千島列島は、なぜか、英語ではクリル諸島(Kuril Islands)と、表記される。19世紀に、日本とロシアがそれぞれ、千島列島の領有権を主張し、話し合いの結果、1855年には日魯通好条約(いわゆる日露和親条約)を、1875年には樺太千島交換条約を結び、国境を画定した。無人島ではなく、アイヌと呼ばれる人々が住む千島列島に、日本とロシアがやって来て、各々、その領有権を主張し、条約を結び、国境を画定したことは、言うまでもない。
1945(昭和20)年の夏、ソ連は、南樺太と千島列島にも侵攻し、軍事力によって南樺太と千島列島を占拠した。武力によって土地を占拠した者が、その後何年間、その土地を占拠し続けようとも、領有権を得ることはない。武力によって土地を占拠した者が、国家であろうとなかろうと、領有権を得ることはない。
日本国民の主権の回復を定めたサンフランシスコ条約は、60年前の1951(昭和26)年に、当事者である日本を含む49か国によって署名され、翌年の4月28日に発効した。そのサンフランシスコ条約によって、日本は、南樺太と千島列島に対するすべての権利を放棄させられた。その後、今に至るまで、南樺太と千島列島の領有権の帰属先は、定められていない。
ソ連は、軍事力によって南樺太と千島列島を占拠した。当然、何年間、占拠しようとも、領有権を得ることはない。そのことを、サンフランシスコ条約に署名した48か国に申し上げ、59年前に放棄させられた、日本の南樺太と千島列島に対する主権を、再承認していただくよう交渉すべきである。
北方領土問題を生じさせ、その解決を困難にした責任を負うべき者は、日本ではなく、現ロシアと、サンフランシスコ条約に署名した、日本以外の48か国である。その48か国は、日本に、南樺太と千島列島に対する主権を放棄させただけで、南樺太と千島列島の適切な管理を怠り、ならず者の占拠を放置し続けているからだ。
兵庫県姫路市にて
佐藤 政則