9月14日(日)名古屋市東別院ホールにて『第十八回 エバ・シンポジウム2014』
北海道から中部空港セントレアに降り立ち、名古屋栄町へむかう。
前夜祭では、映像作家田村さんとオレの誕生日を祝ってもらった。
2回目のエバシンポジウム出演だ。
前回のアキラライブは盛り上がりすぎて40分もオーバーしてしまうという伝説をもつ。
そこへ来た人たちから全国規模でイベントに呼ばれ、中部地区のライブも激増した。
1963年、江場康雄さんが一本の酸素ボンベを患者さんへ届けることから医療酸素の会社「株式会社エバ」が始まった。
エバさんは文化事業にも力を入れ、日本を代表する文化人が集まるイベント「エバ・シンポジウム」も第十八回目をむかえる。
基調講演は、おなじみ上田紀行さんだ。
上田さんは、文化人類学者、医学博士であり、東京工業大学の教授でもある。
スリランカで「悪魔祓い」のフィールドワークを行い、その後「癒し」の観点を
最も早くから提示する。
日本仏教の再生運動に取り組み、ダライ・ラマとの対談集、『目覚めよ仏教!―ダライ・ラマとの対話』(NHKブックス)など、著書を刊行している。
オレは上田さんとの出会いによりスリランカに通うようになったし、スケールの大きな人だ。
おまけに落語家のように話がむっちゃおもしろい。
パネルディスカッションでは、上田さんを司会に、エバさん、寺本らららちゃん、村林真哉さんが登場する。
らららちゃんは、生後10ヶ月の時に脳性マヒによる上下肢障害が発覚し、現在杖と車椅子の生活を送っている。
15歳よりオーストラリアに留学し、現在オーストラリア国立 University of Ballaratの大学生だ。
マガジンハウスより出版された「ららら主義」が好評だ。
http://lalalaoffice.com/763
「オーストラリアへいってからの9年間、あたしは自分でドアを開けたことがないの。車いすで行くと必ず誰かが開けてくるのよ。
その点日本についてちょっと不便。シャイなのかどうかわかんないけど、誰も開けてくんないから私は足で蹴飛ばし開けてるの」(笑)
なるほど、これは考えさせられる問題だね。
ズバズバ自分の意見を言ってのけるらららはカッコイイなあ。
「あたしの気持ち、学者先生にわかるかしら?」
さすがの上田さんもたじたじである。
ムラちゃん(村林真哉)は、大阪芸術大学、武蔵野美術大学短期大学を経て、ドイツ・デュセルドルフに留学したアーティストだ。
ドイツを代表する思想家ルドルフ・シュタイナーや社会芸術家ヨゼフ・ボイスに影響を受け、現在は松阪市にある障害者施設「希望の園」で園長として、障がい者による芸術作品をプロデュースしている。
フランス人画家・ジャン・デュビュッフェが提唱した「アール・ブリュット」(Art Brut、「生の芸術」)は、芸術教育も受けず、名声を目指すでもなく、既成の芸術に一切とらわれることなく、好き勝手に表現された根源的芸術作品をさす。
ムラちゃんは彼らの自由度を極限まで伸ばし、その作品を社会というキャンバスに表現するアーティストである。
これはまさに社会派アート、ボイスの真髄を表現しているなあ。
このパネルディスカッションはむっちゃおもしろかった。
「障がい者」という概念がひっくり返る。
今までは
「障がい者は社会のお荷物だから、やさしくしましょうねえ」
みたいなとらえ方から、
「やつらみたいに自由になりたい!」
と、健常者が熱望するのだ。
そのくらい観客は天地がひっくり返った。
さてさて午後の部は、大御所佐藤さんのオペラだ。
佐藤さんも500人の観客を前に緊張している。
オレたちは持ち時間70分にあわせ、脚本をけずり、曲を入れ替える。
そこらへんわれわれは百戦錬磨のステージをこなしてるので、あらゆる状況に対応できる。
これは、すごかったね!
号泣する観客、鳴り止まぬ拍手、最高のステージだった。
ドラクエで盲目になったコンちゃんと、半身不随で13キロ遠泳を成し遂げたケン太は英雄だ。
希望の園の演奏もバラエティーなんか問題じゃないエンターテイメントだ。
やっぱしめは、これっしょ!
12.えん
13.ありがとう
500人が手をつなぎ、巨大なメディスンサークルができる。
健常者も、障がい者も、悩んでる人も、
「今ここに生きている」
その一点でつながった輪だ。
それでいいのよ。
障がい者も、健常者も、社長も、平社員も、きみも、オレも、
「今ここに生きている」
すべてのボーダーがとけ、
一人の人間として、
つないだ手のぬくもりを感じること。
よく人はごたくを並べるけど、
「すべてはつながってる」
これを実感するほど最高の幸せはないんじゃないか?