「人影少ないのどかな村」と、「人の住まない沈黙むの村」は違うものなのだと…。
飯舘村の村内を走るバスの中から、窓ガラスごしに撮った写真なので不鮮明である。
それでもこの写真を見て、何かを感じていただければと思い、掲載します。
人々が助け合い、自然と共生しながら幸せを履くんでいた美しい村を襲った放射能禍。
全村民が追われるように避難を余儀なくされ、大切にしてきた家、田畑、家畜たちと別れて4年以上経った「今」。
一見するだけでは家屋や建物に目立った傷みはなく、]緑豊かな山村としか思えません。
しかし、田畑だった場所に生い茂っているのは農作物ではなく、雑草。
民家は雨戸やカーテンが固く閉められています。
お店や会社はシャッターが降りており、郵便局も役場も無人…。
飯館村の自慢であったブランド牛・飯館牛も、今は一頭もいません。
バスガイドの本田さんによると、現在日中は立ち入りが許されているので、避難されている村民が家の手入れなどに戻って来られることもあるそうです。
また、除染作業者は常に入っているので、銀行や事業所には(昼間は)人がいるとのこと。
しかしこの日は、村の外からきたらしい乗用車(なんとなく息をしてる?感じ)を数台見かけたのみ。
人の姿は、ついに見かけることはありませんでした。
家屋や田畑を除染することはできても、山の除染は非常に困難。表面の土だけ剥いでも水源地が汚染されている。
針葉樹も、葉を落とすことがないのでなかなか数値が下がらない。
山の動物も放射能に汚染されているが駆除しきれず、特にイノシシは(人が採らないから)山の幸を食べ放題なので増殖する一方。
たとえ完全に除染されたとしても、高齢者が戻ってきて病院もないところで生活できるのか。
(現在、避難先では要介護認定の方が急増しているそうです)
村民は「避難はあと2年が限界」と言っているが、だからといって政府からの一方的な避難解除にも応じられない。
「除染終わりました、どうぞお戻りください」
などとドヤ顔で言われても。
震災前の生活が取り戻せるはずがない。
そんなことは、当事者でない私にだってわかるわっ(怒)
おわかりでしょうか、田んぼだった場所に並んでいる、不気味な黒い袋の大群。
除染作業で出た放射性廃棄物を詰めた、「フレコンパック」と呼ばれる袋です。
最終処分先が決まらないまま、ここに“仮置き”され続けています。
上からシートがかぶされていようと、村にふさわしくない風景であることに変わりはありません。
避難指示を解除するなら、これらをすべて国会議事堂や各省庁、首相官邸、国会議員や官僚たちの自宅の庭に積み上げろ。大暴言。
希望は捨てません、誰もがあきらめていない、美しき飯館村が再び甦ることを。
だからこそ多くの方に、飯館村の「今」の姿を見ていただきたいと思いました。
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