技術は暴走するものなのか。ペットボトルと原子力 | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 前回の投稿で、たまたま、「回収されたペットボトルで他のプラスチック製品(石油由来の合成樹脂製品)を作ることをリサイクルと呼ぶのは、不適切ではなかろうか」と、書かせていただいた。

 私は、あまり、ペットボトル入りの飲料を買わない。最近は、全く買わない。飲料は、缶、瓶、紙パックの製品を買う。私が子供の頃は、まだ、ペットボトル入りの飲料がなく、ペットボトル入りの飲料を飲む習慣が身に付かなかったからではない。
また、子供の頃、新日鐵住金の製鉄所(旧・富士製鐵の製鉄所)がある町の近くで過ごしたから、鉄に義理立てをして、スチール缶入りの飲料を優先して買う結果、ペットボトル入りの飲料を買わなくなったのでもない。

 回収されたペットボトルで、再度、ペットボトルを作る費用が高いので、ペットボトルを作らずに他のプラ製品を作っている。ということは、ペットボトルは、未だ、技術的には未完成の製品であるということである。
現に、缶、瓶というほぼ完成された製品があるにも関わらず、未完成のものを安易に導入することに、疑義を抱いているので、私は、あまり、ペットボトル入りの飲料を買わない。ただ、それだけのことである。あっ、ペットボトルが本題ではなかった。

 核分裂によって生じる放射性物質を"無害化"する技術を、人類は確立していない。なのに、戦争に勝つために、若しくは、産業競争力を確保し維持するために、多くの先進国は、原子力という技術を、現に活用している。勇み足ではなかろうか。


神奈川県逗子市にて
佐藤 政則