「禅で掃除を重んじる理由について」のお話しです。
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禅では掃除を重んじます。
「一 掃除、二 信心」というくらいで、信仰心より上位に置いている。
それは、庭の塵を払うことは心の塵を払うこと、廊下を磨き上げることは心を磨くことだという考えからです。
ところが、払い忘れ、磨き残しがあるから、掃除はやっかいなのです。
たとえば、トイレや風呂の掃除に取りかかって、ひと汗流し、「さあ、これできれいになった」と終えたとします。
しかし、じつはきれいになっていないのです。
“使ってみる”とそれがわかる。
実際にトイレに坐ったり、風呂に入ったりすると、
「おい、おい、こんなところに埃が残っているじゃないか」
「あれっ、あそこのタイルの目地が汚れたままだ」
といったことになります。
なぜだかわかりますか。
掃除をしているときの目線が違うからです。
前者の目線で「よし」と思っても、後者の目線で見ると、「まだまだ」ということが往々にしてある。
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「坐禅のすすめ」
平井正修 著
幻冬舎より
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掃除をする側の目線と、
それを使用する側の目線があり、
掃除をすることには心を配っていても、
使う人に対しての心配りを忘れているのでは?ということです。
相手の気持ちになったり、相手の立場に立って物事を考えることが、心を配るということに繋がっていくでしょう。
また、掃除をするということは「感謝」することとも言えます。
いつも使う物や、いつもいる環境(場)に対して、お世話になっているという感謝の気持ちを持っている人は、自分から進んで掃除します。
いつも使う物や、いつもいる環境(場)に対して「当たり前」と思っている人は「何で掃除しなきゃいけないの?」とイヤイヤ掃除をしていることでしょう。
禅で一番大切とされる「掃除」です。
どんな気持ちでどのようにしているのかが、心を配れる人かどうかを決定づけると言っても過言ではないでしょう。
大事ですね♪
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「魂が震える話」
発行人:けい