3.11 | kazuのブログ

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今日は
私にとっての3.11を
書き遺しておきますメモ


2011.3.11
14時46分

教習指導員だった私は
午後イチの教習中残り5分
教習車の中で教習のクロージング中

発着所、運転席側にてワンポイント中に
揺れを感じた

一瞬、風で車が揺れているのだと思ったが
コースの周りにある鎖が揺れ始める

『地震だね〜』

教習生が怖がらないように
そう言って
揺れがおさまるのを待った。

が、揺れはおさまらない。

校舎横の閉鎖されたレストランの窓が
ぐわんぐわん
いいはじめる。。。

『長いね〜震源地はどこだろうね。
様子見るから、チャイム鳴るまで待ってね。』

チャイムが鳴っても
揺れは止まらない。

校舎を見ると
5階建ての建物の強化窓ガラスも
ぐわんぐわんいい
各階のブラインドが
激しく揺れていた。

コースから校舎駐車場に
車を持っていっていいのかすら
判断に迷うほどの揺れ。

地震の多い新潟
恐らく新潟が震源地だろうと思い
少し揺れが収まるまで待って
校舎へ戻った。

車を降りようとすると
横に停めてある
サイドブレーキのかかった車達が
前後に大きく揺れている。

まずい揺れだと
さらに思った。
教習生を降ろしていいのか
校舎の中が安心なのか
建物が倒壊しても大丈夫な所にいた方がいいのか
判断は、どっちだ!?
迷っていた。

揺れがひと段落したので校舎へ戻り

『震源地はどこですか!?!?

と上司に尋ねた。

すると東北の方だと言う。

マジか!?

新潟でこの揺れ
震源地はもの凄いことになっていると
予測できた。

指導員室のテレビ
待合室のテレビで現状を確認する。

揺れは続く
教習は続けないといけない。。。。。

そう、3月繁忙期
この1時間を無駄にする訳にいかない。

教習に戻った。

教習生の動揺を解きながら
1時間を終え
また指導員室へ戻って
ニュースを確認する。

情報を知っている副官に聞きながら
あの、壮絶な津波の映像をみた。

田んぼの中を
水がどんどん
どんどん入る上空からの映像

思わず見ていた指導員に
『これ、何ですか!?

・・・津波です・・かはてなマーク

これ、田んぼですよねはてなマーク

想像を遥かに超えていた。

車で逃げる映像
渋滞して飲み込まれる映像

教習で伝えていることは
机上の空論だと感じた瞬間だった。。。

現実の大規模な地震と
人の心理
恐怖から逃げる手立て

上空からだとわかるが
走行している人にはわからない
津波が来る方へ向かってる。。。。

映像の中から
様々なことを考えた。

そしてまた教習へ行く。
戻ってニュースで現状を確認する。

その繰り返し
時間が経てば経つほど
悪化していく映像

そこからの記憶は
もうない。。。。。


あの日から、しばらく
随分と長く
自分と向き合った。

向き合って
向き合って

今ここに並べても
どうにもならないことや
今更並べても仕方ないことも
たくさんある。

ただ、3.11は
私にとって
人生を
命を
価値観を
大きく変えた出来事です。


常にこの日が来ると思うことは
【生かされている命】
ということ。

だからこそ
私がしたいことを選んできた。

あの日があったから。


3.11
多くの失われた命に
心からのご冥福をお祈りします。

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追伸:今日も私は生きている


最後までお読みいただき
本当にありがとうございます。