護王神社の御朱印(京都市上京区) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

京都市の左京区と右京区は無駄に市内の範囲を広げていると思う尼津彦です。

皆様おはようございます。
 

御所の西側を守護するのは護王神社


表門の摩尼車

般若心経ではなく大祓詞が彫られています。





横にも猪



手水舎も猪


拝殿にも猪


社務所の猪画


その横の猪コレクション


撫で猪


中門


本殿


末社は狛犬


飛翔親子猪写真撮るのわすれてた。


御祭神は和気清麻呂と姉の和気広虫です。

和気清麻呂は奈良時代の人で時の天皇である称特天皇に仕えていました。

天皇の位を狙う弓削道鏡が、宇佐八幡からのお告げとして、道鏡を天皇にすれば天下は平和に治まると天皇にウソを言います。

天皇は和気清麻呂に宇佐八幡へ行ってご神託を確かめてくるよう命じました。

宇佐大神は「天皇の後継者には必ず皇族のものを立てなさい。道鏡のような無道の者は早く追放してしまいなさい」とご神託を下されました。

清麻呂公は都へ戻り、大神のご神託を天皇に報告したため、道鏡は激しく怒り清麻呂の足の腱を切り流罪にしてしまいます。

しかも名前も清麻呂(きよまろ)から穢麻呂(きたなまろ)と名前まで変えさせられました。

そして、流罪の地へ向かう清麻呂を襲わせるために刺客を放ちました。

足の腱を切られ立つことすらできなくなった清麻呂でしたが、どこからか三百頭もの猪が現れ、清麻呂の輿の周りを囲み、道鏡の刺客たちから守りながら案内してくれたのです。

一年後、称徳天皇の崩御によって、拠り所を失った道鏡は関東へ左遷されます。

そして清麻呂は呼び戻され、時の天皇の信頼を得て活躍したそうです。


道鏡のお告げも嘘ですが清麻呂のご神託も嘘だと思います。

八幡さんからのご神託という名目で道鏡の野望を砕いたのでしょう。
それを知っているからこそ道鏡は激しく怒ったのでしょう。


さざれ石


御朱印