Naomiのスピリチュアルジャーナル -229ページ目

アドベンチャーin北海道

先週、北海道に行ってきました。
ミクシィから来ていただいた方、素敵な時間をありがとうございました。


北海道にはスピリチュアルに道を進む前にも何度か言っていますが、何かブロックがあるらしく、行く前にかなりの浄化を経験することになります。

最初に行ったのは、22の頃だったか、バイクで10日間ほどの一人旅。9月でしたが、ちょうど台風が来て予約していた東京からのフェリーが出ないことになり、でもどうしても行きたかったので、新潟まで高速で行ってからフェリーに載ることになりました。そんな天気だったので風も強く、新潟までで疲れきってどうなる事かと思ったけど、なんとか時間に間に合ってフェリーに乗ることが出来ました。着いた後は、本当に最高の旅でした。北海道は人も優しいし、食べ物もおいしい。一人旅の私に、バイクのナンバーを見て、相模か、遠くから来たね、とか色々な人が声をかけてくれたし、ライダーハウスでその辺にあるキャベツとじゃがいもを炒めて食べても、味が違う。
そして何より、自然。摩周湖を見た時、文字通り、体に電気が走ったように感動しました。噂には聞いていたけど、本当に魔法のような光景でした。それまでにもヨーロッパなどを中心に海外旅行をしていましたが、日本にこんな素晴らしい場所があるのにわざわざ遠くまで行くなんて、と思い直すきっかけになりました。

その時もそうですが、北海道に行く前には嵐のようなハプニングが起こります。

公開チャネリングを開催したのは3度目になりますが、3年ほど前だったか、初めてのワークの時はやはり台風になり、前日は一晩中雷が鳴り、ほとんど寝られませんでした。本当に3分毎にどこかに雷が落ちて、こんなに雷を聞いたのは初めて、と言うぐらい凄まじいものでした。これでは飛行機飛ばないよね、と言っていたところ、明け方には落ち着いて来たので、雨が降る中空港に向かうと問題なく行けることになりました。

初めて札幌の市庁舎の前を通った時、ヨーロッパ風の素敵な建物なので入って写真を取ろうとしたところ、門の前で体が動かなくなり、磁場が悪いのかな、と思い直して入るのをやめました。アイヌの人たちとの確執のエネルギーがあるのかな、とか色々考えましたが良く分かりませんでした。

2回目は去年の9月で、つわりの真っただ中。寝込み始めたところで、出発前日も吐き気がすごくてどうなることかと思いましたが、ついてみると意外と大丈夫で、食事も普通に出来ました。この時、また市庁舎の前を通ったのですが、前回の時のような制限は感じなかったので、波動が変わったのかな、と不思議に思いましたが、結局自分の問題だということに後から気付きました。

そして今回。アニヤを預けていくことになり、また6カ月のイラフを連れていくので1泊しか出来ず、スケジュールがかなりタイトになってしまったけれど、ヨガの先生をしている友人に会えることもあってすごく楽しみにしていました。イラフにとっては初めての旅行、飛行機です。アニヤは旅好きで、家よりも車とか飛行機のほうが機嫌がよく、静かにしてくれていたけど、ただでさえ泣き声がパワフルなイラフが飛行機でどうなるかは少し心配でした。まあ、レイも一緒だし、なんとかなるだろう、と思っていたところ、前日の夜になって、ぐずり始め、熱がでました。そして鼻が詰まって横になれず、レイと交替で抱っこしてようやく寝付いたのが朝4時でした。朝8時半には空港行きのバスに乗らないといけないのですが、このまま熱が続いたら札幌では他の通訳を頼んで私はイラフと残るか、とか色々考えながら眠りにつきました。6時に起きてみると、鼻水は出ているものの、熱は下がっているのでなんとか大丈夫だろう、ということで私も行けることになりました。

着いた日は9時まで仕事が入っていて、お茶を飲んでホテルに着いたのは10時過ぎでした。レイのチャネリングで聖母マリアから、私がずっと一緒にいるように言われていたので、セッション中も抱っこすることになり、くたくたでした。
部屋は狭くて、あまり良い場ではない感じ。特に狭い場所が嫌いなイラフが入ったとたんに泣きはじめました。早くお風呂に入って寝てしまおうと、ベッドにイラフを座らせると、しばらく泣いたせいか、ゼエゼエと音を立てて息をしはじめ目がうつろになっています。
泣きやんでも呼吸困難のようで、肩でなんとか息をしています。このまま、呼吸が出来なくなったら!と思った私は半分パニック状態になり、レイを呼ぶと、すぐに病院に行こう、ということになりました。病院嫌いな私も、この状態では仕方ありません。フロントに電話すると、ラッキーなことに緊急病院が近くにあり、一晩中開いているとのこと。
出かける準備をしながら、ヒーラーの友人に電話して遠隔ヒーリングを頼みました。彼女のヒーリングはすごく効果があるのですが、依存するのを避けるために本当に必要な時にしか頼まないことにしています。もう11時近くでしたが、快諾してくれました。
それからタクシーに飛び乗り、10分ほどの場所にある緊急病院に着きました。
ゼエゼエしていたイラフですが、タクシーで揺られたからか、華永さんのヒーリングからか、今度はグウグウ寝てしまい、診察の時までには呼吸も少し音がするものの、普通になっていました。
診察してくれたのは英語を話す、少し年配のお医者さんで、親切でとても専門的でした。
喉が腫れて気管が狭くなっていて、このまま進むと気管支炎になるかもしれないとのことでした。また、何かのアレルギーで、一時的な喘息状態になっているとか。
取りあえず吸引をして、気管支拡張剤などの薬を処方してもらいましたが、夜また呼吸がおかしくなったらすぐに戻って入院してもらいます、と言われました。

2時頃ホテルに戻り、もうチャネリングをする気力もないのでベネボレント・マジックで最善のことが起きますように、とだけ伝えて寝ることにしました。

朝起きたら、呼吸は落ち着いていました。
会場にその日ベビーシッターをしてくれることになっている友人の知人が来ると
ご機嫌でにこにこ。彼女は保育士さんで、平日はちょうど0歳から2歳の赤ちゃんを担当しているとか。そのエネルギーもあってか、最近始めた人見知りも出てきませんでした。
私は、体調も悪いし、私が抱っこしているのが一番落ち着くから、何かあった時だけお願いします、と言ったけど、「お母さんが見えないほうがいいです。」と言われ、借りた保育室で一緒に遊んでくれ、私は通訳に集中することが出来ました。

チャネリングは素晴らしいエネルギーになりました。
公開チャネリングははじまる前からすごく拡大されたエネルギーで、レイがはじまる前からその場をサポートしてくれているスピリット達に感動して泣いていました。
(こんなこと、記憶にありません!)

北海道は大天使ミカエルとつながりが深いのか、個人セッションでも、公開チャネリングでもほとんどミカエルからのメッセージでした。確か去年もミカエルだったような気がします。土地柄でフロンティア精神を求められるから、ミカエルがサポートしてきたのか・・・

なにより、ハートが開かれた人ばかりに会うことになり、とても居心地のいい2日間になりました。とても純粋なエネルギーをもったライトワーカーが多くいましたから、北海道からも日本を変えるエネルギーが発信されるのかもしれません。私達もハートを開くエネルギーを受け取って戻ってくることになりました。

、北海道には個人的に完了させなければいけないエネルギーがあるようで、
外国人として住んでいた時に小さな男の子の少しのミスに怒りを爆発させているような場面を見させられたりしましたが・・・

次回は暖かくなるのを待って、ラブ&グレースチャネリング実践ワークショップも行う予定で、函館などにも足を伸ばしたいと思っています。

山水人


9月の大阪、京都、山水人の旅。
大阪は初めての公開チャネリングでしたが、意識の高い人たちに
集まっていただき、いいチャネリング空間が出来ました。

京都では鞍馬へ・・・
5年ほど前、まだ結婚する前にレイと行った場所です。何故行くことになったのかは覚えていませんが、雨でほとんど人がいない中、本殿に行きつき、思っていたほど波動が高くない気がする・・・と少しがっかりして、さらに先に進んで魔王殿(?)と呼ばれていた小屋(?)までいくと、レイが反応して、瞑想して動かなくなったのを覚えています

今回も本殿に行くと、やはりなにか落ち着かず、赤ちゃんもいるので魔王殿に足を延ばすこともやめて下ることにしました。その下る途中では素晴らしい場があり、レイがそこでサナトクマラとつながりエネルギーを受け取るだけでなく、エネルギーの場を整えることを自分からもするようにというメッセージをもらいました。鞍馬と言うとやはり癒しのエネルギーを期待して受け取りに行く人が多く、依存のエネルギーが集まっていることがあり、今は土地が持っているエネルギーを受け取るだけでなく、人が癒しのエネルギーをもたらす両方向の動きが必要なようです。


そして、山水人。
とても素晴らしい経験ができました。

カイメイさんから教えてもらって興味を持ち、さらにEMFで知り合った
女性もそこでボランティアの田植えなどをしていて、子供達が楽しんでますよ、なんていうことを聞き、以前からアニヤを連れて行きたい!と思っていました。

水源にあるから、歯磨き粉もシャンプーも使えないし、テントで寝たり、
という原始的な環境が、私達にも必要だなーと思ったんです。

ちょうどその頃、アニヤが「駅のトイレは便座が冷たいからイヤ」とか言い出し、意識的に人工的な環境と離れる環境を紹介してあげないと、と思い始めていたからです。

去年も行く予定を立てましたが、つわりで動くことが出来ず、今回も
まだイラフが小さいし、と思っていたのですが、今年はカイメイさんが
ライブをすることになり、ちょうど京都に行くなら寄ってみたらどうか、という
話になりました。

カイメイさんは、スピリチュアルを山水人の若者たちにも伝えてあげたい、
と言って公開チャネリングをしたらどうか、言うのです。

カイメイさんはヒッピー出身(?)で山水人のお祭りも、夜中中踊りまくる
レエブという私達にあまり縁のないジャンルだったので、山水人を経験したいとは思ったものの
チャネリングに関してはちょっとドキドキでした。
チャネリングに興味がある人達の間でしか公開チャネリングをしたことがなかったからです。

カイメイさんが村の関係者の方に話したら、興味を持ってくれたと言うことで、
ライブの間にチャネリングをしてみることになりましたが、どんなことになるやら・・・


到着後、ネイティブアメリカンのテントで作ったステージや
玄米おにぎりやカレーなどの出店を見て歩きまず、まずカイメイさんの
古くからの友人である、この村の創始者の祖牛さんに会わせていただくことになりました。

天気が良くなかったこともあってか、この森の中の異空間に最初からすぐには
馴染めませんでした。
インドが好き、よく旅に出ていたと言っていても、パーティー好きがあつまる
ゴアとは縁のなかった私は、何か浮いてしまっているような感じ。
カイメイさんが一緒にいてくれたのでよかったですが、そうでなければ
もっと心細かったはず。アニヤも初めてのこの空間に、どうしていいか分からなかったようで
帰りたいと言い出しました。

レイもちょっと居心地がよくなさそうで、ここに泊まるの?寒いと思うけど、と聞いてきました。


奥まで歩き、昼食を済ませた後、カイメイさんが祖牛さんを連れて来てくれました。
カイメイさんと歩いてくる祖牛さんを見て、トーンダウンしていたレイが
「あの人か・・・マスターだね」と急に元気になり始めました。
禅僧であり庭師でもあるというその方はもう20年以上もこの場所で暮らしているとのこと。

レイは最初、チャネリングをしても受け取れる人が限られている、と懐疑的でしたが
祖牛さんに会った後は妙に前向きになってしまいました。

私のほうはかなり落ち着かず、ステージの前で踊っている人達を眺めながら
早く時間が来て終わらせたいと、自然を楽しむどころではありませんでした。
せっかく音楽を楽しみに来たのに、変な説法(?)がはじまったと
思われないか、とか、逞しいマインドが色々な話を作り上げてくれます。

私達の前のバンドが始まり、そろそろ準備を、となりました。
チャネリングをどのように説明しようか、とか、カイメイさんに
ステージで紹介してもらおうとか話しながら、ふと顔を上げると、何んと知っている顔が前に・・・
EMFのトレーニングを受けたMさんでした!

初めての場所でスピリチュアルでない人達にチャネリングをするという
かなり落ち着かない環境に立たされていた私には、本当に天から降りてきた
天使のようでした。

Mさんは今年はお祭りの期間だけ手伝いに来ていたようで、
私ももう2年ほど会っていなく、今回来ると言う連絡をしていなかったので
私にとっては棚から牡丹餅のようでした。

レイのことも知っているMさんはプログラムになんでレイ・チャンドランと
書かれているんだろう?DJでもやるのかしら?と思っていたようです。

いやいや、ここでチャネリングしちゃうんだよ、だからこういうこと
理解してくれてるMさんがいてくれて本当、心強い、と半分涙ながら(?)に
伝えステージのほうへ向かうと・・・

聖龍さんと碧龍さん(プラスベビーちゃん)が!!
薄暗くなってきた森の中で、この家族の姿がきらきら輝いて見えました。

ここで合流して一緒に東京に帰ることになっていたのですが
早めについたようです。

ちょうど今着いて、カイメイさんが見えたのでステージ前に来たとか。


カイメイさんはもちろん、スピリチュアルなエネルギーを保ってくれる人が
数人でもいることでチャネリングは変わってくるはずです。

何人も天使を送ってくれて、このチャネリングも高次元で祝福されているのね、と
安心して前に立つことが出来ました。

そして場に調和した、ボブ・マーリーのチャネリング。

進めていくうちに、いつもと全く同じようにエネルギーが動いて戻ってきます。
想像していたような、一方的な発信ではなく、完全なエネルギー交流で
それ以上にここにいる人のハートが開かれていることを実感しました。

私がスピリチュアルで働きかけているのと同じように、またはそれ以上に
音楽と言うものを通して、またはその他の芸術を通して
彼らは自分達を開花させているのだということ。

短い時間でしたがとても充実したエネルギーを作ることが出来ました。

レイも終わった後、やはり多くの人のハートチャクラが開かれていて
とてもチャネリングし易かったと言っていました。

先入観って怖いなーと反省していると、祖牛さんが来て
「素晴らしいメッセージでした。」と言って握手をしてくれました。
その透き通った目を見て、ここに来れたことを本当に感謝しました。

チャネリングは自分を保ちながら、世界を変えていこう、というような
メッセージでしたが、やはりその目的を持った人たちが集まっているように
感じました。
ボブ・マーリーも反社会的に捉えられることが多かったようですが
多くのアーティストと同じく、音楽を通じて愛を広げようとしていたんですね。


7月にハンスが来た時、カイメイさんを見たとたんに
「彼は日本を変えるエネルギーを持っている。彼に何か必要なことがあったら
僕は喜んで手伝うよ。」と言ってきました。

日本を変えるってどんなことなんだろうと思っていましたが、アーティストとは
思考を超えて、音楽や作品、または行動そのもので変化を促しているんでしょう。


山水人では音楽だけでなく、『ミツバチの羽音と地球の回転』の上演募金活動なども
行われていました。

実は私も数年前に六ケ所村ラプソディを見た時にこのミツバチの映画の資金集めをしていて
何かしなくては、と思ってそのままになっていたので、
「今、皆こうして楽しんでいるけど、岩槻(?)の人達は苦しんでいます。」と
言って寄付を集めているのをみて行動に移すって大切だと改めて思いました。

アニヤはというと、最初は帰りたいって言っていたのに、
友達を見つけたらしく、ずっと戻ってきませんでした。
「あの辺にいた」と言う情報をもとに探してみると、テントにこもって
ままごとか何かをしていて、夕飯もここで一緒に食べるからまだ来ないで、
とか言われてしまいました。

村の中ならまあ安心ということで結局夜までほおっておくことになりました。

寒いからか、もう蚊も出なくて夜は星を見ながら外で寝るはずでしたが
近くで真夜中の映画の上映が始まり、結局2時間ほど仮眠したあと、
伊豆の温泉に寄って帰ることにしました。



さて、帰りは大阪で一緒にイベントをした聖龍さん達家族と帰りました。
聖龍さんはよく断食をするのですが、その時も既に2週間ほど、水分のみの
生活をしていました。

当然、レストランに行っても、クルマの中でも飲み物しか取らないのですが、マインドを適切にコントロールしているのか、我慢しているというエネルギーがなく、「食べなくてもいいんだ。」と、とても啓発された気分でした。

食べなくていい、というのは当然ですがとても経済的だし、それ以上に、
人間の恐怖の大部分はきっと、「食物がなくなる」ことへの恐怖なので
「食べなくてもいい」という概念に触れるととっても安心するのです。


私もお肉を食べなくなってから焼き肉レストランに行ったことがありますが、ほとんど食べ物として認知しないので「食べれなくて悔しい」という考えは全く持ちません。

それが全ての食べ物に対して言えるのかもしれないという認識に広がりました。


大阪、京都はもともと大好きな場所で、高校時代から「青春18きっぷ」をフル活用して
よく行っていました。まだローカル線で東京と大阪がつながっていた頃で、
8時間くらいかけて往復をしていました。

食べ物もおいしいし、京都は見るところがたくさんあるし・・・
特に山水人に来年も行きたいです。




Naomiのスピリチュアルな独り言




イスラエルの友人達

翌日、日曜日。イスラエルでは週明け、仕事初めの日。
テルアビブに戻り、前の会社の同僚と会うことになっている。
マーケティング部で一緒だった、中国語を話す女性では二人の子の母になっている。
働いている頃から漢方とか鍼の勉強をしていたけど、今では自宅でそのサロンを開いている。また病院に出向いて、鍼で陣痛を促進させるようなこともしているらしい。
私が助産院で産む、と言うと、イスラエルではほとんどが病院出産で個人の家で産むということはほとんどないから羨ましい、と言っていた。でも、イスラエルでは病院と言っても、分娩の体位も自由、また陣痛促進の方法もこういった東洋医学にオープンだったと言っていたから別に病院でもいいのかもしれない。

下の子はまだ5カ月の女の子。上は2歳半のやんちゃ盛りの男の子で一番大変な時のようだった。ヤッフォのおいしいホモスの店に連れて行ってくれた後、夕食は家で食べることになったが、「掃除の人が来てくれる日だから、6時まで家に入れない。」と言う。
掃除しなくていいなんて羨ましい!と言うと、「私はそんなに働いていないから、ほとんど収入もない。家にいるのに、って思われるし、夫に対しても躊躇したけど、自分には必要だと思ったから勇気を持って頼んでみたの。」とのこと。
彼女も最初は罪悪感との戦いだったらしい。すごく分かる。でも、自分を大切にすることを選ぶって素晴らしいと思った。下の子は常に抱っこしていないと泣くし、泣いている妹に上の男の子は「イマ・シェリ!(僕のママだ!)」と叫ぶ。で、ちょっと大人しくなったと思ったら、ミキサーを分解して、壊していた。
アニヤも2歳の時は一番大変だった。所謂、「悪夢の2歳」で、一番ケアが必要な時。
こんな時期には人に助けを借りる、その勇気を持つって、家族のためにも必要なことだろう。ちなみにこの友人は一緒にエベレスト(ベース・キャンプ)をトレッキングしようと計画していた友人で、ネパールに一緒に入るはずが、彼女がOSHO(インドの和尚アシュラム)にはまってしまったことで、私ひとり、アンナプルナ(そこで危機一髪の経験をすることになる)に向かうことになった。彼女はその後、カミーノ(スペインの巡礼地)などを周っていたので、私が今度は子連れでアンナプルナかカミーノに挑戦したいなーと言うと、彼女も家族で行きたいと思っていたらしく、その話で盛り上がることになった。



翌日、月曜日はダナと南テルアビブにある動物園へ。動物園と言っても、小学校に付属している小さな施設で、小学生の観測用の動物がいる。その学校は動植物に特化した小学校らしい。猿やクマはもちろん、フラメンコや鶴、鷲など様々な鳥類、またシカは野放しでうろうろしていた。
ランチはヤッフォのボレカス専門の店へ。ナスやチーズ、ホウレンソウ、マッシュルームなど色々な味が楽しめる。
イスラエルは移民の国だから、色々な味が楽しめる。ボレカスはブルガリアかどこか、東欧系の食べ物だけど、もうすでにイスラエル料理になっている。
日本にもボレカスの店ってあるのかな。パイ生地だからカロリーは高いけど・・・。

火曜日は夕方にニコルのいるアシュケロンに行くことになっていたので、午前中、早起き出来たら電車で北に2時間ほどの場所にあるアッコという町に行くことにした。アッコはエルサレム旧市街と同じようなアラブの町で、十字軍時代の建物が残る、情緒豊かな、私のお気に入りの町だ。が、起きたのは10時過ぎ。午前中は泊っていたダナの家の周りで本やCDを買ったりして、ランチを済ませ、電車でアシュケロンに向かった。

アシュケロンはテルアビブから1時間ほど南にある海沿いの町。
駅の改札でニコルが、夫のイガル、娘のナオミと待っていてくれた。
ナオミは写真で見たとおり、色白で顔はイエメン系のパパそっくりの細めの女の子。
まずスーパーに行って、夕食の材料を買うことになったが、私は以前よく食べたメラワ(イエメンのホットケーキのようなもの。小麦粉でマーガリンを混ぜ込んであるパイ生地)を見つけ、夕飯にすることにした。
ニコルがナスのサラダやタヒナ、パスタを作り、食卓についた。するとイガルの携帯がなり、イガルが居間で話し始めた。食べ始めるのかな、と思ったら、ニコルは少しイライラしながらイガルを待っているようだった。私は、日本ではいただきます、と言ってから皆一緒に食べ始め、食べ終わったらご馳走様、と言って作った人に感謝してから立ち上がる、でもイスラエルは適当に食べ始め、適当に席を立つでしょ?と言うと、彼女が育ったベルギーではやっぱり皆が一緒に食事を始める習慣だったので、皆が席に着かないと落ち着かない、と言っていた。他の家庭に呼ばれた時は別にいいけど、自分の家ではその慣習を守りたいそうだ。私も同じ。レイにも家ではいただきます、と言ってもらっている。

メラワを見たイガルは大喜びをしていた。もともとイエメンの食べ物だけど、カロリーが高いのでニコルに家ではご法度で数年ぶりだとか。(ゲストの私には言えなかったらしい)

ナオミとアニヤは意外と仲良く遊んでいた。発達の遅いナオミは多分2,3歳の、ちょうど自我の強い時期で、アニヤのものを自分のものだと言って取り上げる、と何度かアニヤが言いつけに来たけど、言葉の壁にも関わらずトランポリンをしたり、一緒にお風呂に入ったり、楽しそうだった。

ナオミの通う特別学級は8時半から3時半まで、カウンセリング等を含む様々な療法と外遊びなどの通常保育を組み合わせている。また左右の発育過程が異なるので水泳でバランスを取るということもしていて、すごく効果が出ているという。

翌日は、前のルームメイト、シャロンとその息子が遊びに来て、一緒にビーチへ行った。
シャロンは3歳になる息子と二人暮らし。2月に2番目の子供が生まれる。
シングルマザーで、一人目の子は腸が機能しない状態で24時間のケアが必要だと言うのに、2人目を産むなんてあり得ない、と思っていたけど、イスラエルは子育てに関する社会システムが発展していて、彼女は医療費や最低限の生活費保障だけでなく、何と2人目の子供のためにメイドまでつけてもらっている。息子は感染への懸念やお腹の周りのチューブなどの関係でなかなか他の子供達と遊ぶ機会がない、と言っていたけど、彼は完全に満たされていて、すごく安定していた。きっとシャロンがたっぷり愛情を与えている証拠だろう。しかも駄目なものはダメ、としっかり教えている。
私と一緒に住んでいた時、シャロンは恋愛やら仕事のことで感情の起伏が激しかったのを覚えている。子供が出来て意識を集中させるアウトレットが出来たようですごくバランスの取れているようだったし、何よりも幸せそうだった。彼女は昔から動物好きで、家でも犬を飼っていたし、怪我をした競馬用の馬を引き取って面倒を見たりしていた。ニコルと、彼女はあの頃から何かにエネルギーを惜しみなく与える準備をしていたんだね、と話していた。

様々な物理的制約を受けながらも、しっかり子育てをしているシャロンを見てほれぼれしてしまった。
ニコルも建築事務所の社長の右腕として働きながら、夫と時間をやりくりしてナオミにベストな環境を与えようとしている。でも数ヶ月前、体力の限界だ、と感じた彼女は、毎週水曜日を「自分のための時間」にするために、休みにしたいと社長に伝え、許可をもらったそうだ。午前中は水泳に行ったり、エクササイズをしたり。

困難な環境の中で逞しく、しかも自分を大切にしながら生きている彼女たちを見て、私はなんて臆病だったんだろう、と思い返した。アニヤを産んでからの2年間を繰り返したくないとかいろいろ考えていたけど、その場になればなんとかなるのだ。日本にいようと、イスラエルにいようと、オマーンにいようと・・・。ニコルにそれを話すと、出来るか出来ないか、なんて考えていたら出来ないわよ。そうなった現状にただ一生懸命取り組むだけ。もちろん意思は持つべきだけど、環境なんて全て整わないものだよね、と言われた。
これが今に生きるっていうことなのだろう。
オマーンに行きたいという自分の考えが前向きと言うよりは守りの感情を基にしていたことに気づかされた。そして
私が何もないと思っていた日本の生活にも、すでに私が基盤を作っていたこと、自分の望むことを創造できる可能性があることにも気付かされた。
イスラエルに来てよかった。やっぱりこの場所は私に光を当ててくれる場所だと思う。

最後の日は、テルアビブに戻り、ダナも誘って、リションに住むシルと食事をした。彼女は旅行好きで、クライオンなどのチャネリングにも興味があるスピリチュアルな友人だ。
日本にも来たことがあるし、中国だ、ギリシャだと、連絡を取る度にどこかに滞在している。彼女も妊娠していて、2月に初めての出産を予定している。ずっと同棲していた彼と結婚したの?と聞くと、「結婚?結婚なんて私のポリシーに反するから一生しないと思うわ。」と言う。
イスラエルでは既婚でも未婚でも母親には同じ権利が与えられるし、離婚は面倒で、宗教的な法令が絡むので女性に不利だということだそうだ。
そう言えば、シャロンはもちろんのこと、ニコルもイガルと結婚していない。
日本は結婚したほうが楽な社会だよ、と言うと、イスラエルではそれより子供が重要視されると言う。3人子供を産むまで周りからしつこく言われるとか。だから子供のいない状態も大変だ、と勉強で忙しいダナがぼやいていた。

イスラエルの1週間はあっという間に過ぎてしまった。
なんとか友人に会えただけで、行きたいと思っていた死海も、アッコも、ガラリヤ湖もいけなかった。二人目のことを考えると、またしばらく時間が空いてしまうかもしれないけど、いつか戻る機会があるだろう。

土地だけでなく、イスラエルに住んでいる人たちも私にとっての魅力なんだな、と振り返ってみる。
また、物事は両方向。私が受け取っただけではなく、与える何かもあったのかもしれない。


中東に平和が訪れると、世界が平和になる、というようなことをクライオンのチャネリングで聞いた。
この場所が平和になり、この土地の光で世界中の多くの人が恩恵を受ける日が来ることを願っています。

1か月弱の旅行だったけど、はっきり言って帰るのがうれしかった。
やっぱり自分のベッドで寝られるのはうれしい。
ご飯もおいしい。日本に意識的に感謝できるようになるのも旅のいいところかもしれません。