学校」
今は、東側入場口になっているので、入場料金500円を払って中に入り~
1820年当時の出島を15分の1のスケールで再現した「ミニ出島」をしばし見学
自由に外に出ることはできなかったそうです
実際に訪れてみると意外と狭く(武道館と同じくらいの広さ)
息苦しい生活だったんだな~と思いました
そして、上の画像の真ん中にある建物の実物である「表門」にやって来ました
ここには門番が詰めていて、出入りする人を厳しくチェックしていたそうです
ここから自由に外に出ることは許されなかったオランダの人たちは
こんな風に外の世界を眺めていたんでしょうね
だから、気晴らしにオランダから持ち込んだ
ビリヤードやバトミントンなどで遊んでいたそうです
そして、ここにはそのビリヤード台が置いてあったので
一発でゲートを通過させることができ、係のおじさんに誉められて
すっかりご満悦でしたよ~
因みに往時はこんな風にビリヤードを楽しんでいたそうです
畳の上に置かれたビリヤード台がいい味出してるでしょ
そして、出島のメインストリートをブラブラ歩いて~
ブラブラと復元された建物を見学してると~
「エレキテル」を発見しました~
「エレキテル」と聞くと、平賀源内の名を思い出しますが
彼はここ長崎で破損した「エレキテル」を入手して
1776年に江戸で模造製作することに成功したそうです
今から見ると、スゴくシンプルな構造ですが、当時とすると
画期的な製品だったんですね~
そして、出島で一番偉かったカピタン(商館長)の屋敷に入ると~
二階に大広間がありました~
因みにここでこんな風に食事していたそうですよ~
そして、この部屋の入り口には和服姿の女性の姿が…
自由に出入りが許されていたのは、花街丸山の遊女だけだったそうです
そして、今では周りはすっかり埋め立てられていますが
当時はこの「涼所(すずみどころ)」から目の前に広がる海を眺めていて
故郷に想いを馳せていたそうです
その後、「一番船船頭部屋」に向かうと、和洋折衷の
そして、バトミントンもこの地に伝来したので、「伝来の碑」がありました~
因みに「さるく」とは、街をブラブラ歩くという意味の長崎の方言なんですが
長崎観光する時は「さるく」が一番ですよ~
そういえば、顔に「さるく」って書いてありますが、分かりますか
今回は、僕にとっても初めて出島見学でしたが、次回は大好きランチ編
九州の人には当たり前ですが、本州の人にはあまり馴染みがないと思われる
長崎発祥のあの食べ物の登場で~す
答えが分かった人も、コメントで答えを書いちゃいやよ~