P.Dlakkerのブログ -考えるカブトムシ-



腐りかけた男が横たわる池のほとり。その片隅でかえる(以下、か)、黒づくめの男(以下、黒)、ニホンザリガニ(以下、ニ)が生と死について語り合っているところ。



一.かえるの孤独について



か「いまそこで男が逝こうとしているね。」

黒「うん・・・・・・・・・・・・・・ちょうど、いま逝ったみたいだね。」

か「逝く、というのはその言葉の中に、こちらからあちらへという運動性を感じるね。

死してなお、運動するというのは不思議なものだ。

でも、単なる言葉あそびだろうじゃないと僕は思うのだよ。

君は死の境界を体験したことはあるかい。」


黒「体験かい?この仕事をはじめてから、幾例も、そうだね、三十例ぐらいはみてきただろうか。でも、境界を体験するというのはないかもしれない。どういうことだろう。」

か「僕はあるんだよ。まず少しかえるのことについてはなしてもいいかい。」

黒「うん、お願いしようか。」


か「かえるには、生まれた時に大体一〇〇から二〇〇ほどの兄弟が、いるものなんだ。

半透明のゆりかごの中で僕らは同じ水の音を聞いてこの世界に生まれおちる。

文字通り、ひゅーぽとんってね。その一〇〇から二〇〇いた兄弟たちは二週間後には、僕の場合、四匹になった。僕も含めて三匹は丈夫だったんだけど、ひとりはあまり身体が弱くてね。そもそもこの世に二週間もとどまれたのが不思議なぐらいだったんだ。そこからさらに一週間たった後、身体が丈夫だったうちの一匹が腹をすかせたタヌキに見つかってしまった。もう一匹は小さい水たまりに何かの拍子に迷い込んで、抜けられずに干からびた。僕と身体の弱い兄弟はおたまじゃくしから無事変態を終えて、陸に上がることができた。はじめて水の外で肺呼吸をしたとき、少し鼓動が速くなるのを感じたよ。その時は思わずお互い目を見合わせてしまったね。

でもね、身体の弱い兄弟は、やはり遺伝的に強くなかったんだ。陸に上がるようになってすぐに咳がひどくなってね。だんだん弱ってしまったんだ。数時間後には水際の石の脇で倒れこんでいたよ。近くに寄り添って身体をさすってやった。がんばれ、まだ一緒にコウロギを食べてないじゃないかって。でも、だんだん呼吸が弱くなっていったんだ。左手同士を握っていたんだ、右手を彼の胸にあててね。しばらくすると、右手に伝わる鼓動の音が急に弱くなり

・・・・いち、に、さん、ぱちん・・・


でそれ以上心拍しなくなった。あの“ぱちん”の前後で決定的に何が違っているというのを感じたよ。」

黒「なるほど。そして、君は孤独なかえるとなった。そうだね、君。」

ニ「・・・・。」



二.腐った男について


黒「興味深い話だった。ただ、少し滅入ってきてしまったね。少し違う話をしようか。

そこの腐りかけた男の生の意義について話すというのはどうだろうか。」

か「良いと思うよ。」

黒「では、男の生涯についてざっと整理してみようか。

男も母親の胎内のゆりかごではぐくまれ、かえるさん、貴方と同じように生みおとされた。ただ人の場合、“生みおとされる”といくのはかえるの場合と意味合いが異なってくるのだけど。兎に角、母親の手から離れ、あるシステムの中で育てられることになった。」

か「なるほど。」

黒「あるシステムは、社会にさまざまな不幸もたらした。

多くのひとびとを洗脳し、時には無慈悲にその命を奪うこともあった。

システムの中で男は重要な役割を果たしていた。

システムが社会の悪と定義できるならば、

男も悪と定義できるのではないだろうか。」

か「そうだと思う。」

黒「では、男の生には意義はないのだろうか。それは社会の必要悪というような構造的な観点でなく、男の生自体の意義だけども。」

か「・・・」


黒「男はその最後の時、肉的な自由が奪われ、自分がもたらしてきた数々の暴力が自分自身に降りかかった。自由のきかない身体に石つぶてを投げ付けられ、唾を吐きかけられ、汚い言葉を浴びせられた。


痛んで弱った身体の一部は腐りはじめ、うじと大型の甲虫類に咀嚼された。細かく砕かれた肉片は土壌中の微生物によって分解されて、他の生物に利用できる状態までになった。男の身体からは血液のほとんどは流れて出て、朦朧とした意識があるだけだった。


男の身体は冷え切っていた、


そして朦朧とした意識の中、

ふと気付いた。


腐った身体の一部から植物が生え、幾輪も花が咲いていることに。

花にはこれまでに見たこともない程に美しい蝶が訪れていることに。

その後、男はあちらの世界に逝った。」

か「死の瞬間、これまでのことを理解した。偶然の体験を通して。」

黒「たしかに“理解した”ということだと思う。

運がよかったんだね。確率的にはほぼゼロに近い事象で、何もないまま時が流れるということは大いにあったはずだから。でもそれはもたらされた。」

か「もたらされたという表現はただしいかもしれない。」

黒「意義というのは経験した主体が判断するものならば、

男の生には意義があった

結論づけて差し支えないんじゃないだろうか。」

か「そうだね。差し支えないかもしれない。」


黒「ところでこれまでの話の展開については異論ないかい、赤い君。」

ニ「・・・・。」

黒「なるほど。そういう解釈もあるのかもしれない。」



三.いち、に、さん、ぱちん



黒「さて、朝方から・・・すこし寒くないかい・・・さてかえるさん、朝方から、貴方と話し込んできたのだけども。」

か「ええ、なりゆきといえ、ずいぶん話し込んでしまったね。」

黒「実は貴方がこの池のほとりで腐りゆく男の死と、我々に出くわしたのは偶然ではないのですよ。」

か「どういうことですか。状況がうまく飲み込めないのですが。」

黒「端的にお答えするならば、貴方がいま、ここにいることを知っていて我々がここに来たということなのです。貴方に会うことも我々の目的の一つなのです。」

か「会いに来た。」

黒「正確には“会いに来た”ではないのですが・・

我々の仕事の話を少ししましょうか。出会い掛けに簡単には自己紹介させて頂いたかと思うけど、“我々は人の死に関わる、死に際の契約的な、事務的な手続きに関わる仕事をしている”と。そう、早い話、死に神を連想してもらって差し支えありません。そして、今回、対象だったのが、そこの池のほとりで横たわっていた男でした。そこまでは、既にお話ししたかと思います。」

か「そうだと思う。」


黒「あと、この赤い連れですが・・・・」

か「ええ、ずっと気になっていました。この方は・・・」

黒「見てのとおり、ニホンザリガニですね。正確にはニホンザリガニの入れ物ですが。」

か「入れ物?先ほど、何度か話しかけていませんでしたか。とても会話が成立しているようには見えなかったけど。」

黒「話の本筋からはずれてしまうので端的にお答えすると、話しかけているようなフリをしていただけなんですよ。特に意味があるわけではありません。

それで、入れ物があるということは中身があるということですね。実のところ、今はからっぽなのです。」

か「中身・・ですか。見た目からするとあまり大きなものではなさそうだけど。」

黒「いろいろと話し込んでしまったので時間がなくなってきてしまいました。

端的にお答えすると、この入れ物の中身は貴方です、かえるさん。」

か「えっ、とても私は入れそうにないけど。」

黒「つまり、貴方も、そこで死んでしまった男といっしょにあちらの世界に逝く、ということです。」

か「うまく状況がつかめないのですが。」


黒「このことに関して論理的に正しい理解は意味をなしません。

というより、これは現実で起きた事象ではありません。現実とあちらの世界の境界で起きたことで、あの死にゆく過程をみていること自体、貴方はあの男の死に広い意味で関わっていたということです。もう少し具体的な話をすると、あの男が唯一最後に生の意義を見出だすことができたのは貴方のおかげなのです。無感覚で孤独であることすら気がつかなかった男の人生に、あなたの孤独を持ってしてようやく相殺できる“関わり”をもたらすことができました。実は私は、このような特殊は関わりをもたらすことなのことを仕事として請け負っています。依頼主というような具体的な存在はありません。高いところにあるものが落ちるような、熱が拡散するような、この世界の法則と同じもので、誰かが確実にこなしていく必要があります。」

か「・・・・・」


黒「さて、いろいろ突然で誠に申し訳ないのですが、そろそろ、貴方にはあちらの世界に逝ってもらわなくてはいけません。何か話しておきたいことはありますか。」

か「正直、ほとんど事態が呑み込めていません。ただ生まれてからこれまでのことを必死に思い返していました。そして、一連の話を来て私も私の経験してきた孤独が薄らいでゆくのを感じます。私の孤独がある種の役割を持っていたというように解釈できなくはないのです。それはある程度納得できるものです。質問があります。あちらの世界では、あの身体の弱かった兄弟や他の兄弟と再会することはできますか。」

黒「再会はできます。ただ、あちらの世界でもまた別れなくてはいけないかもしれません。なぜなら、私たちはそのような運動体だからです。」

か「そうですか。でも、少しうれしいです。」

黒「あぁ、本当に時間がなくなってきてしまいました。


申し訳ありませんが、左手をこちらに。


右手をご自分の胸にあててください。


はい、それで構いません。緊張しなくて大丈夫ですよ。

ゆっくりと深呼吸してください。それではいきます。」


・・・・いち、に、さん、ぱちん・・・・


つぎは・・

【短いはなし -完-】愛を伝えたかった入れ物のザリガニのはなし