国会には策士もどきはいるが、国士がいなくなった | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 策士、国士と書くと、おどろおどろしく感じられる方も多いかもしれないが、politician、statesmanと書けば、どうだろうか。おどろおどろしさは、霧消しただろうか。「politicsという語と、政(まつりごと)という語の語感は、全然違う」などと、以前、書かせていただいた。

 politician、さらに、politicoと言えば、侮蔑の思いが込められている。政策の立案は他人に任せ、専ら、組織の勢力を拡大し、維持し、または延命を図ることに長け、そういうことばかりする議員のことか。

 statesman。statesとは国であり、manとは士である。statesman、つまり、国士とは、「国を想い、国のために身命を投げ打って尽くす人」のことである。New Oxford American Dictionaryに拠れば、statesmanとは、「a skilled, experienced, and respected political leader or figure」である。単なる政治家ではない。尊敬される政治的指導者である。

 各党を見渡せば、策士もどきの方はおられるが、国士(statesman)と呼ばせていただきたくなるような人物は、どこにおられるのだろうか、なかなか、見つからない。どなたを応援していけば、いいのだろうか。凡人である私は、立ち尽くすばかりである。


兵庫県姫路市にて
佐藤 政則