P.Dlakkerのブログ -考えるカブトムシ-





腐りかけた男が横たわる池のほとり。かえると黒づくめの男、入れ物のザリガニが生と死について語り合っているところ。ただ入れ物のザリガニには中身がないために声帯がなく、声帯がないので語り合うための言葉を持たない。入れ物のザリガニには思うところがあっても、できることと言えば、ふたりが話すときをただ入れ物としてしっかりと見届けことである。

入れ物のザリガニは思っていた。




P.Dlakkerのブログ -考えるカブトムシ-



「今、目の前でかえるが自らの過去について私たちに語っている。しかし私たちは、そのすべてを知っていた。知った上でここに現れた。だからこそ、私は捕まえたメダカを細かく切り裂く手を止めて、入れ物になる決意を固めた。私は池のほとりに横たわる男に愛を伝えなければならなかった。




黒づくめの男は、私にこう言った。“今しかないです。ほんの数日後には男はあちらの世界にいかなくてはいけません。このタイミングでしか、彼に真の意味での、安らぎを与えることはできません。あなたを茹でるのに半日、中身をくり出すのに半日、入れ物としての貴方を天日干しするのに三、四日。隅々までちゃんと、乾かさなければなりません。今でなければだめなのです。”




用件はよくわかった。この世に思い残すことがないわけでもない。若ザリガニだった時、放浪していた先の田んぼで若いメスと出会い、ともに暮らしたことがある。そのときのメスが子供を生んで池に還したと、この間流れ者の雨ん坊が教えてくれた。できれば短い間でも家族で暮らしてみたかったし、大きくなったオスの子供と縄張り争いもしてみたかった。


でも、充分幸せだった。私自身、親の愛情を十分に受けてきたし、不自由がなかった。もしその昔、身篭った私の母親を、ふざけてじゃれついてきた気違いな仔猫から、そこの池で横たわる男が拾い上げてくれなかったら、今の私は生まれていなかった。


ただの気まぐれのことだったというのは分かっている。おそらく、施設に飾っていた水槽の中身が少し“淋しかった”だけなのだと理解している。それでも母は施設の安全な水槽の中でスルメいかをもらいながら私や私の兄弟たちを無事に育てることができた。やがて水槽を持て余すようになった私たち家族は、近くの池に放されることになるが、豊かな場所で何不自由がなく暮らすことができた。ときどき、兄弟の一部が糸のついたスルメいかをつまんで以降、還ってこなくなることはあったけども。


施設の暮らしの中で男のことを横目でずっと見ていた。水槽の中の私たち家族とは対象的に、男の生活は淡々としてひっそりとしたものだった。母は毎日のように“貴方達が生きているのはあの人のおかげなのよ、立派な方なのよ”と私たち兄弟に言い、家族全員で毎朝に男の方に向かって両腕を掲げて挨拶するのが日課だった。男がちらりとその挨拶を見たことがあったけど、ことの次第を理解してもらえていたのだろうか。それはさておき、私は男に対して、男の境遇に対して常に同情してした。施設を離れ、外の世界に戻ってからもそのことは常に頭の片隅にあった。



私は愛を伝えなくてはいけなかった。それが私の使命なのだと思い至るようになった。

今目の前にいるかえるには、少し気の毒な気がする。ただ彼にも理解してもらえるのではないだろうか。そして、彼にとっても必要なことのようにも感じている。



私は黒づくめの男に所在のよくわからない建物に連れて行かれ、ザリガニが三十二匹は入るような大きな釜に入れられ、なみなみとたっぷりの水がはられてじっくりと茹でられた。ぐつぐつと釜の水の温度が上がっていく最中、母親や兄弟と食べたスルメいかを食べたこと、家族の住みかとなった池を離れて旅に出たこと、田んぼでメスと出会って暮らしたことを思い出し、また年老いた母の身を案じ、田んぼでともに暮らしたメスと私の子供たちの未来のことを想った。


黒づくめの男は言った。


“家族に対しての貴方の愛情、想いが強い程、色鮮やかな入れ物ができるのです。入れ物の色が鮮やかさは今回の件に関しては非常に重要な要素(ファクター)です。”


それからさらに水の温度が上がり、途中で私は気を失った。

気がつくと私は色鮮やかな入れものになっていた。

“貴方は既に生命体ではなく、意識だけの存在となっています。今貴方が‘思う’ことができるのは入れ物に貴方の意識が残存しているためです。それもいずれなくなっていきます。ただ仕事の見届けることぐらいはできるかもしれません。”


今、目の前では孤独なかえるが自らの過去の話を終え、黒づくめの男がことの段取りを、かえるをあちらの世界に連れていく話をしているところだった。



私の意識はだんだん薄らいでいた。かえるは納得して‘うん’・・と言ってくれるだろうか。池に横たわる男には・・・ちゃんと愛は伝わったのだろうか。そして、私の家族は・・・意識の覚醒が・・・簡単な思考すらにも・・・耐えられなくなってきた・・・ほとんど自我・・が・・くずれ・・・・・そとのおとも・・はっき・・りとは・・・・・・きこえ・・ない・・・・・・・・」

ザリガニの入れ物の中にかえるの魂が入り、黒づくめの男はそのザリガニを持って去っていった。池のほとりには、腐りかけた男が横たわり、かえるが仰向けにひっくりかえっていた。


あたりはしん、と静まり、池の水面を雨ん坊がすいと泳いでいった。



時刻はまだ明け方であった。






黒づくめの男のその日の夕食のはなし





黒づくめの男のその日の夕食は、“海鮮風”のトマトクリームパスタとスープだった。



パスタには孤独なかえるのモモ肉と、愛を伝えたかったザリガニのほぐした身が綺麗に盛られ、トマトとアスパラガスとともにパスタに彩りを添えていた。



黒づくめの男はパスタをみて手をあわせてかすかに微笑んだ。



「では、戴きます」



男の眼から泪が一滴こぼれ落ちた。

その涙の水たまりを拡大してみると、無数のおたまじゃくしがうごめいていた。



それは、かえるのおたまじゃくしではなく、すべての生きもののおたまじゃくしだった。





(読んで頂き、ありがとうございました)


3つのはなしから成っています。ちなみにはじめのはなしは、

【短いはなし】腐りかけて土にかえり始めた男の足に花が咲き、蝶が訪れた話



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