Naomiのスピリチュアルジャーナル -232ページ目

エジプトの旅 カイロへ

イスラエルに住んでいたにもかかわらずエジプトにはいったことがなかった。
何度か行こうとしたけど、いつも何か邪魔が入っていけなくなっていた。
今回はつわりであまり考えるエネルギーがないまま流れに任せていくことになった。
エジプトは昔から関心があったし、瞑想中にビジョンをみたこともあったので関わりがあることは分かっていたけど、なかなかいけないところからも自分の中で障害になっている何かがあると感じていた。

ちょうど行くことが決まった9月は感情面でも激動の時期でつわりもひどく大変な時期だった。それが過ぎてからは体調も精神的にも落ち着いて、新しい旅への準備ができたものと思っていた。

ところが出発が2日後に迫った日曜日、出血。たまに急いだりするとお腹がはったりすることはあったけど、食事にも気を使っているからか経過はいたって順調で前回の妊娠でもなかったことだ。週末で助産院にも聞けないし、インターネットで調べてみると・・・原因は色々考えられるが、とにかく病院に行くこと、というようなことが書かれている。で、病院に行ったらとにかく家で安静にしているように言われるらしい。(原因が特定できて必要なら入院とか)
なんでこんなタイミングで、と思ったけど、すぐに潜在的な恐怖心の表れだということがわかった。
行かないことにしたら・・・そうか、仕事もないし、家でのんびり、一日中テレビを見ていられる。2週間、本当の休日が楽しめる、と考えている自分と、あれ、私、一日中テレビを見ているなんて嫌なのに、と葛藤している自分に気づいて、これってマインドのトリックだ!と思ったのだった。
忙しくしていたので旅行のこともゆっくり考えていなかったけど、やっぱりエジプトには抵抗を感じていたらしい。こんな風に肉体的にも症状が出て、しかもそれに対するあからさまな思考が客観的に理解できたので、逆に笑えてしまった。
どうせ今すぐの旅はやめなさい、と言われるだろうから病院には行かないことにした。

何か新しいことを試みるとき、こうした形で試されることには慣れてきている。

次の日、また泣きっ面に蜂、の出来事が・・・。
今回の旅は当初、私たち家族とスピリチュアルな友人であるハンス夫婦とのプライベートな旅のはずだったが、エジプトと聞いて興味を持ったハンスとレイの友人が次々と参加することになり、アメリカ、台湾、オランダから11人が集まることになっていた。
その膨れ上がった人数を見て、団体行動が苦手なハンスから興ざめだ、というようなメールを受け取ったのだった。彼は仕事で常に人に囲まれている人だから、休日に同じような空間に自分をおきたくなかったのだろう。
ハンスが来なかったら・・・とちょっと意気消失しながらも、後は流れに任せることにした。

ネガティブな情報や、面倒な時期に旅を予定しまったとか言う自分の感情と向き合い、また空港に向かうタクシーでも渋滞に巻き込まれ(中国の要人が来て高速が規制されたとか・・・)ここまで抵抗をするのか・・・と半ば感心しながらも、結局無事飛行機に乗り込むことができた。

ローマまで13時間、待ち時間3時間、カイロに夜中の2時半に到着という、かなり過酷なスケジュールで、着くまでに憔悴しきっていた。やっとカイロに着いたと思ったら、今度はタクシーがホテルを見つけられず・・・(シェラトンって、かなり有名なホテルだよね・・)、結局部屋に落ち着いたのは朝6時過ぎ。9時半に前日到着した友人と待ち合わせしていたのに興奮してか仮眠も取れず、そのまま朝食をとることになった。

レイはエジプトが2回目だということもあってか、すこぶる元気。アニヤも人がたくさんいて楽しんでいるようだったけど、私は寝不足が原因か気持ち悪く、お腹もはって痛いし、何故か歯まで痛くなって、はっきりいって最悪だった。

カルマ解消系の旅のようなので、快適な旅になるとは思っていなかったから、朝食を食べながら「ホテルで寝て過ごすことになっても最初の一歩を踏み出したということで意味があるよね」と友人に愚痴っていたが、そう思うと逆に出来ることはやってやる!という負けん気がでてきて、「顔色も悪いし、寝ていたら?」というレイを押し切って、午後は予定通りカイロ博物館に行くことにした。

カイロ博物館と言えばツタンカーメンのマスク。小学校の時だったか、黄金のマスクが東京の博物館かどこかに来たことがあって、そのパンフレットを見て異常に興奮したことを覚えている。確かマスクを見に行くことは出来なかったのだけど、父にエジプト展に連れて行ってもらってミイラを見て、人の死体をこんな風に見に来るなんて不思議だ、と思ったことは覚えている。
その後も吉村作治の「ピラミッドの謎」などの本を読み漁った時期があったけど、ずいぶん昔のことでよく覚えていない。出発前は忙しくてエジプトについてはインターネットで調べることもなく、またガイドブックを買うこともなく、カイロについてしまった。

とにかく体調が悪いので、途中でリタイアしても思い残すことがないようにまずツタンカーメンのマスクを見に行くことにした。有名だから、ルーブル美術館のモナリザの絵の前のような人だかりを想像したのに、マスクのある部屋には5,6人、まばらに人がいるだけで、しかもマスクの前には誰もいなかった。

マスクの前に立って、じっと目を見てみた。寂しいような、それでも啓発された深い知恵を感じながらも、マスクを作った人が後ろめたいものを感じていたような気がした。
ツタンカーメン自身はとても悟った人で、身内の裏切りとか、いろいろなことを把握しながらも世の中は幻想であると割り切って生きていたのかな、などと言うことを漠然と考えてみた。

一生懸命つながろうとしてみたけど、気持ち悪いので立っていられない。しかもいつの間にか部屋が混み始めて瞑想どころではなくなっていた。レイがマスクの前でチャネリングを始めたけど、私は一人で部屋を出てベンチに座っていた。
何故か急に学生時代のある人のことを思い出した。運動神経がよくて頭も良い模範生のような人だったけど、その人から突然連絡が来たことがあって、なんでこの私に??と混乱したことがあった。その時の思い出と、私がすごく素朴な、褐色の肌、真っ黒の長い髪をした若い女性で、身分の高い男性と、お互いに叶わないと知っていながら惹かれあっている、そんなビジョンが重なった。

レイが戻ってきて、私は神殿に仕えて、花を添えることが仕事だったみたいね、と言った。
さっき見た黒髪の若い女性が河の近くで籠に花を集めている場面が浮かんできて、その時の純粋な感情が再現されたのか涙が出てきた。

少し休めたので、もう一度ツタンカーメンのマスクを見ることにした。
今度は少し集中できて、面白いことに教育についての情報が来た。
ツタンカーメン王は19歳で亡くなったと書かれていたけど、その若さでは考えられないような啓発された状態が伝わってきた。よくは分からないけど、ほかの惑星だか高次元とつながりをもって、その知恵を使って生活していたようだった。エジプトの土地そのものがそういう場所なのでしょう。

博物館から帰るバスの中では、歯痛がもっとひどくなり、帰って寝込むことになった。妊娠中だから痛み止めも飲めないし・・・。
この歯は数年前にも痛んだことがあって、歯医者さんに行ったけど、虫歯ではない、と言われた。友人に腎臓などに問題があっても歯が痛むことがあるよ、と言われたのでベッドの中で背中に手を当てみた。でも何か違うのかもしれない、エジプトでの人生との関わりかな、と思っていると、後から、一緒にいた友人の一人も博物館で原因不明の歯痛が始まって一晩苦しんだと知った。微妙だったハンスが夜到着。

一段落の終り、また次の段階へ。

昨日は英語教室最後の日だった。
長期の旅行と出産が重なるので早めに退任することになった。
新聞の広告で講師募集の広告を見て試験を受けたのがちょうど2年前の、ちょうど12月初め、ガンジス河巡礼のすぐ後のことだった。先生と言われる職業に就いたことは今でも信じられない。先生という言葉にいいイメージはなかったから。
私自身は実際、いい生徒(定義が難しいけど)ではなく、というより問題児だったから、先生にもサポートを受けた記憶よりも怒られた記憶のほうがずっと大きい。そのうち、どうでもよくなったけど最初の頃は、先生と呼ばれるとぞっとして、ナオミ、呼び捨てでいいから・・・と頼んでいたくらいだった。

色々な子供と出会うことになったけど、結局、教えることを通じて学んだのは相手を知る大切さ。尊重すること。特に子供に対してはそれが欠けると教える以前の問題になってしまう。幼児については本当に毎回がチャレンジで、頭痛の種でもあり、同時に楽しみでもあった。教えるには、教える時間の倍以上時間がかかる。教えることを初めて半年位経った頃、何かの問題で頭を悩ませていた私は、「なんでこんな大変なことをしてしまっているのだろう。教室さえなければ、私の生活はもっと楽なのに。自分からこんなことに首を突っ込んでしまっているなんて。」と考え始めた。そしたら、心の奥から「これがなくなったら、私の人生はすごくつまらないものになってしまう。」という感情も湧いてきた。
この相反する二つの考えは、すべての物事の、同じ資質を映し出している。結局、物事には幾つもの側面があること。情熱をもって何かを始めたとしても、必ず幾つもの側面に遭遇する。その中で、意識的にどんな経験を選んでいくか、ということなのだろう。

ありきたりの表現になってしまうけど、本当に教えるより、教えられた、学ばせてもらった仕事だった。100%、準備が出来ることはほとんどなかったけど、自分なりのポリシーを曲げずにやってきたと思う。昔の私と同じように、反抗的で宿題なんてほとんどやらない、遅刻、欠席ばかりの生徒も、逆に感心するくらい勉強に意欲的な生徒も、それぞれ私に癒しと成長を与えてくれた。私も与えられるものを出来るだけ与えたように思う。
それで、エネルギーが完了したのかな。思ったより早く終わることになってしまったけど、これも時間が、(もしくは私が)加速しているからなのだろうか?

富士山のポータルを開く準備をする

富士山の地下にあるムーというインナーアースを開く準備をするということで、
11月22日、場を清めるためのセレモニーに行ってきました。
アクトゥリアンスのチャネラー、デヴィット・ミラーによれば、もうポータルは開かれる準備はできている、ということでしたが、レイはまだエネルギー的に準備ができていない、ということで来年に向けて準備をすることにしました。
そのポータルがどこにあるか、分かっていません。
準備が出来た時、インナーアースの存在が出てくるとか。
今回はただ、最も適した場所にポータルを開くという意図を込めたクリスタルを埋めることが目的でした。
ポータルは富士山を登った、人気のない場所ということで、シンボルを描いた
5合目の少し手前の空間をさらに登ったところなのかな、と想像していましたが
今回セレモニーを行う場所については「導かれる」とか「大丈夫」とか言うだけで
明確な情報は来ませんでした。
私もレイも、エネルギーもいいし、5合目手前のあたりを当日ダウジングなどで
探せばいい、と始めは思っていましたが、直前になって雪で4合目以降は
通行止めになっているかもしれないと知らされました。
私は複数の人が行くから、おおよその場所でも分かっていないと、と言いましたが
レイは「ジュリアーノは大丈夫としか言ってこない。大丈夫だよ。」の一点張り。
後は、富士山近辺に詳しそうなKaimeiさんにお勧めの場所を聞いておいて、
と言うだけでした。
あの5合目手前以外で磁場の良さそうなところと言ったら浅間神社くらいしか
思い浮かびません。ちょうど本殿の後ろに林があり、精霊に満ちた場所だ、と
感じた場所がありました。1年前、その浅間神社に一緒に行った友人も
同じことを言っていました。

当日、高速にのる前に雨が降ってきましたが、富士山に近づくにつれて雨は
上がってくれました。スバルラインの入り口に着いてみると、雪のため
全面通行止めでした。やっぱりここではなかったようです。

そこから、まずKaimeiさんが勧めてくれた、スバルライン入口のすぐそばにある
船津胎内樹型に行くことにしました。スバルラインに通る度に「胎内洞窟」という
看板をよく目にして、以前から気になっていた場所です。
洞窟はコノハナサクヤヒメが子供を産んだ場所とされ、小さな神社の中から
洞窟に入っていきます。

レイに富士山の女神だということを説明すると、ちょうど、ポータルを開く許可を
得たかったと言います。そこで参拝をしてから洞窟の中へ入りました。
樹木が溶岩の中で燃え尽きて出来た洞窟なのでかなり狭く、段差も多い場所ですが
なぜか狭い場所で感じる圧迫感がないように感じました。レイもロブも、居心地がいいことに驚いていました。身体をかがめて進んで行きましたが、洞窟の中間あたりで意図を伝えるセレモニーをすることになりました。みんなで来年にはポータルを開けるようにサポートをしてもらう意図を伝え、ムーのトーニングをしました。

なんと、行くことを提案してくれたKaimeiさんも初めて来たとか。
最初から最善の場所に導かれたことに感謝して、次に向かうことになりました。
セレモニーはクリスタルを埋めることのできるオープンスペースが必要なので
まず洞窟の近くの公園に行ってみましたが、スポーツセンターのような場所で
どうとっても場違いでした。レイは友人夫婦とダウジングやロッドで方向を確認しながら
行きたい、ということで別の車に乗り込み、取りあえず浅間神社に向かうことにしました。

ちょうど1年前、去年の11月末にエバと、また今回も一緒に来たMikaさんと
この浅間神社に来ました。雲がほとんどない、快晴で、参拝した後、裏の林に
足を延ばしてみると、木洩れ日の中でいろいろな存在が飛んでいるのが分かって、
エバも「なんていう場所なの!!」と感動していました。
Mikaさん夫婦も私も、あの時の記憶が鮮明に残っていて、セレモニーをするなら
あの場所だ、とほぼ確信していました。

駐車場につき、車を出てみると、友人が、やはりロッドが神社の裏側を指している
と言いました。神社の前で、クリスタルに意図をプログラムして、参拝、それから
裏に向かいました。ロッドは裏の右手の方向をさしていて、その林の木が少し
空いたスペースでくるくる回り始めました。ロッドを持っていた都さんが、
「ここがゼロ磁場みたい」と言いました。ダウンジングやキネシオロジーで調べてみても
やはりここのようです。割れた木の枝が、他の枝に引っかかり、ちょうど
矢印のようにその場所を指していました。
あまりにも明確な宇宙からの道標のようで皆で大笑いでした。

そこにプログラム化したクリスタルを埋めました。
レイがジュリアーノをチャネリングすると、来年、2010年の5月の19日~17日の
間に富士山に再度来てポータルを開くように、というようなことでした。

小さい頃、ムー大陸とかアトランティスの謎とか聞くと好奇心を掻き立てられたけど
その頃はただファンタジーとして終わってしまったので、今こんな形で関わっていけるなんて面白いな、と思いました。

どんな場所なのか、ということにも興味がありますが、結局、レイの言うように
その情報をどのように今を変化させるために使うのかということなのでしょう。

セレモニーですっかり冷え切ったので、温かいうどんを食べ、帰路につきました。
途中で寄った忍野八海は思いがけず素敵なところでした。
富士山の雪解け水が飲める、とだけ聞いて言ってみたのですが、民家、農地の先に
すっかり観光地化された町が出来ていました。
ちょっと人工的でしたが、水が本当にきれい。
阿蘇の麓の水源に行った時も同じような感動を覚えました。
人って、やっぱり澄んだ水をみると落ち着くのです。
しかも水がおいしいと、そこで作っている食べ物、飲み物は自然においしくなります。
こんな近くにこんな場所があったなんて!
お団子やヨモギまんじゅう、その他豆類などもお手頃価格で、少しゆっくりしたかった場所です。この場所も山中湖に行くといつも看板を目にしていましたが、足を延ばしたことがなかったので、新しい場所に行くのも大切だな、と思いました。


場所を見つけてくれた人、エネルギー的なサポートをしてくれた人、
本当にそれぞれの共同創造でとても充実した、楽しい一日になりました。
来年に向けて、波動をあげていけるといいですね。