鬼退治と個性 | 夢は小説家ですと本気で宣ふブログ

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文章の世界に魅入られた小娘が、妄想を書籍化しようと奮闘する日記。

>鬼も登場人物としては必要不可欠で、
>鋭利な言葉を用いることも指導者として必要だといった内容のメールを身内から頂いた。

そうして、
考えた結果。

出た答えはこうだ。

人を導く立場の人間が人に物事を教える上で、
善と悪はワンセットでなければ真の理解には繋がらないのではないかという考え方だ。

なぜ童話には正義と悪がいるのか。ヒーローと鬼がいるのか。
それは良いことばかりを教えるのではなく、良いことも悪いこともどちらも比較対象として並べることで真の理解を求めるからではないだろうか。

鬼に徹してスパルタな言葉を投げかけることも成長させる上で正しいことだが、
指導者として必要なのは、善悪どちらも提示してより確実に成長させていくことではないだろうか。

より素晴らしい指導者は、引き上げたい場所に人を引き上げるとき、どちらの手段も用いていかねばならないのではないだろうか。
偏ってはいけない。どちらも必要なのではないだろうか。

そんな討論を繰り広げた深夜3時。

一方で新たな意見も舞い降りた。

すごく絵がうまいけど、足し算はできない子に、
あなたは「絵を伸ばせ」といいますか? 「数学を勉強しろ」と言いますか?

個性を伸ばすには、隔たった考え方が必要不可欠なのだ。


人を引き上げるには善悪ワンセットでどちらも提示しなさい。
しかし、自分の力量では到底測れない天才に出くわした時には善悪使い分けなさい。

いかがでしょうか?