産田神社の御朱印(熊野市) | 神社ぢからと寺ごころ

神社ぢからと寺ごころ

寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

三重県の皆さんごめんなさい。
熊野市は和歌山県だと最近まで思っていた尼津彦です。
 
皆様おはようございます。
 
伊弉冉が軻遇突智を生んだとされる場所に建つその名の通り産田神社です。

 
花窟神社から徒歩10分ぐらいでしたかね。
 
ここは普段は無人の神社のようで、この日も静かで雨の音と砂利を踏む音だけが聞こえてました。

 
参道途中に稲荷神社

 
参道を進みます。

ここでも先ほどの花窟神社におられた夫婦とすれ違いました。


こういう建物はなんて言うんでしょうね?

 
狛犬も独特

 
ここでお詣りします。

 
参道とはまた違った玉砂利が敷かれていました。

本殿の両側にある神籬(ひむろぎ)と言って古代の祭祀場の跡を見たかったので。
 
裸足ならいいのかなと思いましたが、雨なのでやめました。

しかし、帰りに調べたら、草鞋に履き替えるのだそうです。
 
そういえば下駄箱にいくつか草鞋が置いてありました。
 
惜しいことしました。先に調べていれば本殿前まで行けたのに。。。
 
 
神社を出て横の道から本殿を撮影しました。

 
本殿裏の社叢

御祭神は 伊弉冉尊と軻遇突智神が中心です。
 
伊弉冉尊が軻遇突智を生み、亡くなった場所とされているので当然ですし、異を唱えるつもりはありませんが、実際にはここで火の神に祈り消火活動をしたのでしょう。
 
神籬があるのが信憑性を増しますね。
 
また、別の言い伝えとして本来の熊野本宮はここだったのではないかという話があります。
 
僕はこのあたり詳しくまだ調べてないのですが、もしかしたらここで伊弉冉尊が生んだのは素盞鳴であったのかも知れませんね。
 
どちらにせよ伊弉冉尊が子を生んだ場所として、安産や子宝が御利益です。
 
神社の御由緒によると、伊弉冉尊は軻遇突智を生んで亡くなりました。
 
決して安産ではありませんね。
 
毎度言ってますが、生前成し遂げられなかったことがある人は、死後それを守る神となるのですよ。
 
つづく。
 
御朱印はここを管理している花窟神社で戴きました。

 
お次は和歌山県新宮市に入ります。