青春とはなんだ:多摩川河川敷/渡し場 | 昔のドラマのロケ地を探そう!

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第17話で下校途中の高松(杉本哲章)と育子(土田早苗)が川沿いの歩道を歩いているとチンピラ達がからんできた。
1966年
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ここは川崎市多摩区菅野戸呂の多摩川河川敷にあった歩道。ここは1971年に京王多摩川駅から多摩川を渡って延伸した京王相模原線橋梁の辺りで放送当時はこの橋梁はまだなかった。また、背後に映っていた橋梁は鶴川街道の当時の多摩川原橋になる。
画像1 2014年
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二人に絡むチンピラ三人組。
画像2 1966年
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この辺りの多摩川土手の道路は当時は河川敷とあまり高低差はなかった。そのため歩道の川側に画像1のようなコンクリートの堤防があった。現在は盛土された土手の上を道路が走っている。
画像3 2014年
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大場久美子のコメットさん(1978~1979)の第15話には貴重なシーンがある。コメット(大場久美子)と三吉(福崎和広)がこの河川敷を走っているシーン。この頃には土手は盛土されその上に道路が出来ているのだが、二人が走っている右側に画像1の右に映っているコンクリートの堤防が映っている。二人が走っている左側は盛土された土手になる。
また背後に映っている橋梁は画像1と同じく鶴川街道の多摩川原橋。
画像4 1978年 
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高松と育子は川に架かる渡し場に逃げるが3人にはさみうちにされてしまう。
画像5 1966年
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渡し場があった辺り。多摩川下流側になる。
画像6 2014年
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渡し場の上で追いつめられた2人。
画像7 1966年
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画像8 1966年
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画像9 1966年
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近くにいて騒ぎを聞いていた橘(寺田農)と順子(豊浦美子)が現れ二人を助けた。
画像10 1966年
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画像7~画像10の背後に映っているのは対岸の調布市多摩川にあった当時の京王遊園地。画像7の左端と画像9の右端に映っているのは遊園地内にあったムーンロケットというアトラクションである。京王遊園地は1971年に閉鎖され跡地は分譲住宅と京王テニスクラブへと変わっている。
画像11 2014年
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チンピラの背後に映るのは川崎市側の土手。
画像12 1966年
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現在の土手。盛土されその上を道路が走っているのが分かる。画像12の民家と比較すると土手が大きく盛土されているのが分かる。
画像13 2014年
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画像14 1966年
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背後左側に映っていたのは当時の京王閣競輪場である。
画像15 2014年
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この渡し場の場所には1970年~1973年にかけて京王相模原線橋梁工事のため川底が浅くなり渡し船を運航できなくなった貸しボート屋が常設の渡し場を設けていた時期がある。超人バロム・1第1話どっこい大作EDタイトルバックなどに出てくるが、この作品に出てきた渡し場は常設のものではなく、京王閣競輪開催日など特別な場合に臨時に設置していた簡易的なもので普段は取り外していたそうだ。

※画像10の渡し場対岸の川原に円柱状の構造物が映っているが、下の2枚の対岸にもこの構造物が確認できる。

超人バロム・1第1話より。
画像16 1972年
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どっこい大作第1話より
画像17 1973年
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1966年の航空写真より左下赤点部分が手塚と育子がチンピラに絡まれたところ。真ん中の赤丸内が二人が逃げた渡し場。右上の赤丸内が当時の京王遊園地内にあったムーンロケットである。
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現在の航空写真よりり
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