国家反逆罪の廉で処刑されるのなら民衆の為に闘い尽した私は甘んじて受けよう!!佐野千遥 | フリーエージェント世界革命を提唱するフリーエージェント大学ロシアの有名人・ドクター佐野千遥教授

フリーエージェント世界革命を提唱するフリーエージェント大学ロシアの有名人・ドクター佐野千遥教授

資本主義主力の株式会社制をも覆す、貴方を悩みと賃金奴隷状態から解放するフリ-エージェント世界革命を、誤った現行全自然社会人文科学を根底的体系的に批判し、一枚岩無矛盾の全新厳密科学体系を創り出した(世界史上これに挑んだ他者無し)FA大学佐野千遥教授が領導する

ロシア科学アカデミー・スミルノフ物理学派論文審査員:ドクター佐野千遥

佐野千遥博士のyoutube動画は、下記のURLをコピペして御覧下さい。コピペして頂く以外に無いのは、私のアメブロ画面では「リンク」が作動しないためです。

http://www.youtube.com/watch?v=vY_fl4Cdbhw

http://www.youtube.com/watch?v=2rSCHuFXqmI


国家反逆罪の廉で処刑されるのなら民衆の為に闘い尽した私は甘んじて受けよう!

佐野千遥

目次

第1章:「闘う事はしない」、「闘争をしない」主義の特に若い世代のスピリチュアル系の方々の考え方について

第2章:「国家反逆罪」について

第3章:「国家反逆罪」の廉で処刑されるのなら、民衆の為に闘い尽した私は甘んじてそれを受けよう

本論

第1章:「闘う事はしない」、「闘争をしない」主義の特に若い世代のスピリチュアル系の方々の考え方について

先ず、スピリチュアル系の方々の物の考え方にも千差万別があるようですが、その中で

「闘う事はしない」、「闘争をしない」主義の特に若い世代のスピリチュアル系の方々の考え方について、ここで特に論じたいと考えます

特に若者の間の「闘う事はしない」、「闘争をしない」主義とは「反」の付く事、例えば「反戦」(=帝国主義戦争反対)とか「反原発」とかは闘争になるから遣らない、私が先に述べた「反兵器」もこれが支配階級の側の武器・兵器による不可避の暴力・戦争を止めさせる為の物であるにも拘らず「反」が付いているから支持しないのが、この「主義」である。

私が討論した或る若者は、この主義が理論的に何に則っているかというと、マザー・テレサの次の言動に則っているのだと答えた。

マザー・テレサ曰く「戦争反対と言ったら私は行かない、平和の為と言ったら私は行く」。

ここから「闘う事はしない」、「闘争をしない」、「反」の付く事を遣らない思想が導かれる。

そこで私はマザー・テレサがインドで遣った事とほぼ同じ孤児の世話や貧民の世話といった事をネパールで1970年代から三十年以上に渡り遣って来た同じくカトリックで日本人の大木章次郎神父さんという人が居ると彼に告げた。

この大木章次郎さんとは、太平洋戦争時に米軍のB29の焼夷弾の空襲により殺されて行く多くの可愛そうな日本の一般市民達に対する米軍の攻撃を少しでも和らげる為に自分の命を捧げようと考え人間魚雷「回天」(=海の特攻隊)に自発的に志願したが、出撃命令があと二週間後に迫った時に「玉音放送」「終戦」となり戦後、カトリックの高校の先生となり、東大病院への差額ベッド導入=日本の医療の営利化の開始に対し立ち上がった東大全共闘の闘いが全国全共闘運動と70年安保闘争へと発展した時代に、その高校に全共闘運動が飛び火し自治会を創ろうと御御堂をバリケード封鎖して立てこもった生徒達を教職員組合が機動隊を導入して排除した時、「この子達を弾圧してはならない!!」と身を挺して庇おうとした為に、次期校長と目されていたその地位を自ら放棄し、次いで当時カトリックが非合法化されていた仏教国ネパールでの布教の任を自ら引き受け、逮捕・重い刑罰の危険と日々向き合いながら地下活動をしてきた人です。マザー・テレサとほぼ同じ活動をネパールでしたこの人の人生はこのように闘争に次ぐ闘争の連続だったのだが、「この事を貴方はどう考えるか?」と私がその若者に質問したところ、真正面からの答えは終ぞ返って来なかった。「そういう人も居てもいいかもしれない。」との民主主義的逃げ口上で彼はお茶を濁した。

ここで注意すべきは、「反戦」(=帝国主義戦争反対)とか「反原発」とか私が先に述べた「反兵器」による平和闘争は全て支配階級の側の体制に対抗しようという社会運動であり、これ等の「反」の付く事を遣らない立場とは根っからの体制擁護思想と言う事となる。国際的支配階級の側による本質的には暴力に基づく支配が有るのだから、「闘う事はしない」、「闘争をしない」主義とはこの悪しき世界の変革を志向せず、国際的支配階級の側の暴力は容認しておいて、悪しき体制を変革しようとする側の平和闘争には反対する道義的に誤った立場となる。


ところでこの「闘う事はしない」、「闘争をしない」、「反」の付く事を遣らない体制側を支える若者達がどのようにして育ったかを調べて見ると、それはフィンランド、デンマークを真似た文部省の指令で日教組が採用した「ゆとりの教育」が彼等をそのように育てた事が分かる。

「ゆとりの教育」とは、「知識」の詰め込みの「知識重視」を止めて「経験重視」に変える事として提起された。

「経験重視」とは何の事やら分からない訳で、教育の現場でも先生方達も何をどう遣って良いのか見当も付かずに、時を無駄に過ごしただけで、僅かにその時間帯だけ息せき切って知識を頭に詰め込む事を休止した「成果」が残っただけで、その反面、「努力」する事を知らない世代、闘う美学を知らない世代、「頑張ってね!」と応援されると怒ってしまう世代が育成されてしまった。

そこでここで私の教育論を述べたいと思う。

若し真に「ゆとり」の有る教育を実施しようと考えるのなら、「知識データ」の詰め込みの「丸暗記主義重視」を止めて、実体験や情報データからその背景に有る法則や原理原則や定理をボトム・アップに抽出する「学習重視」に移行すべきであった。

知識データを片っ端から丸暗記しようとする場合に必要な時間と労力は際限が無い程膨大であるが、注意力を一時(いっとき)集中して情報データをその背景から抽出した簡潔なる法則や原理原則や定理に纏める事に成功した場合には、その簡潔なる法則や原理原則や定理を持っていさえすれば、普遍的なケースにそれを適用して対処する事ができるようになり、定理学習時に集中力が要求された以降は問題処理に掛かる時間と労力は「丸暗記主義」の場合に比べて、ほぼゼロに等しい事となる。ここに「時間」と「労力」の大きな「ゆとり」が生じるのである。

私のこの論は嘗て私が研究した人工知能と反エントロピー計算機数学の「学習理論」から導かれた物である。

その学習論によるのならば、

1)自然の中に存する真・善・愛を学習するのが科学であり

2)その科学の中に位置付けられて、個人的善・社会的善=社会正義=男性美の極致:負ける事が分かっていても尚も闘わんとする武士道・個人的愛=女性美の極致:我が子に対する母の母性愛・社会的愛=社会正義に悖(もと)る支配階級に打ちひしがれた可愛そうな人達へ差し伸べる雄々しき連帯行動を学習し、その為の情熱を醸成するのが美学である。

先の「闘う事はしない」、「闘争をしない」主義とは、人格に社会正義・社会的愛の美学に基づく情熱を欠いた欠陥世界観でしかない。

3)大学の法学部では利害対立が有る時、その間を中立的立場で調停するのが法律であると教えているが、それは真っ赤な嘘である。従来の物質的打算に基づく「権利」「義務」を最高の規範としてしまっている法体系とは必ず物質的資力を有する側に味方するのであるから全く中立ではない。従来のこの物質的打算に基づく「権利」「義務」を最高の規範としてしまっている支配階級の為の弱肉強食の現行法体系を廃絶し、社会正義・社会的愛の美学=社会的道徳的美学の中に社会的道徳=法学は押し込めるべきであり、その新しい反エントロピー法学では条文は読めば感動するような条文でなければならず、それを守る事に誇りを持つことが出来、自発的に守るような法体系でなければならぬ。

世界の支配階級を打倒した暁には、既存の法による支配階級に対する処罰を主張する人達が居るであろうが、我々はその処罰が既存の法による報復的処罰になる事を避け(仏教の「因果応報」の哲学をも超えて)、新しい反エントロピー法学に則り、元支配階級に属した面々が社会的道義的美に悖(もと)った行動に走った自己を心底恥じ、社会正義と社会的愛の美学への情熱を自己の内面に喚起し、その処罰を甘んじて受ける心を促す事となる。


このような科学論から、東京都知事選において、得票の為に原発に付いて言を左右したが結局強力な原発推進論者として立ち現れ、アメリカを少しは批判するに見せ掛けて実は強力な親米派・体制擁護派であって、道義的美学の片鱗すら持ち合わせていない、自己の道徳律を市場原理で置き換えた政治ゴロ=舛添要一に投票した方がいらっしゃったとするならば、それは道義的誤りであった。

舛添要一に言及したので、ここで田母神俊雄氏についても述べたい。田母神俊雄氏は舛添要一とは違って、利権に結びついた人ではなく、又実直なる人柄なので、私の「反兵器」論が、日米軍事協定を不要とし、中共社会帝国主義からの核攻撃を一蹴できる事を知り理解した暁には、福島原発の爆発の危険に鑑み、「反原発派」に転じ得る人であると考える。更に我々は「原子力を遥かに凌ぐ巨大発電」をも実現できる。

スピリチュアル系の人達が「悟りを開く」「次元上昇」「平和の為の祈り」を主張なさる時、観念論に陥らない為にアドバイス申し上げたい。

社会正義の社会運動を自己犠牲の美学で実践して初めて人は「次元上昇」出来る。

ついでまでに述べておくとスミルノフ学派と私の物理学は正の世界のx、y、z軸と時間軸の4次元と、負の世界の負の方向を向いたx、y、z軸と時間軸の4次元とを合わせて、既に合計8次元の物理学である。物理学において次元を1次元でも上昇させる事は全物理学の見直しを要し、並大抵の作業ではない。スピリチュアル系の人達の「次元上昇論」によっても、8次元を超える事は並大抵の事ではない。

世界の富の95%を5%の富豪が有し、残りの5%の富を95%の民衆が分かち合う社会が現出しており、この社会に支配階級が居る事を何人も否定する事は出来ない。つまり資本主義が創り出した階級社会である。この富の偏在を是正させる為、富を公平に平等に「分配」させる為の「闘い」=搾取に対する闘争=経済闘争、考えようによっては「物取り主義」の闘争を究極の闘いと位置づける旧来の「左翼」の考え方は戦略論的に誤りであり、この階級社会の支配/被支配の関係を、つまり階級関係自体を「反兵器」を使って全世界規模で消滅させ、自らの解放を勝ち取る民衆の側の闘いが究極の闘いとなるのであり、そうして初めて究極の世界平和を勝ち取る事が出来る。

[註]:「反兵器」とは、変革を志向する民衆に襲い掛からんとする支配階級の側のCIAや米軍や中国軍等の治安部隊・軍隊を、物理的に時間を制御する事により

1)戦闘意欲を喪失させ
2)戦闘能力を喪失させ
3)実際に武器・兵器を発射しようとした時に悉く暴発させ自滅させる

三つの機能持った物である。

そのような卓越した「反兵器」が可能となるのは、圧倒的に卓越した驚異的新物理学が出現したからである事は別の文書で詳説してあるので、ここでは説明を省略する。

この悪しき資本主義社会に於いては、社会正義の為の社会変革運動を武士道の自己犠牲の美学に則り実践する事によってのみ人は自らの人格の陶冶「次元上昇」が出来る。社会正義の為の社会変革運動への参加抜きに唯世界平和の為お祈りするだけでは、支配階級の為の「世界平和」が強化されるだけで、世界の被支配階級の民衆の国境を越えた連帯による究極の「世界平和」の為には些かも役立たない。お祈りするなら民衆に対する弾圧内戦・利権の為の国と国の間の戦争を「反兵器」によって止めさせる世界直接平和同時革命勝利の為にお祈りする事である。


第2章:「国家反逆罪」について

第1章でテーマとした「闘う事はしない」、「闘争をしない」主義の若い世代の一人の方(この方は先月のこの講演会への出席者の一人であり、その後個人的に私と会っている)が私に「貴方の「反兵器」は「国家反逆罪」になるが、良いのか(=覚悟は出来ているのか)?」と言ったので、本章では「国家反逆罪」をテーマとして論じる。

現行法体系については先にも述べたように、

「大学の法学部では利害対立が有る時、その間を中立的立場で調停するのが法律であると教えているが、それは真っ赤な嘘である。従来の物質的打算に基づく「権利」「義務」を最高の規範としてしまっている法体系とは必ず物質的資力を有する側に味方するのであるから全く中立ではない。従来のこの物質的打算に基づく「権利」「義務」を最高の規範としてしまっている支配階級の為の弱肉強食の現行法体系を廃絶し、社会正義・社会的愛の美学=社会的道徳的美学の中に社会的道徳=法学は押し込めるべきであり、その新しい反エントロピー法学では条文は読めば感動するような条文でなければならず、それを守る事に誇りを持つことが出来、自発的に守るような法体系でなければならぬ。」

という私の提起する新しい法学的理念を先ず理解して頂きたい。

その上で以下に現行法の「国家反逆罪」=「外患罪」「内乱罪」について論じる事とする。

WIKIPEDIAの「外患罪」から引用する。

“外患罪(がいかんざい)は、外国と通謀して日本国に対し武力を行使させ、又は、日本国に対して外国から武力の行使があったときに加担するなど軍事上の利益を与える犯罪である。現在、外患誘致罪(刑法81条)や外患援助罪(刑法82条)などが定められており、刑法第2編第3章に外患に関する罪として規定されている。”

“外患罪は国家の存立に対する罪である。いわゆる国家への反逆となる戦争犯罪(売国行為)であり、刑法の中でも最も厳しい刑罰を科すものである。未遂・予備に留まらず、陰謀をすることによって処罰されうる点でも特異である。内乱罪が国家の対内的存立を保護法益とするのに対し、外患罪は国家の対外的存立を保護法益とする。”

“本罪の罪質については、国民の国家に対する忠実義務違反であるとする説[1]と国家の存立の危殆化を罰するものであるとする説[2]がある。”

“非常に強権的法規であり、かつ外交問題と直結するため、訴追側(検察)、審判側(裁判所)ともに適用に非常に消極的で、同罪状で審判した例はもちろん、訴追した例すらいまだにない。1942年に起訴されたゾルゲ事件において適用が検討されたが、公判維持の困難さのために見送られ、国防保安法、治安維持法等により起訴された。”

[註]:「最も厳しい刑罰」とは「外患罪:刑法81条、82条」の規定により、基本的には死刑を意味する。

WIKIPEDIAの「内乱罪」から引用する。

“内乱罪(ないらんざい)は、国の統治機構を破壊し、又はその領土において国権を排除して権力を行使し、その他憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動をする犯罪である(刑法77条)。内乱予備罪・内乱陰謀罪(刑法78条)や内乱等幇助罪(刑法79条)とともに、刑法第2編第2章に内乱に関する罪として規定されている。”

“内乱罪は国家の存立に対する罪である。本罪は国家の秩序を転覆せしめる重大な罪であるが、仮に内乱が成功した場合、革命成功ということでその行為は正当化されて犯罪性が否定されるので危険犯として規定する他ない。
本罪について刑法学では、刑罰が国家制度を維持するための機構であるという性質から「最も犯罪らしい犯罪」と表現され”る。

[註]:内乱罪も刑法77条1項1号に死刑も含めた刑罰を規定している。

<WIKIPEDIAからの引用は以上>

そもそも「国民」とは、「国家」とは何ぞや?!物質的打算の概念であるその「国民」とは自然人としての民衆の事なのか?!答えは「否」である。物質的打算の概念であるその「国家」とは、自然人としての民衆の意志の集合体であるか?!答えは同じく「否」である。

物質的打算の概念であるが為に支配階級の元に統括される「国民」に、自然人としての民衆は所属させられる事を心良しとしない。よって物質的打算の「国民」なる概念は成り立たない。

物質的打算の概念であるが為に、支配階級の意志を恰も全民衆の意志であるかの如く装った虚構の「国家」なる概念は、現実には実在しない。

詭弁はどうでも良い。

我々は外国の軍事力を日本に対し差し向けさせるような如何なる物質的打算とも無関係であり、そのような行為を破廉恥と看做しており、「外患罪」とは無縁である。

私の提起する「反兵器」は、従来の攻撃型兵器を基にした「軍事」と「戦争」「内乱」についての法律の概念では捉える事が全く出来ない。

先にWIKIPEDIAから「内乱罪」とは“「国の統治機構を破壊し」、又はその領土において国権を排除して権力を行使し、その他憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動をする犯罪である”と引用した。

この酷く滅茶苦茶になった最近の日本では民衆が政府の言いなりには付いて行かなくなったという意味で「国の統治機構」は「破壊」しなくても既に崩壊しており、我々社会変革運動体は支配階級の「国権を排除」するであろうが、我々社会変革運動体は「権力を行使する」事を悉く忌み嫌う運動体であり、携帯反兵器を片手に持った民衆の側の行動は正に「暴動」ではなく「暴動」の正反対の行動であり、寧ろ支配階級の側のCIAや米軍や中国軍等の治安部隊・軍隊の軍事行動=暴力的行動の方が「暴動」であり、スターリンの「平和と民主主義」論に基づいて、米英ソ連合国側の戦争は正義の戦争で日独伊枢軸国の遣った悪しき「侵略戦争」と「軍国主義」に反対するスターリニスト・アメリカ共産党の提起を戦後の日本人達を腑抜けにする上での絶妙な案として評価した白人至上主義者米トルーマン大統領がマッカーサー元帥に伝えて成立した日本国憲法を当然の事ながら我々は廃棄し、道義的美学に基づく新しい反エントロピー憲法と反エントロピー法体系を発布する。

第3章:「国家反逆罪」の廉で処刑されるのなら、民衆の為に闘い尽した私は甘んじてそれを受けよう

上述したように我々が正当に論理的に論じたとしても、正義か不正義かに無関係に、又現行法の客観的解釈がどうであるかに無関係に、国家権力を掌握した支配階級は、現行法の如何なる恣意的な解釈をも強権的に発動させる事が出来る。

理想を高く高く掲げた私は、如何なる国家暴力=国家権力の恫喝にも屈せず、如何なる妥協をも拒否する。

よって若し我々が理想に燃え、武士道の美学に基づき推進しようとした社会変革の運動が力及ばずしてその途上で一旦敗れた時、その社会変革運動の首謀者の私は「国家反逆罪」の廉で捕らえられ死刑に処せられるであろう。

その時、自分が愛を傾ける対象の民衆が現存するのならば、その愛の為にその屈辱と死の恐怖をも超克し、罪人(つみびと)なる敵の来世の為にも祈りつつ、死刑執行を甘んじて受けるであろう。

その時の私からの民衆の皆さんへのメッセージは「我に続け!」である。途上で一旦敗れた社会変革の運動を「秘密の機能の集中と、運動の機能の分散化・専門化」の原則の基に立て直し、民衆の皆さんの手で「世界直接平和同時革命」実現まで持って行く事に私は望みを託したい。

このように私が考えるに至ったのには、世界史の中に燦然と輝く処刑された二人の人物:裏切り者の師マルチン・ルッターに見捨てられ15世紀「ドイツ農民戦争」の首謀者として異端の廉で斬首の刑に処せられたトマス・ミュンツァーと、カトリック教会の「免罪符」(金を支払うと神が罪を赦す、貧乏人は支払わなければ赦されない、とした教義)に反対し広範な民衆によって支持され異端の廉で火刑に処せられたヤン・フスが居たからである、と言って過言ではない。

[註]:私はプロテスタントが正しくて、カトリックが間違っている、と主張しているのでは全くない。中世に於ける異端に対してカトリックが恐ろしき強権を振るった事は事実であり、又近世以降においては社会学者マックス・ウェーバーも言う如く、近代・現代の「奴隷制度」=「賃金奴隷制」を益々過酷にして来ている資本主義の哲学的基礎はプロテスタンティズムである。

第3章:トマス・ミュンツァーとヤン・フスの処刑

第1項:トマス・ミュンツァー(1489年12月21日~1525年5月27日)

裏切り者の師マルチン・ルッターに見捨てられ15世紀「ドイツ農民戦争」の首謀者として異端の廉で斬首の刑に処せられたトマス・ミュンツァーについてWIKIPEDIAから引用する。

“1506年にライプツィヒとフランクフルトで神学を研究し、1519年にルターと知り合い信奉者となる。ルターの推薦でツヴィッカウの説教者となり、そこでアナバプテストの労働者と接触し、その後行動をともにするようになる。”

“ヨハネス・タウラー(en:Johannes Tauler)やエレミヤ書に関するフィオーレのヨアキムの注釈などの神秘主義思想家の著作を研究し、聖職者と金持ちを攻撃し天国の到来を説き、財産の共有を基礎にした社会秩序の改革を訴えたために、ツヴィカウを追放されプラハとノルトハウゼンをへてアルシュテット(de:Allstedt)に落ち着き、共産主義生活の集落をつくり、説教活動の中心地とした。彼の説教は農業や林業で暮らす労働者に強い反響を呼び、ミュンツァーは次第に、下層階級の要求を弾圧し、諸侯に妥協しているルターの姿勢を批判するようになる。ルターの側もミュンツァーを〈アルシュテットの悪魔〉と呼びつらい、ザクセンの諸侯を煽動したが、諸侯はミュンツァーの影響力をはばかり、あえて暴力的方策がとれなかったという。
1524年、西南ドイツに波及した農民一揆に呼応して、ミュンツァーは支持者たちに民衆を圧迫する暴力が倒壊しつつあり、世界の変化が近づいていると告げた。テューリンゲン地方のミュールハウゼン市に行き、その地の民主主義者ハインリッヒ・プファイファー(de:Heinrich Pfeiffer (Bauernführer))と結んで秘密結社をつくり、新政府の樹立をはかったが、ルターの書簡が市におくられて彼ら二人は説教を禁じられた。ルターにたいする公開討論を望んでニュルンベルクへ赴き、その後ドイツとスイスの国境でドイツ農民戦争の最初の兆しを目撃した。南ドイツに滞在して旧約聖書に基づいた農業改革について説教し、反乱はもはや猶予されるべきでないとの信念を固めた。テューリンゲンとマンスフェルト(de:Mansfeld)で革命を組織するためにミュールハウゼンに戻るが、ザクセン・ブラウンシュヴァイク・ヘッセン諸侯の連合軍に敗れ(フランケンハウゼンの戦い)、捕らわれて妻とともに斬首された。“

第2項:ヤン・フス(1369年~1415年7月6日)

カトリック教会の「免罪符」(金を支払うと神が罪を赦す、貧乏人も支払わなければ赦されない、とした教義)に反対し広範な民衆によって支持され異端の廉で火刑に処せられたヤン・フスについてWIKIPEDIAから引用する。

“1411年に教皇ヨハネス23世は、...ナポリ王国...を制圧するために十字軍教会を派遣した。十字軍の遠征費用を賄うため、教会は免罪符の売買を始めた。プラハでも、免罪符の説教者は人々を教会に集め、寄進を勧めた。..フスは、ウィクリフの例を出して免罪符にはっきりと反対し、有名な改革論を書いた。”

“フスは、教会の名のもとで剣を挙げる権利は教皇にも司教にもなく、敵のために祈り、罵るものたちに祝福を与えるべきであると主張した。人は真の懺悔によって赦しを得、金では購うことはできないとした。この主張のため、フスは大学に留まることができなくなった。”

“民衆は、詐欺的な姦通者と聖職売買者の集まりのようなローマ教会よりも、フスに従うべきだ、と考えた。神学部の学者たちはフスの主張に反論したが、民衆は信じなかった。ほどなく人々は、ヴォク・ヴォクサ・ヴァルトシュテイン (Vok Voksa z Valdštejna) によって導かれ、教皇の教書を焼き捨てた。説教の途中で説教者をはっきりと否定し免罪符を欺瞞と言った下層階級出身の3人の人が斬首された。かれらはフス派の最初の殉教者だった。”

“プラハの騒ぎは大騒動となり、ローマ教会はそれを不快と受け止めた。教皇代理で大司教のアルビックは、フスに対して教書への反対を止めるように説得を試みた。...教皇は、聖アンジェロ城の枢機卿に対し、フスを容赦なく弾圧するように命じた。枢機卿の下した罰則により、フスは大司教のもとに拘留され、フスの教会は破壊されることになった。この後、フスとその支持者への対応はさらに厳しくなり、「教皇ではなくイエス・キリストこそが至上の審判である」というようなフス派の主張を抑える対抗策も厳しくなった。これら厳しい対応により人々の興奮がさらに高まったので、沈静化のため王はフスをプラハから遠ざけたが、フスがいなくなってもフス支持者の興奮は続いた。”

“ジギスムント皇帝がフスも招待したので、全ての議論を決したいと願うフスは喜んでコンスタンツへの訪問を決めた。...教義の正統性を示す十分な供述を準備し、自らの死を予見したかのように遺書をしたためた後、フスは旅立った(1414年10月11日)。”

“12月4日、教皇は3人の司教からなる委員会にフスの予備調査を委任した。告発者側は3人の証言者が尋問されたが、フスには1人の証言者も認められなかった。...これまでフスの身柄は教皇の監視下におかれ知人との連絡が可能だったが、教皇の廃位後、彼の身柄はコンスタンツの大司教の元に渡され、大司教の居城であるライン川のゴットリーベン城に送られた。そこでフスは、知人との連絡を絶たれ、昼夜を問わず鎖につながれ、わずかな食事だけを与えられ、病にも苦しみながら73日間にわたり幽閉された。”

“公判のためにフスはフランシスコ会の修道院に移され、そこで人生最後の数週間を過ごした。...フスは[公判の]その場で4項目を認めるように要求された。
1. 彼が今まで主張してきたことは誤っていた。
2. 今までの主張を将来も放棄する。
3. 今までの主張は撤回する。
4. 今までの主張と反対のことを正しいと認める.
フスは、「今まで教えたこともない教義の撤回などできない」と答え、公判の非難は誤解に基づいており、己の良心に反する行動は取れないと訴えた。このようなフスの言動は、公判で好意的には受け取られなかった。”
“フスの判決は、7月6日、公会議の参加者を大聖堂に集めた荘厳な場面で宣告された。
荘厳なミサと聖餐式(せいさんしき)の後、フスが大聖堂に連れ込まれた。ローディの大司教が、異端を撲滅する義務について説教を行った。そして、フス...が行った異端の一部と、これまでのフスの裁判の報告が読み上げられた。
フスは何度か大声で抗議した。キリストに対する訴えまでもが異端的として禁じられたとき、彼は「神と主キリストよ、審査会は私たちを虐げるときに、いつも主なる神を裁きの理由に挙げてきた。それなのに、いまや審査会は自らの行動と法すらも異端と断じようとしている」と叫んだ。そして、フスと彼の論文に対する有罪判決文が読み上げられると、フスは再び「今でも自分の望みは正しく聖書にしたがって裁かれることだけだ」と大声で抗議した。そしてフスはひざまずいて、敵対する全ての人を許すように、低い声で神に祈った。
その後、聖職剥奪が行われた。フスは聖職者の法衣に着替えさせられ、再び、主張を撤回するよう求められた。 彼が再び断ると、ののしりの言葉と共に法衣を剥ぎ取られ、聖職者としての剃髪は乱され、彼の聖職者の権利は全て剥奪され世俗の力に引き渡されるとの宣言が読み上げられた。フスの頭には「異端の主謀者」と書いた高い紙帽子がかぶせられた。”
“フスは、武装した男たちによって火刑の柱に連れて行かれた。処刑の場でも彼はひざまずき、両腕を広げ、声高に祈った。フスの告解を聞いて許しを与えよという人もいたが、司祭は、異端者の告解は聞かないし許しも与えない、と頑固に断った。死刑執行人はフスの衣類を脱がし、両手を後ろ手に縛り、首を柱に結び付け、彼の首の高さまで薪とわらを積み上げた。最後になって、皇帝の家臣フォン・パッペンハイム伯は、フスに主張を撤回して命乞いするようにすすめた。 しかしフスは、「私が、間違った証言者に告発されたような教えを説いていないことは、神が知っておられる。私が書き、教え、広めた神の言葉の真実とともに、私は喜んで死のう」と述べて断った。火がつけられると、フスは声を高めて「神よ、そなた生ける神の御子よ、我に慈悲を」と唱えた。これを3回唱え、「処女マリアの子よ」と続けたとき、風が炎をフスの顔に吹き上げた。そして、フスを悪魔とみなす敬虔な老婆がさらに薪をくべると、“O, Sancta simplicitas”(おぉ、崇高なる唯一つの真実よ)と叫んだ。彼はなおも口と頭を動かしていたが、やがて息をひきとった。フスの衣類も火にくべられ、遺灰は集められて、近くのライン川に捨てられた。”

これを暗黒の中世の昔話として読み飛ばしてしまう事は許されぬ。ヤン・フスとても苦悶する生身の人間であった。ヤン・フスの甘んじて処刑を受け入れた崇高なる自己犠牲の行動は民衆への凄まじき愛に基づいていた!

ヤン・フスの著作は悉く焚書に処されたとされたが、彼の熱烈なる支持者の中にその著作を隠し持って後の世に伝えた人が居た。その残された著作の中には神学論議だけでなく、支配階級の暴力的強権力に対抗して、妥協する事無く民衆が運動を発展させる事が出来る為の人間関係論も有ったのである。

その人間関係論とは「秘密の機能の集中と、運動の機能の分散化・専門化」と纏める事が出来る内容であった。

私は今日、支配階級のエシュロン等による監視下に於ける社会変革の運動に不可欠な「集中した秘密の機能」を、電波法違反に問われず、エシュロンに拠っても探知できない重力波を使った「重力波通信機」を開発する事により支えたいと考える。「重力波通信機」の物理学理論と技術的ノーハウを私は既に持っている。

第3章:追伸

従来、「左翼」とは、囚われの身となった場合、それが極刑が科される場合にも、支配階級の側の法概念である「権利」を主張して対抗しようとしてきた。私はその場合寧ろ、「殉教!」の旗印を鮮明にした方が「革命的敗北主義」=「武士道の美学」の観点から、社会革命運動のインパクトは大きくなり根底的となるであろう、と考え、本論を述べたのである。

「棒読みになった。」との批判を頂いたが、40分の時間の制約上、書いた物を読み上げる形式とならざるを得なかった。これを若し演説調に砕いて話せば2.5倍(1時間40分)から3倍(2時間)の時間を必要とした。従来の通常の世界観から少し派生しただけの世界観なら、明言していない点は常識に則って聴衆の方々が推論すれば大方当たる物であるが、私の世界観は今まで他の誰一人考えた事も言った事も無い事ばかりの論の体系である為に、明言しない点を皆さんの常識に基づく推論に任せると、多くの場合、私の意図している事とは異なった論へと逸れてしまうのである。であるから本文書に書いた私の各々の論は一つとして論理的に余計な論は無く、言わんとする全体系を時間内に完結する為には読み上げる以外になかったのである。

「論理」と言うと、「我々に今必要なのは右脳の直感であって、左脳の3次元の論理ではない!」という反論がなされるので、コメントしたい。

私の物理学は既に8次元である事は既に述べた。社会運動・社会革命とは重厚と言える程の論理・運動の論理によって推進しなければ歴史上影響力を持った社会運動・社会革命には決してならない事を先ず指摘したい。その社会運動・社会革命への参加者が「何故闘うのか」の根本的動機を社会正義の武士道の美学・社会的愛の美学に裏打ちされた情熱・情念として吐露する時、その社会運動・社会革命は水を得た魚の如く雄飛する。つまり人が物事をしようとする時、左脳と右脳の両方が不可欠なのであり、右脳だけでは事を成すことができない。

社会運動・社会革命を右脳の直感だけで遣ろうとするなら、その運動方針には一貫性が欠け、カルト集団へと陥るのであり、その歴史的失敗例は「連合赤軍事件」である。「連合赤軍」とは、全く相容れない毛沢東主義と新左翼主義との理論的討論・合意を抜きに二つの軍事力を合体すれば二倍の軍事力に成るだろうと直感的・右脳的に考えて行動した結果、あの惨憺たる結果になったものである。

話題は変わるが、私自身ははブログであろうが講演であろうが金の話は一切しない、資金を募るような話は一切しない主義主張であります。つまり私は「重力波通信機」を作る資金を募る為に本講演を遣ったのでは全くないのであります。つまり私はビジネスをする為に本講演を遣ったのではなく社会革命を推進する為に本講演を遣ったのである。

又、私が1)フリー・エネルギー装置による産業経済革命、2)核燃料自体の物理的手段による低温解体消滅システム構築による反原発政治革命、3)「反兵器」による政治軍事戦略革命、の三つの革命全部から成る社会革命を遣ろうと説明した後にも、「フリー・エネルギーを作る佐野千遥」とだけ言われると、何とも誤解されているという感を否めないわけです。

実際、私の全活動総量の中、「フリー・エネルギー開発」とは1万分の1にしか過ぎません。フリー・エネルギーとは大層な物と世間一般には受け取られていますが、フリー・エネルギーとは、子供達が遊んでいる棒磁石を私が発見した数学的配置にして手を離せば加速度的に回って、運動フリ-・エネルギーとして至極簡単に得られてしまう物であり、理論的にもエネルギー保存則が誤っている事を論証すればそれで済んでしまう事なのですから、新しい全物理学体系の構築を必要とする2)、3)の活動量に比べ、「フリー・エネルギー開発」とは物理学理論作業量としても1万分の1にしか過ぎない、という事に成る分けです。

現在まで世間で研究・開発されてきたフリー・エネルギー装置の殆どが万全には作動していない理由として、「霊性が高い人が創らないと良く作動しない物なのだ。」という発言が有ったが、これでは逆に、若し「霊性の高い人」が傍にいなければ良く作動しないなら、万人の誰が使おうが規定どおり必ず作動する「製品」へと開発していく事は絶対に無理になる。「製品」とは、万人の誰が使おうが規定どおり必ず作動しなければならない物である。

物理的装置が正しく作動するか否かは、「霊性が高い人が創」ったかどうか、にではなく、正しい物理学に拠っているか否かに拠る。

実際に日本で最も製品化に近い所まで行っているテネモス社の飯島秀行氏のモーター等を幾つも買い込んで実際に試した人が居り、飯島氏のモーターが作動しなかったので飯島氏の所に持っていって見て貰ったが遂にそれは作動しなかった。

現在までフリー・エネルギーは幾つもプロトタイプは出来るのだが、製品化にまで漕ぎつけたのは一つも無い。その原因はフリー・エネルギー開発者が悉く実証だけ遣るが、物理学理論を持ち合わせていないために論証できない点に有る。物理学理論を持っていない為に、プロトタイプを製品へと改良する方法論体系を導く事ができず、右脳的・直感的・思い付き的な一時凌ぎ的対処しか出来ない為に、例え大きな投資を得た場合にも製品化は達成できず、投資は無駄になるのである。

であるから我々は物理学理論重視の立場からフリー・エネルギーに取り組んでおり、プロトタイプの論証と実証の両方を遣り、且つ物理学理論を基にしたシステマティックな改良方法論を用いてプロトタイプの製品化を完成する。製品化の完成の為にも物理学理論を重視するのである。

エレクトロニクス(電子工学)とは物理世界の自然な反エントロピーが見付からなかったから出現した。人為的情報エントロピーを使うエンレクトロニクスとは、自然な反エントロピーを統御できる新しい物理学より劣った学問である。

最近は社会変革を目指す人達の中に、宇宙人は何でも知っている、宇宙人は地球人が出来ない事を何でもできる、と考える人達が少なからず居る。しかし社会変革を希求する人達は「宇宙人依存症」に陥ってはならない。

「宇宙人依存症」を絶つ目的で、以下に述べたいと思う。

エレクトロニクスのチップとは、墜落した宇宙人の空飛ぶ円盤の中から発見された物である、との説が有る。若しそうならば、先に導き論じた

「エレクトロニクス(電子工学)とは物理世界の自然な反エントロピーが見付からなかったから出現した。人為的情報エントロピーを使うエンレクトロニクスとは、自然な反エントロピーを統御できる物理学より劣った学問である。」

との論を適用して、エレクトロニクスのチップを地球人に伝えた宇宙人の物理学は、地球人スミルノフ学派と佐野の物理学に劣っている事となる。

何故劣っているかを具体的に詳細を述べると次の様になる。

永久磁石を使ったフリー・エネルギー装置(例えばXX氏・YY氏共同開発の装置)の動作の仕組みを考察して見よう。

私の永久磁石永久機関モーターがゼロの入力エネルギーから大きなエネルギーを創出するのに対し、XX氏・YY氏共同開発の装置の場合、初期動作開始に外部からの電気エネルギーを必要とし、その入力エネルギーを何倍かに増幅するだけのフリー・エネルギー発生装置でしかない点は、世の中に有る他のフリー・エネルギー装置が皆「何倍に増幅」する事しか遣っていないので、ここでは目をつぶる事とする。

先ずエントロピー減少要因の永久磁石が自発的に働いてエントロピー増大要因である電気エネルギーを少し発生させなければ、XX氏・YY氏共同開発のモーターはその先作動しない。エントロピー減少要因の磁気エネルギーからエントロピー増大要因である電気エネルギーを発生させなければその先、作動が続かない点自体が、徹頭徹尾エントロピー減少要因の磁気だけで作動する私の永久磁石永久機関モーターに劣っている。

次に、磁気により発生させた電流も、そのまま自然に流してしまうとモーターを止める方向に作用する事になってしまうので、人為的な「情報エントロピー」を持ち込んで人為的エレクトロニクス仕掛けのスイッチにより、タイミングを見計らって電流を逆向きに流させないとモーターはやはり止まってしまう。人為的エレクトロニクスにインストールした人為的な「情報エントロピー」が最小エントロピーになる場合を自然とは無関係に人為的に定義して、自然の外から強制的に作動させ続ける仕組みは、自然の中に存在する反エントロピーを掴んでいるために、如何なる人為的介入をも必要とせぬまま自発的に強力に作動し続ける私の永久磁石永久機関モーターに、動作原理自体に於いて劣っている。

尚、XX氏・YY氏共同開発の装置は今までに億の単位の投資を受けているにも拘らず、未だに製品化出来ていないという事は、理論的且つ技術的に問題が有ると言わざるを得ない。巨額の投資を受けてプロトタイプを改良して製品化しようとしても、物理学理論が欠落している為にシステマティックな改良の方法論を創り出す事が出来ず、右脳的・思い付き的な場当たり的「改良」でしか対処出来ない為に、製品化には終ぞ至らないのである。

だから私はXX氏とYY氏に、スミルノフ学派と佐野の新しい物理学を学んで下さい、と申し上げたい。

何故このように優劣が発生してしまったかというと、擬似反エントロピー代用物エレクトロニクスを地球人に齎した宇宙人の物理学が(自然の中に有る反エントロピーを発見できていない為に)地球人スミルノフ学派と佐野千遥の物理学に劣っていた為である。

ここにエレクトロニクスのチップを地球人に伝えた宇宙人の物理学は、地球人スミルノフ学派と佐野の物理学に劣っている事が論証された。

ここに、宇宙人は地球人が出来ない事を何でもできる、と考える「宇宙人依存症」は誤りである事が論証された。SFではない現実の物理学会の物理学派である地球人スミルノフ学派と佐野千遥はタイム・マシン、テレポーテーションの物理学理論と技術的ノーハウをも有している。

今回のブログは以上です。

佐野千遥博士とは

過去250年~340年間、世界の大数学者達が解こうとして解けなかった世界史的数学難問4問を解き、

2011年11月7日にアメーバブログで「間もなく太陽表面から新しい惑星が誕生する」事を科学的に論証した予言を2012年3月10日のNASAの発表で実現させ

数学における誤謬の数学分野の存在証明をし、

現行「正統派」現代物理学が「トンデモ」物理である事を体系的に論証し尽くし、

アインシュタインに代わってマクロ/ミクロ物理世界を貫き恐るべき整合性を持ったニュートン・スミルノフ・佐野宇宙方程式を提唱し

超電動に対する超磁動の存在を世界史上初めて理論構築して論証し、

さらにその超磁動を使っての原子爆弾、原発の核燃料のウラン、プルトニウム自体の低温解体・消滅装置の開発プロジェクト(=世界平和の真のシンボル)を創出し

更にその同じ仕組みを使った原子力を遙かに超える大電力発電装置の開発プロジェクトを創出し

光速電子放射線治療AWGを支える物理学理論を創出し

「病は原子核内から磁気で治す」事を知らない不能の現代医学を体系的に批判し、

ソマチット=物理的生命体=「負の質量を持った単極磁石」である事を世界史上初めて発見しその理論を構築し

人間機械論の現行人文科学を批判し、

現行経済学の「需要供給の法則」=「神の見えざる手」が因果律を意図的に踏み外す諸悪の根源である事を批判し、

近代経済学に見えていない3種の価値「有用価値」「コスト価値」「流通価値」の区別付けを持った未来経済学を創出し、マルクスすら扱えなかった「有用価値」も含む価値交換方程式を世界に先駆けて提唱し、何故現代世界は経済活動の縮小過程に入っているのかの根本原因を世界に先駆けて提唱し、どうすれば活性化できるかについての経済プログラムをも世界に先駆けて提唱している

物質的打算に基づく「権利」「義務」を最高の規範とする現行法体系を批判し、

その誤れる法律をめぐっての立法・司法・行政を主張し、社会正義と社会的愛の実現が国政の目標である事を忘れ去った西洋の三権分立論を批判し、

美学は科学の中に位置づけるべきであり、倫理学・法学は美学の中(就中、その中枢である道義的美学の中)に位置付けるべきである、と主張し

福島原発の惨状に成す術を知らず右往左往する「正統派」現代量子核物理学の打倒と、「正統派」現代物理学の花形=「トンデモ」素粒子論を権威付けるノーベル賞委員会解体を提起し、

反エントロピー数理物理学から出発し、現行の「科学」とは別体系の反エントロピー物理学・自然科学、医学・精神医学・人文科学・社会科学:総じて社会正義の美学・社会的愛の美学に結晶する全新厳密科学体系を提唱し、

超フリーエネルギー装置=永久磁石永久機関モーターの発明を基に日本発世界産業革命を準備し、

宇宙の始原からプログラムされていた社会正義の美学・社会的愛の美学に打たれて日本発世界の社会変革に邁進する崇高なる自己犠牲の精神を日本人の心に蘇らせんとする

ロシア科学アカデミー・スミルノフ学派論文審査員:ドクター佐野千遥です。

P.S. 読者登録をして下さる方には、フリーエージェント大学ドクター佐野千遥教授の講義受講の権利2時間分を無料プレゼントいたします。講義はskypeで配信いたしますので、ご興味の有る方は読者御登録の際にskype名をアメブロのメッセージ機能を使ってお知らせ下さい。

P.S. 尚、間もなく佐野千遥博士の塾「反エントロピー世界観により本物の社会変革を!」を立ち上げますので、そのメッセージ送信の際に塾にも参加ご希望の場合、その旨お知らせ下さい。その塾の部会は反エントロピー物理学体系、磁気による発明家協会、物理的手段による放射能の核種変更除染、タイムマシン・テレポーテーション・反重力の厳密科学体系、反エントロピー物性化学、反エントロピー生命物理学、反エントロピー物性医学、統合医療の厳密科学化、永久磁石永久機関モーター、バベルの塔の限界に挑みネーティブの精度と敏捷性に肉薄する語学習得「即聞即答訓練」、反エントロピー精神医学・教育心理学、反エントロピー未来経済学体系、反エントロピー経営学、反エントロピー未来法律学体系、歴史学への洞察、反エントロピー政治学、戦略論、バイオリン演奏習得等多岐に渡っておりますので、振るって御参加下さい。