日本のアニメーション歴史年表 その4 1989(平成元)年~2000(平成12)年 | 日本アニメ視聴館  アニメ公式配信紹介

日本アニメ視聴館  アニメ公式配信紹介

アニメコンテンツやアイドルコンテンツに関して、記録や思ったことを徒然に記しています。

お越しいただきありがとうございます。
日本のアニメの100年にわたる歴史を紹介する年表1989(平成元)年4月から2000(平成12)年をまとめました。商用アニメのほかにアートアニメも一部紹介しています。
すべての作品紹介をこの記事で行うのはデータ容量上、難しいので、主にアニメーションの技術的側面・人気に貢献した商用アニメ・アート系アニメーション作家作品を紹介します。
アニメーションの歴史で他のコンテンツとの交わりが、その後のアニメコンテンツの発展に影響している場合もありますので、その点で個人的に興味深い事例も紹介し、記しています。

最近の更新 2018年2月4日 「ゲーム機能の発達によるアニメパート導入 NECホームエレクトロニクスのアニメ戦略と数奇な運命」追加

その当時のできごともともに一部紹介しています。📺マークをクリックすると関連映像を視聴できます。
※敬称略 スタッフは一部抜粋
※ある程度公開できるレベルに達していると判断しましたが今後も追記、修正、改訂する見込みです。
※当ページの文章・画像のコピーを禁じます。


1989年 昭和64年・平成元年

4月 「青いブリンク」放映(~1990年3月)(全39話) NHK
手塚治虫の急逝により第5話のあらすじまでを手がけた遺作となった

ドラゴンボールZ」放映開始 フジテレビほか
鳥山明原作漫画「DRAGONBALL」における孫悟空の息子、孫悟飯登場からのサイヤ人編と人造人間編、魔人ブウ編で構成 平均視聴率20%を超える大人気アニメ作品で、国内だけでなく世界40カ国以上で放映され、世界的に知られるアニメ作品となった Zシリーズからバトル色が強くなったことから、国によっては青年、大人向けの時間帯での放映となっている

「らんま1/2」(~9月)   原作 高橋留美子  シリーズディレクター 望月智充  📺
シリーズ構成 浦沢義雄 井上敏樹  キャラクターデザイン 中嶋敦子  制作 スタジオディーン
声優 井上喜久子が天道かすみ役で出演 穏やかなお姉さん役として定着

7月 「機動警察パトレイバー The Movie」 原作 ヘッドギア  監督 押井守  脚本 伊藤和典
音楽 川井憲次  制作 スタジオディーン  制作協力 I.G タツノコ
「機動戦士SDガンダムの逆襲」との同時上映

「魔女の宅急便」公開 スタジオジブリ 制作P・脚本・監督 宮崎駿 
製作に日本テレビ放送網が参加 ヤマト運輸も参加し、多角的宣伝効果を発揮
第13回日本アカデミー賞 話題賞受賞ほか複数の賞受賞
第44回 毎日映画コンクールアニメーション映画賞受賞

映画「NEMO」アメリカ公開  

テレコム・アニメーションフイルムが企画しアメリカとの合作・フルアニメーションで制作された長編作品 
制作当初、大塚康夫、高畑勲、宮崎駿、近藤善文など、錚々たるメンバーが参加したが、アメリカ側との打ち合わせが幾度も難航し、近藤善文、田中敦子、出崎統、友永和秀参加によるパイロットフイルムが82年に完成後、日本側制作スタッフは殆ど降板 1989年7月に日本公開 監督は波多正美、ウィリアム・T・ハーツが務めた 海外スタッフもゲイリー・カーツ、ジャン・ジロー(メビウス)など錚々メンバーが参加

12月 「ドラゴンクエスト」(第1部)放映開始  ゲーム「ドラゴンクエストⅢ」を題材にしたゲームからアニメ化における最初期の作品  アニメ制作 スタジオコメット

そのほかのできごと
4月1日 消費税3%施行
4月21日 任天堂「ゲームボーイ」発売
6月4日 中国天安門事件

6月30日 PCエンジンCD-ROM²より「天外魔境 ZIRIA」発売
10月14日 田仲角栄元首相政界引退表明
11月10日 ベルリンの壁崩壊


1990年 平成2年

1月 「ちびまる子ちゃん」放送開始(1期:1992年9月 2期は95年1月~)

4月 「ふしぎな海のナディア」放映開始(全39話~91年4月)
総監督 庵野秀明  監督 樋口真嗣 キャラクターデザイン 貞本義行

そのほかのできごと
3月 景気後退期に入る バブル崩壊のはじまり
4月26日 海上自衛隊、ペルシャ湾へ初の海外派遣開始
10月3日 東西ドイツ統一
11月21日 任天堂「スーパーファミコン」発売

「いばら姫またはねむり姫」 企画 岸田今日子/ジィ・クビーチェク

脚本・演出・人形美術監督 川本喜八郎
岸田今日子による短編小説をベースにチェコとの合作で制作 撮影は川本がかつて学んだトルンカ・スタジオにて行われた

 

1991年 平成3年

「注文の多い料理店」 原作 宮沢賢治  脚本・演出 岡本忠成  監修 川本喜八郎
岡本忠成が制作したセルアニメ 水彩調+木炭画で独特の雰囲気のある作品
1990年に病気により岡本が死去し、制作を川本喜八郎が引き継ぎ完成
1991年度 大藤信郎賞受賞


7月 「おもひでぽろぽろ」  原作 岡本螢 刀根夕子  監督・脚本 高畑勲  キャラクターデザイン 近藤善文  作画監督 近藤善文 近藤勝也 佐藤好春  絵コンテ 百瀬義行  美術監督  男鹿和雄    プロデューサー 鈴木敏夫  製作プロデューサー 宮崎駿 
大人のキャラクターは顔のしわを表現手法として描くなどの特徴が見られる ※火垂るの墓も同様
タイアップにカゴメとブラザー(ミシンメーカー)と組み、女性ユーザーの囲い込みアプローチも行われた


1992年 平成4年

3月 「美少女戦士セーラームーン」放映開始(無印~R・S・SuperS・セーラースターズ ) 📺
戦闘系変身ヒロインアニメ作品として大ヒット セーラー服をコスチュームに個性的なキャラクターと斬新な設定から注目を集め、社会現象に発展
影響面は庵野秀明氏のキャラクター作成の参考、宝塚歌劇団80周年大運動会の余興、バラエティ番組でのコスプレ披露など、多岐にわたり、子どもたちだけでなく幅広い層から注目を集めた
国外では闘うヒロインという設定が日本以上に大きな影響を与えていることが、今なお関連動画における海外ファンのコメント文の多さから伺える
当時は日本においては女性の社会進出が注目されていた頃 国際的には各国に差があった点も時代背景と国際的反応の関係性で興味深い のちの魔法少女系アニメの複数メンバー構成・変身・必殺技ツール・マスコット的使い魔などの影響を多く与えたと思われる
 
「EDで走るアニメは…」のなかでサイドビューで単独で走るヒロインは美少女戦士セーラームーンRのED「乙女のポリシー」が最初と思われる

※画像をクリックすると「美少女戦士セーラームーンR」第1話が視聴できます(東映アニメーション創立60周年公式YouTubeチャンネル)


4月 「クレヨンしんちゃん」 放送開始

5月 「地下幻燈劇画 少女椿」 丸尾末広による漫画を絵津久秋がほぼ自主制作・興行形態で上映 詳細に関してはコチラ1 コチラ2 逆境哀切人造美少女電脳紙芝居『少女椿』

7月 「紅の豚」公開 原作・脚本・監督 宮崎駿
当初、JALの機内上映用短編映画としてスタートしたが発展し、長編映画となったいきさつがある JALとのタイアップはその縁によるもの

8月 「あずきちゃん」(~98年3月)
原作の漫画原作・原案は秋元康 アニメ版は秋元康・木村千歌

9月 「天地無用!魎皇鬼」第1話リリース(OVA1期 第3期までOVA)

10月 「幽☆遊☆白書」放映開始(~95年1月) 阿部記之監督  制作 スタジオぴえろ 📺

【コラムっぽいもの】 

「ゲーム機能の発達によるアニメパート導入 NECホームエレクトロニクスのアニメ戦略と数奇な運命」

TVゲームは、いわば、プレイヤーのリモコン操作によって、画面上のアニメ―ションを視覚的効果として楽しむ要素を含んだゲームといえますが、ハードとソフトの高性能化によって、TVアニメ同様の映像演出を取り入れることが可能になった事例として、1989年にNECホームエレクトロニクス製PCエンジン CD-ROM²から発売され、シリーズ化されたゲームソフト「天外魔境」(ハドソン・レッドエンタテインメント)の功績は大きいと考えています

 

NECホームエレクトロニクスが家庭用ゲーム機器として、世界初となる光学ドライブ搭載(PCエンジン CD-ROM²)を実現し、ソフトウェアに当時としては大容量・音声再生能力が有利なCD-ROMを採用したことにより、キャラクターのセリフとアニメシーンをゲーム内に取り入れることができたことは、ゲームの世界観をより一層楽しめる効果を与えました CD-ROMとはいえ、容量を考慮し、負荷がかからない程度のアニメーションを心がけていた点は用途目的は異なるものの、TVアニメ草創期のリミテッドアニメに通じる部分があり、興味深いです  参考 天外魔境Ⅱムービーシーン 📺

 

ゲームソフト「天外魔境」では当初(ZIRIA)より、活躍中の声優を登場キャラクターをキャスティングしたことも、当時のゲームとアニメのファンを惹きつける効果があったと思います ペイントソフトなど、デジタル環境での作画・制作の模索が行われたことも、その後の功績として大きいでしょう

 

シリーズ化された「天外魔境」は、ジャンルの紆余曲折(複数展開)はあったものの、アニメパートは1997年の「第四の黙示録」以降も導入※(※通常の作画アニメを圧縮してCD—ROMに収録)されるわけですが、この頃は家庭用ゲーム機の機能刷新が目覚ましく、1994年にセガから「バーチャファイター(セガサターン版)」、1995年には「鉄拳(PlayStation版)」と3DCGポリゴンを活用した格闘ゲームが登場。NECホームエレクトロニクスは32ビットの家庭用ゲーム機PC-FXを発売したものの、3DCGの流行には乗らず、2D作画アニメユーザー(ファン)を取り込むべく、95年よりディスク版アニメマガジン「アニメフリークFX」を展開。昨今でもアイドル系アニメのダンスパフォーマンスは2D作画か3DCGか?という議論が行われていたりしますが、1995年頃にもゲーム企業の方針とはいえ、趣向の違いをユーザーに選択させる展開になったことは興味深いです

 

NECホームエレクトロニクスはアニメファンを獲得する戦略を進め、94年発売PC-FXの美少女マスコットキャラクター「ロルフィー」をデビュー 「アニメフリークFX」やゲームソフト、シングルCDリリースや広告塔としてのPR活動を行い、バーチャルアイドルといえる活躍をみせました

参考 「となりのプリンセスロルフィー」 冒頭シーン 📺 エンドロール 📺

 

しかし、NECグループの事業整理の煽りを受けて、2000年3月にNECホームエレクトロニクスは事業を停止。解散してしまいます

 

時を経て2009年、セガから3DCGバーチャルアイドル「初音ミク」※によるリズム音楽ゲーム「初音ミク -Project DIVA-」リリース インターネット環境の拡充とユーザー同士の創作活動、動画共有サイト投稿文化も追い風となり、世界を席巻するのでした

※「初音ミク」はクリプトン・フューチャー・メディア社が2007年8月31日に発売したキャラクターボーカル音源ソフトウェア

 

NECホームエレクトロニクスの戦略は、「天外魔境」によるTVゲームのクオリティ向上だけでなく、アニメコンテンツへの感性も含め、的を得ていたものの時代を先取りし過ぎていたのと、バブル崩壊後の景気と発展著しいゲーム機競争の影響もあり、今ではゲームとアニメ両面での技術的マイルストーン(礎)となっているのは、アニメ・ゲーム・キャラクターコンテンツへの貢献と数奇な運命を感じずにはいられません

 


1993年 平成5年

1月 「無責任艦隊タイラー」放送開始(~7月) 原作はライトノベル
※画像をクリックするとバンダイチャンネル 第1話視聴できます


短編アニメ 「銀河の魚」 監督 たむらしげる
大藤賞受賞作品としては初となるCGアニメ その後放送されたTBS系「ブロードキャスター」OPアニメーションを制作したことでも知られる

 

4月 テレビ朝日系列「ニュースステーション」に季節ごとのフルアニメーションオープニングを採用

 

8月 ミュージカル 「美少女戦士セーラームーン 外伝 ダークキングダム復活篇」公演

アニメ化を経ての2.5次元ミュージカルのさきがけ的作品(原作漫画1992年7月※単行本発売 TVアニメ化92年3月 ミュージカル化93年夏) 参考 コチラ(バンダイビジュアル)

なお、漫画原作での2.5次元ミュージカルに相当する最初期のヒット作品では、1974年8月初演 宝塚歌劇団月組公演「ベルサイユのばら」(漫画原作1972年※連載開始 ミュージカル化74年8月 TVアニメ化1979年10月) 参考 コチラ(宝塚歌劇 ベルサイユのばら)


10月 「魔法騎士レイアース」(~95年11月) 原作CLAMP(漫画) 監督 平野俊弘  制作 東京ムービー新社  魔法騎士というタイトルながら、変身、魔法、マスコット的使い魔の存在を有する魔法少女の系統を感じさせる作品

その他の出来事
4月 初となるアニメチャンネル「キッズステーション」開局



1994年 平成6年

1月 「赤ずきんチャチャ」放映開始(~95年6月)
辻初樹監督 ぎゃろっぷ制作 アイドルグループSMAPの香取慎吾が声優として参加

3月 「ママレード・ボーイ」放送開始(~95年9月) 詳細  第1話 📺
ラブコメ作品に価値観の多様化や離婚にともなう家庭環境の変化など、当時の実社会を反映させた内容

4月 「機動武闘伝Gガンダム」 総監督 今川康宏  シリーズ構成 五武冬史
これまでのガンダムシリーズとは一線を画す内容・設定で制作(宇宙世紀の歴史とのつながりはない)
当時ブームになっていた格ゲーの影響が色濃く発揮されている  📺 第1話
それまでのガンダムのイメージを大きく変える内容で、放送当時の衝撃は相当なものであった

手塚治虫記念館開館(4月25日)

6月 株式会社オー・エル・エム設立 
後にTVアニメポケットモンスターシリーズや妖怪ウォッチの制作を担当する

7月 「平成狸合戦ぽんぽこ」公開 原作・監督・脚本 高畑勲  企画 宮崎駿
JA共済とのタイアップで特製パンフレットを配布 里山を舞台にした作品とマッチする効果を発揮


10月 「マクロス7」放映開始(~95年9月) 公式サイト コチラ
監督 アミノテツロー  シリーズ構成 富田祐弘

「NHK プチプチアニメ」にて「ロボット パルタ」放送開始 ※月不明

そのほかの出来事

「声優グランプリ」、「ボイスアニメ―ション」声優雑誌創刊相次ぐ



1995年 平成7年  -濃密な年-

1995年から商用アニメをとりまく製作・制作面で大きく変化が生まれ始めます。
デジタル彩色・3DCGの本格実用化、さらなるジャンルの細分化、深夜時間帯枠アニメ(30分枠)放送開始、歴史に残る作品続出などが挙げられます。

「資生堂 HGスーパーハード」のCMにポリゴン・ピクチュアズが3DCG制作
※95年~97年頃


OVA版「魔法少女プリティサミー」リリース(~97年) 「天地無用」のスピンオフストーリー
魔法少女タイトルで変身&アクションやマスコット的な使い魔(パートナー)、現在に至る魔法少女作品のひな型的要素を多く含む作品 公式ウェブサイトのあらすじで戦うという表記も確認できる


3月 「飛べ!イサミ」放送開始(~96年3月)
総監督 杉井ギサブロー 監督 佐藤竜雄  主題歌にTOKIOを採用「ハートを磨くっきゃない」

4月 「行け!稲中卓球部」放送開始(~9月) 当時まだ浸透してないころの深夜アニメ
NHK 「プチプチ・アニメ ニャッキ」放送開始 📺 制作 I.TOON ANIMATION STUDIO
5月 株式会社XEBEC(ジーベック)設立

12月 テクノアーティスト「KEN ISHII」ミュージックアルバム「EXTRA」発売 
ミュージッククリップ制作にSTUDIO4℃の森本晃司が担当 コチラ

【コラムっぽいもの】 
「デジタル技術の発展にともなうアニメーションと音楽の進化

『EXTRA』におけるアニメ―ションミュージッククリップPR展開」

1990年に入ると社会全般においてデジタル機器の機能が加速度的に向上 アニメーションの世界では90年代に入ると彩色のデジタル化にはじまり、後半にはPCモニタと専用タブレットを活用したデジタル着色や合成、CG技術を活用する動きが活発化しました

音楽の世界では前半頃より電子楽器系のデジタル化が進み、リアルな複数音源によるオーケストラ楽曲をPCとデジタル音源機器を活用することによって少人数でも作り出すことを可能にしました

デジタル機器の進歩によって1990年代前半の音楽ジャンルをクローズアップしてみると、音楽全般ではまだマイナーでしたが、DTMや電子楽器を多用するクラブ・ディスコ系音楽(ここではテクノ・ハウス系)が斬新な音作りと柔軟な創作方法でファンを着々と増やしていました


大手レーベルのエイベックスやソニーレコードによる積極的な海外クラブ系アーティスト楽曲の輸入とコンピレーションCDを精力的に発売していたことと、世界的なテクノ・クラブミュージックのムーブメントが始まり、国内インディーズレーベルの立ち上げなど、盛り上がりはじめた1995年に東洋のテクノ・ゴッドこと、ケン・イシイの制作したテクノシングル「EXTRA」が発売


アニメーションPVには映画「AKIRA」で作画監督補佐を務めたSTUDIO 4℃の森本晃司が担当

ミュージックビデオでは当時最先端のデジタル技術を積極的に導入し、制作費は1200万円(当時)
今までに観たことのないような非常にソリッドかつ疾走感のある映像世界を生み出しました

特に立体感溢れる3Dパース表現により、これまでの作画にはない迫力を与えていた点は注目

 


「EXTRA」制作メイキングのきっかけは国内外のテクノムーブメントを知り得たソニー ミュージックエンタテインメントが海外インディーズレーベルでケン・イシイの活躍を察知したことで、海外所属レ-ベルごとソニーレコードと契約を結び、国内で積極的にPR展開が進められました

ケン・イシイのプロモーションビデオ制作の話が持ち上がり、当時所属していたR&Sレコードの社長に伝えると、即座にぜひ映画「AKIRA」のスタッフに作ってもらいたい」との返答があり、日本側スタッフが「AKIRA」の設定・作画監督を務めた森本晃司へオファーをした経緯があります

 

当時、「世界初の“マンガ”テクノ ビデオ」というキャッチフレーズで展開し、リリース前にCD・レコード店にアニメーションPVを上映した特設コーナーや情報系TV番組にも紹介されていました(当時、テクノアーティストの特設コーナー設置自体異例だった)
今ではよくある事例ですが、ミュージッククリップにアニメが採用され、積極的に各メディアで宣伝に活用されたのは当時としては先進的な試みだったと思われます

ソニーレコードは未開拓のテクノミュージック認知拡大のため、EXTRAのシーンを大々的に活用したリーフレットをレコード店で配布

 

リーフレットの一部(表紙・内ページ) 大友克洋と森本晃司のコメントも記載されている

 



「ケン (テクノアーティスト) VS アキラ(AKIRA 映画)」というサブタイトルでエピソードが記されている



テクノファンの間では当時かなり注目を集め、映画「AKIRA」をイメージさせる映像ということから、公開直後からTV番組で視聴したゲストや視聴者も同様の印象をコメントしていました

 

インターネット環境においてはマイクロソフトからWindows95が発売し、その後のパソコンブームとインターネットユーザー拡大に伴い、CD-ROMでの「EXTRA」ミュージッククリップ視聴効果もあり、国籍を超えて同じ趣味を持つネットユーザーたちの間で話題となります


「EXTRA」のPVや後に紹介する「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」を観た海外のアニメファンも高い関心を示し、数ある90年代の名作アニメ作品のうち、現在に至る日本のアニメ(ジャパニメーション)ブームの先駆けの一役を担った重要作品のひとつといっても過言ではないでしょう

96年に「EXTRA」のミュージックビデオはMTV Dance Video of The Year受賞
加速度的に進化を遂げる90年代デジタル技術の発展を象徴するかのようなアニメーション作品です
かなり尖った作品ですが、当時はあらゆる面で限界に挑もうとする作品は多かったでした



 

ちょうどこの頃、ソニーグループでは95年より映像・アニメコンテンツ事業(ソニー・ピクチャーズエンタテインメント)に進出し、97年にSPE・ビジュアルワークスを設立 そして、2003年に株式会社アニプレックスへ商号変更され現在に至ります  詳細 コチラ (株式会社アニプレックス 沿革)


「EXTRA」MVはアニメコンテンツパワーを海外からも肌で感じさせる起爆剤になったのかもしれません

7月 「耳をすませば」 原作 柊あおい 製作プロデュース・脚本・絵コンテ 宮崎駿  監督 近藤善文
※近藤善文にとって最初で最後となる映画監督作品
ベテランならではのアニメーションのツボを押さえた描写の味わい深い作品 近藤善文の才能を評価していた宮崎駿がともに映画制作を希望して実現


10月~96年3月
TVアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」 テレビ東京系列で放映開始(全26話)  原作 GAINAX 監督 庵野秀明  副監督 摩砂雪・鶴巻和哉  キャラクターデザイン 貞本義行 一部話の脚本 樋口真嗣
既存のアニメ作品では観られないような緻密な描写と斬新な設定のほか、絶妙な間の取り方等の演出etcで、ジャンルを問わず幅広くファンを獲得 当時の青少年世代の心の闇と重ねあわせるような心理描写、謎めいた展開で話題に 当時、まだ浸透されていない深夜帯での再放送でさらに注目され、社会現象に発展 インターネット環境の浸透や、社会的背景など、相乗効果が青年層から成人、女性と熱心なファンを幅広く獲得 1作品におけるプロジェクトが20年を超える長期作品となっている点も特徴

エヴァンゲリオンの作品世界を引き立てる要素に、特撮や過去のアニメ作品に精通した庵野氏特有の緻密な観察眼が活かされている 主要人物と直接触れるアイテムだけでなく、一見見慣れている電信柱とケーブル、実生活と関連するシステムなどにも徹底した作画クオリティを維持
その観察力の豊かさが世界観、空気感のリアルさと世界屈指の作品を生み出した
TVアニメ化の際に提出された企画書の一部文章(一部抜粋) コチラ

10月 「劇場版マクロスプラス」公開 河森正治総監督・メカニックデザイン 渡辺信一郎監督 
キャラクターデザイン 摩砂雪 アニメーション制作 トライアングルスタッフ


クラブ系ミュージックムーブメント真っ只中の時期、映画「マクロスプラス」では海外のテクノアーティスト
エイフェックス・ツインのアルバムを入れるギミックも 河森正治や渡辺信一郎ともにテクノのムーブメントを知っていたことと、ファンであったことが要因としてあったものと思われる
いわゆる伝説のMADとして知られるマクロスプラス挿入曲「INFOMATION HIGH」は電気グルーヴに在籍していたCMJKが手掛けた 📺


クライマックスシーンのYF21へのミサイルシーンは5秒間で119コマを使用 体当り撃墜シーンもセル画の限界にまでつきつめるような表現がなされている
特技監督をつとめた板野一郎氏による作画技術いわゆる「板野サーカス」が存分に発揮


11月 「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」上映
監督・絵コンテ 押井守  脚本 伊藤和典  キャラクターデザイン 沖浦啓之  作画監督 黄瀬和哉

※ポストカードより




 

漫画家士郎正宗のSF色溢れる漫画を伊藤和典のリアルな世界観と押井守の緻密な着眼と表現が当時、浸透しつつあるインターネットと近未来的な電脳、儀体化をキーワードに展開されるSF作品として、世界中のクリエイターに多大なな影響をもたらした
映画「マトリックス」の監督 ウォシャウスキー姉妹※が大きく影響を受けている作品のひとつという点でも知られている ※近年弟が性転換手術を受けた


美術監督は小倉宏昌が担当。緻密かつ雰囲気漂う奥深い世界を下支えした

上に紹介した作品は当時、いずれもセル画での表現を限界まで突き詰めたような制作が印象的です
いよいよ、セル画からデジタル作画・3DCGの技術導入期に入るのでした

12月 株式会社サテライト設立

23日 「MEMORIES」 3作の短編作品によるオムニバス形式の映画作品 大友克洋監修 制作 STUDIO4℃  「彼女の想いで」(監督 森本晃司)、「最臭兵器」(監督 岡村天斎)、「大砲の街」(監督 大友克洋) 「大砲の街」は1カットで制作されていることも注目を集めた


このほかのできごと
1月17日 阪神淡路大震災
3月20日 地下鉄サリン事件
5月 マイケル・ジャクソン「Scream」リリース
ミュージックビデオに「バビル2世(OVA版)」、「赤い光弾ジリオン」、「AKIRA」の一部シーンが使用 📺
11月23日 マイクロソフト「Windows95」発売 一般にもインターネット環境が右肩上がりで浸透


1996年 平成8年

1月 「ゲゲゲの鬼太郎 (第4期)」放送開始(~98年3月)  東映アニメーション制作
仕上げ以降の工程をデジタル化した作品。(試験作品1話を含む) 📺

名探偵コナン」放映開始 
読売テレビ放送網・キョクイチ東京ムービー(現トムス・エンタテインメント)

9月 セガゲームスより「サクラ大戦」リリース アニメパートを取り込んだゲーム作品としてシリーズ累計450万本を売り上げた大ヒット作品 ユーザー人気投票による「1997年CESA大賞グランプリ」、「1997年ゲーム・オブ・ザ・イヤー準グランプリ」受賞 舞台・OVA・TVアニメ・劇場版アニメ化と、様々なメディア展開も行われている 詳細 📺(OP・ED)

10月 TVアニメ「魔法少女プリティサミー」(~97年3月) 📺 

11月 「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生」公開
TVシリーズ第壱話~第弐拾四話の再構成版にあたる「DEATH」編、第弐拾伍話のリメイクにあたる「REBIRTH」編の二部構成


1997年 平成9年

文化庁メディア芸術祭開催 これまでの受賞作品 コチラ

4月 「ポケットモンスター」放送開始 テレビ東京系列 2002年までセル画で制作(本編)
「少女革命ウテナ」放送開始(~12月) 監督 幾原邦彦 制作 J.C.STAFF 📺

7月  「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」公開
TVアニメ第弐拾伍話と最終話のリメイク

「もののけ姫」公開  原作・脚本・監督 宮崎駿
1980年の構想から約16年の時を経て完成 セル画総数13万5千枚、直接製作費20億円
この作品よりデジタル制作室を新たに設けてデジタル彩色、合成、3DCGパート制作に本格的に着手 
興行収入193億円、観客動員数1420万人と当時邦画歴代興行収入第1位を記録
第21回日本アカデミー大賞最優秀作品賞
第52回毎日映画コンクール日本映画大賞・アニメーション映画賞ほか数多くの賞を受賞
数多くの記録樹立にはこれまでの映画作品宣伝手法を活かし最大級の宣伝・キャンペーン・タイアップ展開・実現させたプロデューサー鈴木敏夫と製作スタッフ各社の協力・努力もヒットに導いた

『映像面での特徴』
スタジオジブリ内に本格的デジタルワークスタジオを設置

「もののけ姫」公開前後の時期、日本テレビ深夜テスト放送時間帯に歴代ジブリ関連作品のイメージボードを各作品BGMとともに公開


豚のマスコットキャラクター「なんだろう」は宮崎駿がデザイン アニメ―ションはスタジオジブリが担当

参考

12月 「アニメシアターX」開局


1998年(平成10年)

4月 「頭文字D」(~12月) 📺
ドライビングシーンの車両と一部コースは3DCGで作られており、TVアニメでの3DCG導入は早い部類
カウボーイビバップ」 原作 矢立肇  監督 渡辺信一郎 キャラクターデザイン 川元利浩
音楽 菅野よう子  制作 サンライズ 📺  2000年日本SF大会星雲賞メディア部門受賞
 

「ふたり暮らし」(~6月) 原作 柿本ケンジロウ  監督 森田風太  脚本 志茂文彦  制作 パブリック アンド ジーベック  

深夜番組「ワンダフル」内のアニメコーナーで放送 声優田村ゆかりTVアニメ初主演作品(推定)
 

7月 「劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」公開
ポケットモンスターシリーズ劇場版第1作 詳細
「アニマックス」開局

10月 「青の6号」 原作 小澤さとる  監督 前田真宏  脚本 山口宏  制作 GONZO OVA作品
本格的ハイブリッドアニメ作品 人物は2D作画、海・潜水艦・炎・煙などを3DCGで制作 📺
 

「A KITE」 原作・監督・脚本・キャラクターデザイン:梅津泰臣  アダルトOVA作品(全2巻) クオリティの高い作画とガンアクションシーンで国内外で高い評価を集める。2015年に実写映画化された。 📺

 

「鉄コミュニケイション」(~99年3月) 原作 たくま朋正/かとうひでお  監督 菊地康仁
シリーズ構成・脚本 山田光洋  制作 A.P.P.P. 声優堀江由衣の初主演作品(推定)


1999年(平成11年)

2月 「おジャ魔女どれみ(第1期)」(~00年1月) 原作 東堂いづみ  シリーズディレクター 五十嵐卓哉(~第4期) 第1話 📺

3月
6日 映画「デジモンアドベンチャー」公開  原案 本郷あきよし 監督 細田守  脚本 吉田玲子
「遊☆戯☆王」、「ドクタースランンプ アラレのびっくりバーン」との同時上映
7日 TVアニメ「デジモンアドベンチャー」(00年3月) シリーズディレクター 角銅博之
シリーズ構成 西園悟 📺

4月 「∀ガンダム」放送開始(~2000年4月) 総監督 富野由悠季 📺

5月 GLAYミュージックビデオシングル「サバイバル」発売
監督・キャラクターデザイン・絵コンテ 森本晃司  音楽 GLAY  美術監督 木村真二
CGI監督 斉藤亜規子 総勢228名のスタッフが参加して制作
当時の不安や混沌とした世相に、自分自身を見失いそうになった女子高生の心理・感情表現に注目を集める ビデオシングル売り上げ90万枚という快挙も達成


7月 「ホーホケキョ となりの山田くん」 原作 いしいひさいち 監督・脚本 高畑勲

「ゾイド-ZOIDS-」放送開始(2000年12月)
ゾイドはトゥーンレンダリング処理を加えた3DCGモデルを採用

9月 「カードキャプターさくら クロウカード編」放送開始(~99年6月)  制作マッドハウス 📺

「ユーロボーイズ」 制作 安達亨(後のAC部メンバー)
2000年度NHKデジタルスタジアム年間グランプリを受賞 詳細

10月 「ONE PIECE」放送開始(10月~) 制作 東映アニメーション

「劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」全米3000スクリーンで上映
興行収入8000万ドルを記録。日本映画初の週間興行ランキング初登場1位の快挙を達成 ゲーム原作のアニメ作品が快挙を達成したことにも注目

11月 株式会社ランティス設立

そのほかの出来事
電子掲示板「2ちゃんねる」設立
アニメ―ション作家ユニット「AC部」結成


2000年(平成12年)

ufotable法人登記・設立 
活動は1999年より近藤光氏(代表取締役)と3名のスタッフでスタート

彼女と彼女の猫」 演出・アニメーション制作 新海誠  音楽 天門
当時、ゲーム制作会社に勤めていた新海誠が制作した5分弱の自主制作作品
第12回DoGA CGアニメコンテストグランプリを獲得


4月 「サクラ大戦」放送開始(~9月) 監督松原秀典 制作マッドハウス
「遊☆戯☆王 デュエルモンスターズ」(~04年10月) 本格的TCGアニメの先駆け

7月 「とっとこハム太郎」(1期:~04年3月)

漫画家河井リツ子原作作品 OP曲「ハム太郎とっとこうた」は2010年代後半アニソンクラブDJ+地下アイドル系ファンの盛り上がりによって再度注目される 作詞作曲は河井リツ子(鼻歌が元らしい)

 


 

6月 「人狼 JIN-ROH」公開 
監督 沖浦啓介  脚本 押井守  演出 神山健治  制作 Production I.G
同社制作長編作品として最後のセル画制作アニメ
第54回毎日映画コンクールアニメーション映画賞ほか多数受賞


11月 株式会社 ピーエーワークス 設立 本社は富山県内に設置

BLOOD THE LAST VAMPIRE」公開 監督 北久保弘之 制作Production I.G 
企画協力 押井守 (押井塾での企画書提案議題から映画化に至る)
監督 北久保弘之 脚本 神山健治(企画書が採用)  
作画監督 黄瀬和哉  3DCG監督 木船徳光  キャラクターデザイン 寺田克也
主人公の小夜役に女優 工藤夕貴が参加
Production I.G初となる長編デジタルアニメーション映画作品
車両や軍用機などの立体造形に3DCGを積極的に導入しているほか、光のエフェクトや合成などもデジタル化されている


政府がアニメコンテンツを有力な輸出産業として位置づけ、通産省からIPA(現:情報処理推進機構)→MMCA(マルチメディアコンテンツ振興協会 現:一般財団法人デジタルコンテンツ協会)に委託し、製作に参加 政府が関心を持って製作参加を後援している→詳細
第4回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞
第55回毎日映画コンクール 大藤信郎賞
第29回 アニー賞 映画部門 作品賞ノミネート

同作品は映画監督のクエンティン・タランティーノ監督作品「キル・ビル」のアニメーションパートにも影響を与えている この作品で発揮されたデジタル技術ならではの光と影の演出、レイヤー分けされたパーツとエフェクトの合成、カメラ再現によるピント範囲(被写界深度)表現など、デジタルアニメにおける表現手法を確立させたといっても過言ではない


これら数多くの優秀な作品の成果とジブリ作品を筆頭に優秀作品による社会的ブランド地位獲得、ファンによる二次創作、同人文化の発展が政府主導のクールジャパン戦略の後押しも交え、21世紀のアニメ産業の可能性と国際的な挑戦が本格的に始まるのでした。


日本のアニメの歴史年表 2001年(平成13年)~ に続きます。
日本のアニメーション歴史年表 その4 2001年(平成13年)~2010年(平成22年)はコチラ
 

※できるだけ正確を期するよう資料、書籍、作品ディスクなど確認に努めましたが、万が一、間違い等ございましたら、いちアニメーションファンの浅学によるものでございます。
その際はご指摘、ご教授下さいますようお願い申し上げます。