鹿島神宮の御朱印(鹿島市) | 神社ぢからと寺ごころ

神社ぢからと寺ごころ

寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

出張の時でも『どこの神社寄ってくるの?』と行き帰りに参拝を絡めてくると上司にバレバレの尼津彦です。
 
皆様おはようございます。


11月半ばの出張の二日目朝、まだ酒が残っているにもかかわらず、神社目的だと早起きでチェックアウト。

仕事までの時間をみっちり使い走りながらの参拝です。

まずは、常陸國一宮の鹿島神宮です。

これが鹿島鳥居といって神明鳥居の貫が両柱の外側に突き出ているのが特徴です。


楼門


拝殿


本殿

本殿の屋根から糸なようなものが無数に垂れ下がってるの見えますか?

これがかなり神秘的だったので、きっとなにか云われがあるに違いないと思い、尋ねてみましたら。

鳥避けだそうです。


さざれ石



鹿園

御祭神の武甕槌さんは鹿に乗って奈良に来たとか言われています。

鹿島神宮の鹿と春日大社の鹿のDNAを調べたらかなり近い血縁だったそうです。

鹿に乗ってきたかは別としても、ここから春日大社に鹿を移したと考えてよさそうです。


奥宮


奥宮本殿


奥宮から要石に向かう途中の道の分かれ目に、道祖神のようなものがありました。

ナマズに乗っているのは武甕槌さんですね。

古事記では海面に剣を逆さに立ててその上にあぐらをかいて座ったという鋼鉄の肛門の持ち主です。


武甕槌の若い頃の名はヒノハヤヒコといい、天照大神からの命で各地を巡り絵地図を完成させました。

その後、各地の反乱勢力の鎮圧で活躍し、有名な鹿島立ちの使者となります。

鹿島立ちというとわかりにくいかも知れませんが、俗に言う出雲の国譲りのことです。

国土の拡大と繁栄を成功させた大己貴は、更なる繁栄を求め、大物主の仕事を息子を事代主に任命し代行させ、国造りに没頭します。

しかしあまりにも強力になったため謀反の疑いをかけられます。

息子事代主から幾度となく、このままではいらぬ疑いをかけられるとの忠告も聞く耳を持つこともなく、高天原からの使者の忠告言も聞きませんでした。

そのため最終手段もとして武甕槌と経津主が使わされます。

相手の大己貴は大物主ですので、下手をすると大物主の配下の物部集団すべてを敵に回すかも知れない重要な役回りでしたが、無事に鹿島立ちを成功させ鹿島神の称え名を賜りました。

カシマとは、曲がった様とか逆さまの様とかいう意味で、立ちは直すとか正すとかいう意味です。

鹿島立ちにより自分の間違いに気づいた大己貴は大物主を解任され(息子が継ぎます)津軽に領地換えとして左遷されました。


さて、武甕槌と経津主のその後については、この後向かった香取神宮のところで書くことにします。


要石の前でなにやら説明しているおじさんがいました。

ボランティアガイドさんのようでした。

説明されてる横から写真だけ撮らせてもらいましたが、

ちょうど日陰でよく見えませんね。


鹿島神宮にはこのような良さげな道が多いです。



御朱印


奥宮の御朱印


新しいデザインの御朱印帳も手にいれましたよ。


少し駆け足でしたが、香取神宮に向かいました。