「荊州 地図」の検索ワードで
この記事に辿り着かれる方が多いようなので、
まともな荊州地図の記事をここにはっておきます。
下記の記事でも荊州のすべてを網羅できてはいませんが
多少は地理関係が分かりやすいかと思います。
呉書第九地図
http://ameblo.jp/ancyon/entry-11141201603.html
↓本文ここから↓
いきなりですが、【荊州鳴動】ということばについて
あつく語らなくてはならない使命感に駆られたので、
携帯から必死で打った鼻息荒い文をアップします(笑)
まあ、“荊州”鳴動ですからね。
呉好きなら「荊州」と聞くと全身の血がざわつくとおもうんです!
三国時代の激戦地・荊州!
【赤壁の戦い】も【夷陵の戦い】も荊州で起きた合戦です。
今回はそんな荊州の場所を説明するために地図を描きました!!
この地図を鵜呑みにされて何かしらの被害をこうむっても、
当方では対応しかねますのでご了承ください。
荊州拡大地図が(時間内に)描き上がらなかった残念っぷり……
これ以上おのれの残念さを露呈しても仕方ないので、本題いきますね。
三国時代、荊州はこんなに鳴動しましたよーの巻
【1】209年 南郡攻防戦
周瑜&劉備vs曹仁
曹操が赤壁の戦いの敗戦に呑まれなかった理由のひとつがこの戦いですね。
周瑜最後の戦い……って書くともう涙が止まらなくなるんですが、
このときの周瑜は本当にカッコいいです。
曹仁軍との戦いで矢傷を受けた体をおして軍を見回る周瑜さま;ω;
それを見た曹仁は「周瑜には勝てん!」って撤退したのです。
(撤退した理由はそれだけじゃないですけどね!
ウソ言ってるわけじゃないし、呉好きのブログなので許してください^^;)
甘寧がさっそくその勇猛さを見せてくれる戦でもあります。
呂蒙さんも献策をして、曹操軍の馬をそっくり貰ったりする(笑)
【2】215年 荊州争奪戦
孫権vs劉備
「劉備はいつになったら荊州返すんじゃー!!」
って怒った孫権がけしかけた戦い。
呉好きにはたまらん戦ですよ……私が三国志でいちばん好きなのはここ。
けっこうマイナーかも(笑)
しかし魯粛と呂蒙がそれぞれ立派にやってるおいしすぎる戦いです。
この戦いについてはいろいろな人の伝に記述があるので、
情報整理してメモ作るのが非常に楽しいです。
益陽で関羽と対峙した魯粛の下に甘寧がいる構図とか、おもしろくて……(笑)
私は、イメージ的に魯粛=ヤクザ、甘寧=ヤンキーだと考えてるので、
ヤンキーの上官がヤクザって、絵面的に怖すぎるとおもうんですよね(笑)
関羽は甘寧がいると聞いて、渡ろうとしていた浅瀬を渡らなかったという。
この戦いには好きな場面が多すぎて、語り出したら止まりません><
残念なのは曹操が絡んでないことか。
このとき曹操はノリノリで漢中を攻めていました。
自分の領土に攻め込まれて焦った劉備は、荊州を孫権と半分こ。
【3】219年 荊州平定戦
曹操&孫権vs関羽
樊城の戦いっつーと分かりやすいかも。
というか有名なので、説明いらないとおもいますー
気になる人はググってください(逃)
三国志話がこの辺りになると、たいてい悲しすぎて泣きながら見てます。
呂蒙さんはほんとにすばらしかったけど、
病気の体をおしてあんなことやってたのかとおもうと、
もう涙がとめどなくあふれて……っていうかこれ書きながら既に涙が(病)
せっかく荊州平定したのに死んじゃってどうすんだよ!!!;ω;
とてつもなく鬱です。
219という数字を見るだけで鬱になるくらい。
きっと219年は三国志好きな人にとって悲しい年だとおもうんですよ。
夏侯淵も関羽も死んじゃうし。呂蒙さんも´;ω;`
ショックでごはんが喉通らなくなります。もう、辛くて辛くて……
***
はっ鬱になってしまった。
荊州平定とか、ググってくださいとしか書いてない(笑)
やっぱり215年の荊州争いがいちばん悲壮感がなくて、
考えてて楽しいところです!
こう並べてみると、呉は荊州めっちゃ欲しがってるかんじですよね。
「おまえ呉ばっかり持ち上げすぎじゃね? この記述の出典はどこじゃ!!!」
ってのがありましたら、やさしく教えてください。
一応正史が出典です。三国志ものの小説とかほとんど読まないので……
呉を持ち上げすぎなのは、仕様なので勘弁してください^^;
全軍撤退!