鎌倉のとある寺の池のほとりである男が一人横たわっている。“ただ”横たわっているだけであれば昨夜仲間とともに飲み明かしたか夜の街で遊びまわったかそんなことが原因であろう。しかし、この男の身体は酷く痛めつけられているだけでなく、肩からほぼくるぶしまで何重にも縄で巻かれていた。肌が露出する部位の全てに痣(あざ)がちりばめられ、身体を縛っている縄は肉に食い込んでいた。痛みは一定の度合いを通り越し、無感覚になっているのではないだろうか。
自由になるのは首から上か、くるぶしより下の部位のみのようであった。そうしていると男は首から上で角度をつけ身体を起こし十メートル程先に顔を向けて虚ろとしていた。頭の中で走馬灯のように経過を思い出しているのであろうか。
池の水面に雨ん坊が一匹すいと泳いでいった。一帯に「ぱち、ぱち」という足音が広がった。空気が漏れる音が男の喉元から聞こえた。声を出そうとしたのか。助けでも呼ぼうとしたのか。二三回空気が漏れる音がしたが、しばらくすると辺りはまた静まりかえってしまった。
時計をみると午前三時を回っていた。七月の早い時期のゆっくりとした低温がしんと身体に染み込んでいった。作り話のようであるが、(男の意識があるのにも関わらず)男の下半身は既に部分的に腐り始めていた。ところどころ蛆が這い、じっとりと咀嚼されていく。辺りににおいをまき散らしてはいなかった。特に分解が進んでいた足はもはや男が寝そべっている土と境目があいまいになっていた。更に時間が経ち、明け方直前のはっきりとした低温が男の身体を地面深く沈み込ませていく。男の体温はもうほとんど生命機能を維持できる程ではなくなっていた。
うっすらとした意識の中、かすんだ視界に白い塊が複数見えた。何かはすぐに認識できない。白の中心に淡い黄色が認識できた。白いものもただの塊でなく、細い鱗片が放射状に重なっていた。白と黄色のものは細い茎に支えられ、下から伸びていた。菊の花だった。土となり始めていた男の足から縄を縫うように四五本が咲いていた。
白いものが菊であることに気がついた時、銀色の粉を赤や青で色を付け鮮やかな黒で縁取った蝶が、一番成長のよい大振りの花に訪れた。訪花したその蝶は、伸ばした口吻の先端で蜜を探しては、分泌された蜜を見つけ吸い込んでいた。
幻想的であった。感情が安らいでいくのが分かった。痛みはなく、ただ冷たいだけだった身体にゆるやかな温かみが広がっていった。ただそれと同時に頭全体が熱を持ち始め、安らいでいる一方あらゆる感情の波があふれ、とめどなく涙が流れる感覚があった。これまでの男の人生の全てが肯定され、赦されたのだと知った。
実際、男の目から涙が流れたわけではなかった。最後の時点では既に涙腺の機能が低下して働かない程、身体の機能は崩壊していた。感情の高まりや涙の流れる感覚は男の身体と独立して起きたことであった。
結局この男がなぜこのような状況に追い込まれたかよくわからない。その痛めつけられた身体から察するのは誰かにとって何かしらの事をしたということであろう。因果応報という観点で論理的に考えるならば、人生を通じてあらゆる悪事を働いてきたのかもしれない。そうであったとしても、悪事を働くことができる環境のもとに生まれてきたというだけのことである。全ての人に平等に死が訪れるのと同じように奇跡の出来事が起きる確率もまた平等である。この男についてはそれが死の直前に訪れた。
ひとたびことが起きると当事者にとってのその現象はそれまでに起きた全ての事象と結びつきをもち帯電する。わずか十分たらずのできごとによって男の人生のすべてが肯定されたのだった。
2011年7月13日
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