Vol.250-3/3 人生は他動的…。<四国八十八か所讃岐巡りシリーズ19:大興寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.250-2/3に続けてご覧ください。


四国八十八か所讃岐巡りシリーズ

19:大興寺

第六十七番 小松尾山(こまつおざん) 大興寺(だいこうじ) 不動光院(ふどうこういん) 



本尊:薬師如来 開基:弘法大師 宗派:真言宗善通寺派

真言:おん、ころころ、せんだり、まとうぎ、そわか

御詠歌:植置し小松尾寺を眺むればのりの教の風ぞ吹きぬる

所在地:〒768-0101 香川県三豊郡山本町小松尾4209

歴史・由来

地元では大興寺というより、山号にちなむ「小松尾寺」という呼称が親しまれ、近傍一帯の集落を小松尾と呼ぶ。縁起によると、天平十四年(742)熊野三所権現鎮護のために東大寺末寺として現在地よりも約1キロ北西に建立され、延暦11(792)大師の巡錫を仰ぎ、弘仁13(823)嵯峨聖帝の勅により再興されたと伝えられている。


しかしながら、戦国時代末、長宗我部元親の兵火により一部を残してことごとくを焼失、慶長年間(15961615)に再建されたが再び焼亡、本堂は寛保元年(1741)に建立されたものである。


現在の大興寺は真言宗の寺院であるが、往時真言二十四坊天台十二坊が甍を連ね、同じ境内で真言天台二宗が兼学したという珍しい来歴を持つ。そのためか天台宗の影響が大きく、本堂に向かって左側の弘法大師堂とともに、右側に天台宗第三祖智顗を祀る天台大師堂があるという配置にその名残を留めている。また本尊脇侍は不動明王と毘沙門天であるが、不動明王は天台様式である。

香川県の文化財として指定されているのは次の4件である。1つは像高84センチの本尊藥師如來坐像で、平安後期、檜寄木造り、漆箔、伝弘法大師作。鎌倉時代後期建治2(1276)の銘がある天台大師坐像は檜寄木造り彩色で像高77.4センチ。天台大師の彫像は極めて少ない。

仁王門にある雄渾な2の金剛力士立像は仏師として名高い運慶の作と伝えられ、像高314センチ。鎌倉初期の作、八十八ヶ所中最大とされる。

「大興寺」と記された扁額には文永4(1267)の年号と「従三位藤原朝臣経朝」の裏書きがある。

<略縁起>

弘仁13(822)嵯峨天皇(在位809823)の勅願により、熊野権現鎮護の霊場として弘法大師が本尊薬師如来、脇士毘沙門天と不動明王を刻み堂宇を建立して、第六十七番札所として定められた。

当時は真言宗と天台宗の2宗派の修行道場として栄えている。

真言宗開祖の空海と天台宗開祖の最澄は同じ頃、唐に留学しており、最澄は空海から密典を借用したり、灌頂(かんちょう)の儀式を受けている。

しかし、弘仁4(813)最澄からの「理趣釈経」借覧の申し出を断っている。天正年間(15731592)長曾我部軍の兵火に遭い、本堂を残して堂宇が焼失、慶長年間(15961615)に再建されている。

境内

地元では小松尾寺(こまつおでら)と呼ばれている。山門の金剛力士像は運慶作と云われ、八十八ヶ所中最大と言われている。参道には大師お手植えといわれる榧と楠の大木がある。

石段を登ると正面に本堂があり、左手に大師堂、右手に天台堂がある。

寺宝として文永4(1267)の藤原朝臣経朝が奉納した「大興寺」の扁額がある。

又、本尊薬師如来は秘仏で61年に一度の開帳となっている。

▼仁王門、金剛力士立像


▼榧(カヤ)の木、楠の木


▼参道、県指定文化財の案内板


▼境内、大師堂


▼本堂、七日燈明


▼天台堂、梵鐘


--今報了--