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OverlandVerdeのブログ

海外在住のセラピストです

こんにちは

 

「意識して呼吸する」というのを、2017年6月のブログに書いていたのですが、そこで「呼吸は「与えること」と「受け取ること」だからだと思います」と記述していました。現在、「チベットの生を死の書」という本を読んでいるのですが、その中で、「トンレン」という行法について書かれていて、それはチベット語で「与えることと受けること」という意味だそうです。そして、トンレンにおけるもっとも偉大な師であるゲシェ・チェカウという人が書き残した言葉に次のようなものがありました。

 

「与えることと受けることは交互に行ぜられなければならない。その反復は呼吸にのせて行われるべきである」

 

これをみて、直ぐに以前書いたあのブログのことを思い出しました。「与えることと受けること」は、やっぱり「呼吸」と深く関わっているということを改めて認識しました。

 

トンレンの行には色々な段階があり、前行、正行、死にゆく人のためのトンレンなどありますが、簡単に言うと、自己や他者の痛み、苦しみ、悩みや罪悪感などを、息を吸いながら自分の中に取り込み、浄化させ、息を吐くとともに理解、許し、癒し、愛、喜びなどを発するということになると思います。これは、アンデスの世界観で説明されている「フチャミクイ」と非常に似ていると思いました。

 

フチャミクイの「フチャ」については、重たいエネルギー「フチャ」と洗練されたエネルギー「サミ」でも説明していますが、「人間の行うあらゆる活動の結果、体の中には重たいエネルギー、フチャが増加していきます。フチャを溜め込んでしまうと、心身の健康に不調が生じる結果となります。フチャを体に溜めないためには、サミと交換する必要があります」。そのフチャからサミへの変換を、自分の中で行うのが「フチャミクイ」です。

 

前のブログの中では、「フチャミクイ」について下記のように説明しました。

「意識が高いレベルに達すると、先に述べたように、「不利と見なされるものを逆に利用して、自分自身を豊かにするために、自ら変換して有意義に使うことができる」ようになりますが、外部のフチャを自分の中に取り入れて、自分で処理することができるようになります。他の人のフチャを意図的に取り入れて、自分の中に吸収し、それを消化し洗練することでサミを得ることができるようになります。」

 

ここで、トンレンとフチャミクイの両方を見比べてみると、トンレンは主に「慈悲」という観点から行っているけれど、フチャミクイは「自分を豊かにする」ことに焦点が当てられているようにみえます。しかし、実際に行っていることは同じだと思います。

 

トンレンは、「慈悲」の心から他人の不幸を自分の中に取り込んで、幸福に変換して他人に与えるというものだと思います。その結果、その行為により自分も幸福に包まれます。これが正しく行えるのは、仏教の教えである「慈悲」についてきちんと理解ができていて、行を積んだ人だと思います。

 

一方フチャミクイは、不利とかネガティブとみなされているもの(フチャ)を、洗練されたエネルギー(サミ)に変換させ、豊かさを生む根源とすることに集中しているように思います。これは、他人(および自分)をあわれむ心に集中してしまうと、「可哀そう」「悲しい」という感情に陥り、そこから抜け出せなくなると、逆に重たいエネルギーを溜め込み、その影響を受けてしまうからだと思います。そのため、先ずは自分自身を洗練されたエネルギーで満たすということに焦点を当てているのだと思います。自分自身を豊かにすることで、初めて周りにも豊かさを分け与えることが出来るからです。

 

何れも、自分も他人も全てつながっていて一つであり、与えることは受け取ることであるということを理解すれば、結局は同じ事だな、と感じました。

 

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。